海洋空間壊死家族2



第27回

   2003.11.4



乾燥した背中の割れ目から
あらたしき我が身体は芽生えぬる
みずみずしく汚れを知らぬその白子の膚
反り返りて享受せん
背徳と快楽の磊落

しばし遊びてふと
萎びたる抜け殻
あわれみてながむれば
動かぬ殻の目の奥からじとこちら凝視する
わがいやしき心根にきゃあ
とにわかに大音声発して
千々に乱れて身のはえも知らずなりて
失せにけり



「大人」というのは普通に読めば「だいじん」であって、中国ではこの表記はまったくそういう意味である。
「小人」も同様に「子供」という意味はほぼなく、儒教道徳的に言うとひどく悪口になる、平たく言うと「器量が狭い」という、私などは過敏に反応してしまうような、はっとする胸突き八丁的言葉である。
そういう観点で遊園地などに行くと、つまり大人800円小人300円などと色あせたような文字が浮かんでいて、だったら俺は小人として蔑まれてもいいな・・というような見栄と現実の打算が心の狭間でゆらめく、学割のきくストリップ小屋やラブホテルのような気配が漂ってきて、想像するだになかなかに楽しいものがある。
さらにじゃあ日本的に「おとな」という訓読みにしてみてもこれは時代を遡れば西方南方的村の役職名のようなところが出身地であって、なんで今の意味にたどり着いたのか理解不能な概念なのである。

大人とはいったいなんなのか、という問いは大人に遷化したいまではあまり実効性のない、しかも顧みる必要のない疑問になってしまったけど、自分が子供だった頃、というのを思い出してみるにつけて、大人の不可解さと、大人への畏怖、大人的行為への憧れというものは明快にあった気がする。
そして、これは我が周囲の人々(当時子供)の気持ちというのをきちんと聞いておかなかったのでそれほど確信はないが、大人になりたいと思っている子供、というのは存在しなかった、というのは不正確であるな、つまり、限りなく正しい学級委員長の大場君のような人間でないかぎり、「大人にはなりたくない」というのが子供の総意であったのではないか。
早く大人になって働いて、社会のためになりたいですなどという正しい人間とは私、口を聞いたことがないのである。
オトナノ階段ノーボルーなどというさわやかな歌が昔流行ったことがあったけど、実情としては先の見えない急激なラセン階段をクダル、というようなネガティブな印象のほうが正しい気がする。
そういう意味で大人という存在にたいした尊敬気味の感情はなかったけれど、それと反比例するように「大人になったら、こんなことしたんねん」とか「大人になったら誰にも遠慮せずこんなことできるようになんねん」と群馬育ちのくせになぜか関西風にこぶしを握り締めて、第二次反抗期まっさかりの小さい胸に誓った事柄があることを最近思い出したのである。
つまり大人というのは人間の負の形態で、その割りにあわない役回りの代償に何かを要求する、保健委員になれば委員会のある日は授業を抜けれる、給食当番の日は好きな焼きそばを大盛にしてもいい、というような特権的役回り要求である。
そしてその要求とは、想像通り、社長になって人を使う人物になるのじゃ、とか、国連に行って困っている人々を助ける仕事をするのじゃあ、とか未来少年的アンビシャスなことどもではなくて、もっと生活密着型の、大局的に見るとどうでもいい、近所のオバハン的な欲望である。

第一に(って大仰だなあ)丸美屋のふりかけを全種類テーブルに並べて、それを「もおいい」というくらい御飯にまぶしまくって食べまくること。
うちではふりかけや御飯の供のようなもので白御飯を食べるのはよほどの困窮時に限る、という父親の強権的条令が発布されていたので、たまにおかずがなくて食べるのりたま御飯や、ナメタケ御飯、さらには味噌汁ぶっかけ御飯というのが本当にうれしくて、それを腹いっぱい、制限されることなく食べてみたい、というのはひそかな熱烈願望だったのである。
特に味噌汁ぶっかけ御飯というのは、他のふりかけや瓶詰めナメタケと違っていつも御飯と一緒に出てくるのに、そして胃に入ってしまえばその処理後の消化器内情景というのは一緒のはずなのに、それをやった途端、肉体労働者の大きな手でぶったたかれる、というところが、語感的にもピッタリのぶぶぶのぶっかけ男的な魅惑食べ物であったのだ。
まあいまとなっては逆にそんなもんより、おいしいおかずが色とりどりに並んだ、もみじ御膳なんてほうが数倍の魅力を持つ、という汚れた思想に支配されてしまっているから、いまさらふりかけや梅干しなんてどうでもいい、というところがうら悲しい。
しかも時代は巡り、自分の子供にもまったく同じことを言っている自分がいて、さらに悲しくなってくる。

