海洋空間壊死家族2



第12回

厨子王   2003.6.28



酔ひて弓手ひきまわしたれば
灼熱の赤き煙草がかかやき
すと押しつけさせたまひて
火の吸いつきたるさまぞ
我が手首いとおしかるらん
焼籠手もむくつけきこととてあれど
安寿の執着きはまりたれば
我が世たれぞ常ならむ
とぞ思はんに



姉さん!ピンチです!
姉さんがどんなヒトで、何してる人なのか分からないけど、さっきピーピーでわっわっっと内股気味に階段をかけ下ったときそんなコピーが口をついて出てしまった、というところが、何となくおかしくて、含み笑いしつつ便器に座ったままいろいろ考えてみたんだけど、あの、「ホテル」というドラマの高島マサノブ、というのはいったいどんな親族状況なのだろうか。
考えてみると、彼の実生活のほうの家族状況というのも、父親はナポリタンスパゲティーみたいだし、母親はボンカレーだし、兄貴も両生類のケイン・コスギみたいなイメージだし、つまり、無気味な感じはするものの、実体はいまいちよく分からない。
しかし、それよりもさらに、ドラマの中での家族の状況というものが、見ていても空をつかむようで全然まったく分からない。
「ホテル」というドラマをずっと継続的に見てるわけでもないし、手早く言うと、3回くらい見たことがあるだけだと思うのだが、見るたびに思うのは、この、姉さん!という呼びかけは一体なんなのか?という疑問である。
私が見た回の中では、とりあへずこの「姉さん」は一遍も出てきたことが無い。
その姉さんに関する説明もいっさい受けたこともない。
ただ、場面が変わるたびに、あの暑苦しい声で高島マサノブが、姉さん!と実体の無い姉さんに語りかけるのである。
これを見ている人はこの姉さんを果たしてみんな知っているのだろうかというのは長い間疑問であったのだが、しかし、それを知らなくても、ドラマの進行上、理解上、一切影響が無いため、「姉さん、姉さん」言うわりには、そのまま黙って見ているという自分が何となくそら恐ろしい感じはしていたのである。
例えば、同じように語りかける人物としては、「北の国から」の純君がいるけど、こちらのほうは、その父さん!の父さん、つまり、五郎さんについて、自分の親よりも性格や経歴を知っているというこれまた異常な状態であるので、聴いていて、全然違和感が無い。
青大将だからねえ。

そんで、冷えきったお腹をさすりながら、さらにトイレに座ったまま私の頭はその辺りをうろうろとうろつくことになる。
なんたってそういうときって本当にヒマだからね。
そのお姉さんというのは、まあ高島の報告口調からいって、ホテル系の人なのかなあという察しというか、目星をつけると、ほんじゃ、そのお姉さんは今何をしているのか、生きているのか死んでいるのか、連絡は取り合っているのか、もしかしてとてつもない事件に巻き込まれて、その借金やら、何やらのカタに弟が体で返報しているというようなドラマ設定なのか、考え出すと悪いほうへと際限なく想像は膨らみ転げだす。
しかしまた、ここで、はっと、恐ろしいというのか、そんなことがあっていいのかというのか、しかし顔のほうは正直に「あらまあ!」という人の秘密を知ってしまったいやらしい人間のサガがひょっこりと顔を出して、「そういうことだったのか、マサノブ君てば!」というトーのたった、さみしくもさもしいオバちゃん根性が心を浮き立たせる。
つまり、マサノブ君は、行き付けのいかがわしいところのオネエチャンにマザコン気味に呼びかけていたのではないか。
「早く仕事終わんねかな・・・終わったら駆けつけ3杯でガァーッといっちゃって、今日こそはパァーッとだぁーっとやっちゃうぞぉぉーう」というようなアフターファイブ命のオッサンの、汗と脂と悦びと焦燥の「姐さん!」ではないのか。
そう考えてみると、確かに何かしら困った問題が起こったときに「ネエさん!」と絶叫しておるようだから、「仕事終わったら、いの一番に駆けつけて・・・」という予定と策略のつじつまがずれてしまうという、予定不調和を嘆き悲しむ心の叫びなのかなとも思えてくる。
しかし、ここでさらに「ねえさん」という言葉を考証していくと、普通「ねえさん」という呼びかけは誰に使うか、どんなときに我々一般人が使うか、というスジでは、これは、ストレートに「義姉さん」という使い方が最大公約数的使用法なのではないか。
確かにカツオはサザエに対して「ひどいや、姉さん」というような使い方をしているが、あれは、実の姉弟ではない、という話も人口に膾炙した話であるから、例外ともいえないし、やはり、「ねえさん」は「義姉さん」というところに落ち着いてくる。
例えば、かあさん、おかあさんというのも、いい大人が自分の実の母親に言う言葉ではない、と私は思っている。
私ぐらいの年齢になってくると、オバアとかオバアやんという呼び名に変化するほどで、面と向かっては、「オカア」や「オカアちゃん」がまあ照れずに使える限度のところである。
そういう意味でも「かあさん」は「義母さん」という意味で使うのが一般的である。
同様に、実の姉というのは普通「姉ちゃん」とか「おねえ」とか呼ぶ。
よっぽど暮らし振りがペディグリーチャム化したお屋敷に住まわないと、そういう余所行きの言葉遣いはなさらないと思うのである。
つまり義理の姉こそが「義姉さん!」にふさわしいという結論が導かれてくる。
しかし、このような推論からは新たなる問題が提議されてくるというのはよくあることで、つまり、この「ねえさんっ」が「義姉さんっ」だとすると、これはまたちょっといかがわしい雰囲気が、マサノブ君の弛緩した口のあたりから、よく冷えた二酸化炭素のように溢れ漏れてくる。
私には実の兄も義理の兄もいないので、これからの人生を、一生義姉を持つことができない、というハンデを背負って生きていくことが宿命づけられているのであるが、しかしそれだからという訳でもないのだろうが、「義姉って、いいな・・」という辺りをはばかるような、つぶやきにも似た、心の奥底に秘めた欲望と策略と胎動のうごめきというものが、男(私)にはあるような気がするのである。
それは「白い歯って、いいな・・」というさわやかなフレーズの中に秘められた蓄積したタールのようなおぞましくもたくましい男の羨望ともシンメトリックで、もうたまんない・・という感覚でもある。
そういう異常感覚をもってしたマサノブ君の熱い「義姉さん・・」というのは、ちょっと公共の電波に乗せたテレビ放映には似つかわしくなく、家族と一緒には見られない、ロリエのコマーシャルのような、こたつの中の足が動いて触れるのもはずかしい肛門期的ニューセンセーションである。

ところで翻って、目下の私の状況は、というと、くだらないことをケツ出したまま長々と妄想していたため、さらにお腹の状況は急降下、情けなくも力なく、うつむき加減につぶやいておるのである。
「ねえさん・・・ピンチでえす・・」とな。





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