海洋空間 NBA
スーパープレイヤー列伝


Player File No.11     2003.9.24 (2005.6.7 データ更新)



レイ・アレン Ray Allen レイ・アレン

ガード
196cm 93kg
1975年7月20日生
1996ドラフト1巡目5位指名
所属チーム:シアトル・スーパーソニックス
出身校:コネチカット大
主なタイトル:スリーポイント・シュート成功数1位2回
        2001オールスター・ウィークエンド
         スリーポイント・シュート・コンテスト優勝
        オールスター選出5回
        2005オールNBA2ndチーム
        2001オールNBA3rdチーム
          …など



そのシュート・フォームは限りなく基本に忠実で美しく、また、アウトサイドからだけではなく、
必要とあらばペネトレイトしてのアクロバティックなダンクも易々とこなし、
チームが必要とする時に着実にボールをネットに沈めることができる、
まるでシューティング・ガードの教科書のような選手だ。

とにかく頼りになるのは何をおいてもそのシュート力
かのマジック・ジョンソン*1が現役時代の好敵手、ラリー・バード*2を称して、
「神様がバスケットボールを創り、そしてバスケットボール・プレイヤーを創った。
そのプレイヤーがラリー・バードだ。」

と語り、その天賦のバスケットボール・タレントを褒め称えたことがあったが、
同じように、“神様が創ったシューティング・ガードがこのレイ・アレンだ”、
と言ってしまってもあながち的外れではないだろう。
それぐらいにそのシュート・フォームならびにシューティング・スキルは
精密機械のごとく乱れず、狂わず、正確無比。
ディフェンスにタイトにピッタリ張り付かれていようが、
最高速から一気のストップ・ジャンプシュートであろうが、
後ろ斜め30度に跳びながらのフェイドアウェイ*3であろうが、
絶対に肘から指先へかけてのシューティング・アームは
ゴールに真っ直ぐ正対する姿勢を崩すことなく、
シュートを放った後のフォロースルーの手首もまるで鶴の首のようにきっちり返っている。
同じシューティングのスペシャリストだけれどレジー・ミラーとはまた少し違った雰囲気、
たとえればマーク・プライス*4を彷彿とさせるかのようなシューティングである。

そのシュート力はもちろん数字としても如実に表れており、
スリーポイント・シュート・パーセンテージフリースロー・パーセンテージともに
リーグのベスト10の常連で、1997年にプロ入りしてから昨シーズンまでのキャリア通算も
それぞれ40.2%88.2%と素晴らしい成績を記録している。
アレンは1999−2000シーズンから2シーズン連続で
スリーポイント・シュート成功数でリーグ2位、そしてその後、
2001−2002シーズンから昨季までの2シーズンは連続して成功数リーグ1位と、
その試投数も抜群に多いが、
それだけ撃ってこの確率を残すというのはまったくもって脱帽だ。
さらに2001年にはオールスター・ウィークエンドの
シュートアウト(スリーポイント・シュート・コンテスト)でも見事優勝に輝いている。

また彼はシュートのスペシャリストではあるが、決してそれだけが取り柄のシューターではない。
その身体能力、アスリート能力も非常に優れたものを有している。
たとえばアレンをマークしているディフェンス・プレイヤーが、
彼の超人的なシューティング・スキルのみを警戒してタイトにチェックしていたのならば、
そのクイックネスでもって簡単に出し抜かれてレイアップ、
あるいは華麗なダンクにもっていかれてしまうだろう。
だからといってそのペネトレイト*5を恐れるあまり距離を開けてディフェンスしていれば、
もちろんアレンは迷わずシュートを放つ。
点を取る、というバスケットボールの本質的な一点において、
レイ・アレンほどその才能に溢れているプレイヤーはリーグにもなかなかいるものではない。
ちなみにアレンはオールスター・ウィークエンドに行われる
スラムダンク・コンテストとスリーポイント・シュート・コンテストの両方に出場した
数少ないプレイヤーの一人である。

以上のように、バスケットボール・プレイヤーとしてはあまりに出来過ぎ、
ロール・モデル的な存在とも言えるレイ・アレンだが、
そのキャラクター、性格面でもそれはまったく同様で、
どこまでいっても優等生のイメージがつきまとう。
そのプレイが模範的であることは無論、何のマイナス要素も含有しない、
素晴らしいこと以外の何ものでもないが、それが性格についてとなると、
好人物であればすなわちプレイヤーとしても優れているとは必ずしも限らないところがある。
つまり、時と場合によっては、その性格が優しすぎるために遅れをとることもあり得る、
ということである。