第二に、テレビを一日中見まくって、さらに一日中テレビゲームをしまくって、そのあいだじゅうポテトチップスをかじり続ける、といういま考えると病的な欲望である。
まあこれは大学生の時にある程度達成してしまっているが、それをもう一度機会があったらやるか、といわれれば「まず、しない」というところがその欲望の空虚さを物語っているといえる。
特にこの欲望の三要素はどれをとっても今となっては想像しただけで味の素を舐めすぎたような感覚に襲われる、つまり気持ち悪くなるというところが堪らない。
また、逆に、一日中見ていられるようなテレビ番組やゲームがなくなったという昨今の事実があって、それはその供給側に問題があるのか、需要側に問題があるのか、その辺はきっちりと今後詳細をつめていく必要があると思われる。

第三に、こたつで寝起きする。
これも想像するのとやってみるのとで大違いの代表選手であって、あの「ほれ、風邪ひくよ!」などという掛け声とともに蹴飛ばされるときの快感とはまったく逆に、誰にも注意されず朝までこたつで寝て起きたときの心持ち、というのはトライアスロンのゴール時点てこんな感じじゃなかろうか、というほどグロッキーなものである。
そしてあの呪いの言葉通り、必ず風邪をひいてしまうというところも、ある意味背筋の寒くなる話である。

第四に、夫婦喧嘩のない家庭。
父親と母親がすさまじい喧嘩をしている家の子というのはすさまじく不幸である、というのは私の持論であるが、これも実際にやってみると果たして何のためにそんなものに憧れていたのか、というか、自分が親の立場ではあまり恩恵がないではないか。
そしてこれは江戸の仇を長崎でとるというような虚しい出来事であった、というのが行き着いた結論である。

第五に、ケロッグを毎朝腹いっぱい食べる、あるいはマクドナルドのハンバーガーを昼飯に腹いっぱい食べる。夜はスカイラークでお子様ランチを腹いっぱい食べる。
つまり洋風の食生活に憧れていたのであるな。
昔の感覚でいうとケロッグやハンバーガーって病気になった時なんぞにわがままで買ってもらう食べもんで、特にマクドナルドのハンバーガーって私の記憶が正しければ20年前は一番シンプルなやつでも一つ300円以上、下手すると500円以上する食べ物だったような気がする。
※編集長註…もっとも高価だった1985年〜1995年において、ハンバーガー一個210円であった。

缶ジュースが1本100円の時代にである。
ほんでまたうちは農家の貧乏暮らしだったから、売るほど採れる自分んちの米を食うのが当たり前で、しかもうちの父親なんかいまだに外食は和食じゃないと行かないような人なので、滅多なことでは洋風の子供食べ物は口に入らなかったのである。
あるとき100円バーガーってのを看板で見たとき、衝動的に合計8個800円也を幸せに満ちた表情で購入、摂取したのだけど、おいしいと思ったのは最初の2個までで、残りは食べる、というよりは咀嚼処理というかんじの牛に失礼な食べ方になってしまったのでそれ以来その欲望は封じ込めている。
しかし友人のTF君などはその夢を達成しており、彼のうちの食器棚の上にはケロッグが常時十数個の重なりを持って並べてある、というところが我が羨望の対象なのである。

第六に酒を飲みたい。
こうしてみてみると、現在、満足に夢を達成してそれを喜べる結果として享受しているのはこれだけである、というところがあまりにせつなく、あまりに悲しい酒である。
備忘として書いておくと、チャンチキおけさ風の黒田節をがなりつつ、徳利から水を飲んで暴れるという遊びを小学生の頃していた、というのはいま考えると人生の象徴的出来事であった。

しかしこのように昔の心持ちを思い出して感傷に浸るというようなことを30になったばかりの働き盛りの男がだらだらやってていいのかという、やや展開展望的心情が鎌首を上げてくるので、それでは、と足を組み直しつつもう少し建設的に、これからやってみたいこと、というのを考えてみる。
えー、第一に、旅行して酒呑んできれいなオネイちゃんと遊びたい。
うーん、即物的、刹那的、直截的なところが、昔と変わらないといえば変わらないなあ。
世の中の子供ドモよ!大人とはこういうものなのだあ。





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