海洋空間ワシントンD.C.観戦旅行記



第4日
2003年4月15日(火)


7:30起床、シャワーを浴びる。
今日は日本へ帰る日だ。
荷造りも昨夜の内にあらかた済ませておいたので、
あとはアメニティ・グッズなどを詰めるのみ。
出発までにはまだ少し間があるので、部屋でテレビをボーっと眺める。
アニメチャンネルを点けると、ポケモン英語ヴァージョンをやっていた。
ポケモ〜ン(アクセントはポ)と叫んでいたよ。
また、前にもチラリと書いたがMLS
サッカー中継(この時間だから録画か)もやっていたよ。

9:00にロビーに集合、一同バスに乗り込んで空港へと向かう。
この後日本には帰らずにフィラデルフィアに向かう
九州のYさんも見送りに来ていた。

ちょっとは見慣れた感のある市街中心部を抜け、
バスは空港方面へとハイウェイをひた走る。
と思っていたらウィークデイの午前中なので、ハイウェイも渋滞してきた。
ガイドのYさん(九州のYさんではありません)曰く、
このあたりは全米でも渋滞することで有名な幹線道路の1つだということだ。
しばらくノロノロと進むばかり。
この時に周りを走っている自動車たちを改めてゆっくり見てみたが、
やはり日本車はどこに行っても多いなあ。
登録台数はホンダが一番多いらしい。
もちろんトヨタ、ニッサンもたくさん目に付く。
いわゆるアメ車、って感じ丸出しの車はまったくと言っていいほど見なかったな。
もはやそんな時代ではないのだろう。
アメリカにはデカくてキタナくて屋根がないアメ車が走り回っている、という認識は、
日本にはチョンマゲを頭に乗せたサムライがウロウロしている、
という認識と今や同義に近いのかも知れない。
あぁ、さっき“日本車はどこに行っても多い”ってのは口、じゃなく指が滑ったな、
韓国は確か日本車輸入禁止らしいので、
ボクが行った時も本当に1台も見なかった。
ヒュンダイのCMはバンバン日本で流してるクセに。

市街中心地と空港を結ぶハイウェイが通っているこのあたりのD.C.郊外は、
いわゆる閑静な住宅街、役人や諸外国の職員の住居も多いらしい。
また、シリコン・ヴァレイ
(カリフォルニア州にある半導体産業が集まっている地域)と同様に
、IT関係企業が多く居を構えている一帯でもあるようで、
AOLの本社ビルもあったりした。

ホテルを出発して1時間弱で、ダレス国際空港に到着した。
とりあえずチェックインをするが、
あいにくボクの所望する非常口席は空いておらず、
最後列の通路側の席をあてがわれた。
全員チェックインが済んだところで、ガイドのYさんとはお別れだ。
お疲れ様でした。

ダレス国際空港は国際空港の割りにとても小規模だが、綺麗な空港だ。
我々が搭乗する成田行きANA12:20出発
まだ2時間ほどあるのでとりあえずタカシマくんとともに
隅々まで歩き回ってみる。
一昨日、スミソニアン博物館航空宇宙博物館で買い求めた
ナゾの宇宙食が空港内でのショップでも販売されているのを見て、
2人でちょっと落ち込んだよ。
その怒りのあまり? か、
タカシマくんはカバンの中から宇宙食を1パック取り出して
おもむろに食い始めた。
そして完食した後、「もう食べません」とボソリと一言呟いたのだった。
ボクも朝食を食べていないので当然空腹、
しかしこのあと機内ではすぐに食事が出るだろうから耐えようか、
と少々悩んだが、
結局売店でハーシーズのミルクチョコレートコーヒーを買って食べる。
ハーシーズ大好き。

ただひたすら時間を潰し、12:20の定刻に無事機はアメリカ大陸を離れた
ボクの席は先述の通り最後列の右サイド、2人掛けの席の通路側の方で、
隣はヒスパニック系の30代ぐらいのズングリしたおっちゃん
あまり飛行機には慣れていないようだ。
通路を挟んだ左隣がタカシマくん

往路もそうだったが、2度の機内食をことごとく綺麗に完食した。
ただじっと座っているだけなのに、人はなぜお腹が空くのだろう。
そして、何も体を動かしていないということが火を見るよりも明らかなのに、
確実に空腹感を覚えてペロリと出された食事を食べてしまっているこんな状況時、
人は(ボクは)なぜ言いようのない罪悪感にこんなにも苛まれてしまうのだろう。
何だか巧く表現はできないので抽象的な言い方になってしまうが、
着実に退廃に向かって歩を進めているなオレは、
とガツガツ食いながら感じてしまうのであった。

ほとんど眠気を感じることがなかったので、飛行時間約13時間中、
寝たのは1時間もなかった
持参していた文庫本、
「パラレルワールド・ラブストーリー」(東野圭吾)を読了した後は、
音楽を聞いたり新聞を読んだりモニターでニュースを見たりしていた。




第5日
2003年4月16日(水)


日本時間で翌16日の15:20、無事に成田空港に降り立つ
ここからは国内線で大阪に向かうぞ。
スーツケースも問題なく出てきた。
タカシマくんを始め同志たちの多くともここでお別れだ。
達者でなぁ。
しかし羽田に比べて成田の国内線の扱いのショボいことこの上ない。
待合ロビーとかもほとんどないに等しいぐらいだし。
しかも乗る便の出発時刻は17:55、何と2時間以上も待ち時間がある。
幸いロビーも空いていたので、長イスにゴロゴロしながら待つばかり。
普段日本で毎週購入しているマンガ雑誌を売店で買って読んだり。

時間がきて飛行機に乗り、19:10伊丹空港に到着した
そしてタクシーに40分ほど揺られて20:00過ぎに自宅に無事帰還。
前にも書いたが普段から時間的には不規則な生活をしているので、
今回の旅もほぼ時差ボケに悩まされることもなく終えることができた。
だからもちろん次の日から仕事が始まるけど体の方は問題なさそうだ。

今回の“アメリカ NBA観戦旅行”の最中、また終えてから思ったこと。
大好きなNBAや楽しかったスポーツ・レストラン、
歴史もあり景観も美しいD.C.のメモリアル・スポットなどなどにはもちろん大満足、
とても有意義だったけれど、こと生活という点について考えてみると、
やっぱり日本が一番じゃなあ、と素直に感じた。
言うまでもないけれど、
生活を取り巻くすべての要素が変わってしまう外国で暮らすということは
本当に大変なことなのだ。
海外に行くたびにそれはいつも体感して帰ってくる。どんなフィールドにおいても、
自分の生まれ育った環境を離れて異国の地で日々戦っている人たちは、
月並みな表現だけど本当に頑張っているんだなあ。

(了)



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