そのことを最も如実に表しているエピソードが、
2000年1月のミルウォーキー・バックスvsトロント・ラプターズ戦で起きた。
当時バックスのスター・プレイヤーだったレイ・アレンは、
同月フルメンバーが発表されたシドニー五輪のアメリカ代表チーム、
いわゆる“ドリーム・チーム”の一員として選抜されていた。
一方、対戦戦相手のラプターズのエース、ヴィンス・カーターは、
アレンとともに代表入りが有力視されてはいたものの、
ふたを開けてみれば発表された最終枠にその名前はなかった
(後にトム・ググリオッタ*6が負傷辞退したため、補欠枠で代表入りを果たす)。
そんな背景の中行われた両チームの試合中、代表から漏れたカーターが
明らかに故意にアレンの鼻面にエルボーをぶちかますというハプニングが起こった。
アレンの顔面はみるみるうちに鮮血で真っ赤に染まり、
試合も一時中断するという激しさ。

この事件によって、もちろんヴィンス・カーターの粗暴さがクローズアップされはしたが、
それとともに、レイ・アレンの精神的な脆弱さというものが露見したこともまた事実。
もちろんアレンに直接的な責任はなく、仕方がないことではあったが、
試合中のフィジカル・コンタクトも我々の想像を遥かに絶する激しさで行われ、
またメンタリティもタフでなければやっていけないNBAというシヴィアな世界において、
とかく加害者よりは被害者になってしまうことが圧倒的に多い
レイ・アレンというプレイヤーを象徴する事象として捉えられたのである。

品行方正でジェントルマンなアレンは、リーグからのパーソナリティーの評価も高く、
ナショナルチームの選抜メンバーの常連であり、
また一般的にハンサムと誉れの高いそのマスクでもって、
スパイク・リー監督の映画「He Got Game」(邦題『ラスト・ゲーム』)で
デンゼル・ワシントンミラ・ジョヴォヴィッチらと共演を果たすなど、
オンコート以外でもまさに順風満帆の人生を謳歌しているようにも見える。
ここにあと少しだけプレイ中のアグレッシヴさが加われば、
より完璧な形のバスケットボール・プレイヤーとして進化を遂げることになるかも知れない。






*1 マジック・ジョンソン…1980年代、“ショータイム・バスケット”をウリにしていた
   ロサンジェルス・レイカーズを率いたポイント・ガードにして、
   50年を超える歴史を持つNBAを代表するスーパー・プレイヤーの一人。
   当時のガードとしては非常に稀な206cmという長身、そして名高い“ノールック・パス”で知られる
   卓越したコート・ヴィジョンを武器に活躍。ボストン・セルティクスのラリー・バードとの
   長年にわたる良きライヴァル関係は有名。1992年、HIVウィルス感染が明らかになり引退、
   以後プレイヤーとして、またヘッド・コーチとして復帰を果たすが、成功には至らず。
   現在はコメンテイター。

*2 ラリー・バード…80年代当時、ガタ落ちしていたNBAの人気をマジック・ジョンソンとともに
   大きく引き上げたスーパースター。運動能力には決して恵まれていなかった白人フォワードだが、
   正確無比のスリーポイントシュートと天性のゲームセンスを武器に、3度のNBAチャンピオンに輝く。
   1992年、バルセロナ・オリンピック代表となったオリジナル・ドリームチームの一員。

*3 フェイドアウェイ…ディフェンス・プレイヤーのブロックを避けるため、
   真上ではなく後方に跳びながら撃つジャンプシュートのこと。非常に難度が高い。

*4 マーク・プライス…クリーヴランド・キャヴァリアーズを中心に活躍し、1998年、
   オーランド・マジックでそのキャリアを終えた185cmの白人ポイント・ガード。
   ゲームメイキング、アシスト能力もさることながら、その超高精度のシューティングを武器に
   得点力のあるポイント・ガードとして長くリーグに君臨していた。
   キャリア通算フリースロー・パーセンテージ90.4%はNBA歴代第1位。

*5 ペネトレイト…和訳は「貫く」。ゴール下に切り込んでいくプレイのこと。

*6 トム・ググリオッタ…フェニックス・サンズ所属のフォワード。1992年に
   ワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)に入団して以来、得点力とリバウンド力のある
   プレイヤーとして活躍していたが、近年は故障がちで成績もふるわず、欠場も目立っている。





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