海洋空間壊死家族2



第42回

追憶   2004.3.20



髑婁の旗はおれの旗
おれの死に場所の目印さ

〜保富康午〜



ある世界では世界的に有名な、キャプテンハーロックという人物がいて、そのアウトローかつハードボイルドな生き方と思想はあらゆる人間の雛形ともいえるすばらしき高尚さに満ちているのであるが、その人があるときある別れ際に、「ここが一番安全だ・・」と胸に想い出をしまって去っていくという名場面があった(と思う)。
わたしなんか単純だからその言いグサにぐさーと来てしまい、それじゃあということで「ここが一番安全だ!」という場所にいろいろなものを詰め込みながら今まで30年間やってきたけれど、実際にはその安全な場所というのは知らぬまに野ざらし雨ざらしになっていて、目立たぬ片隅のほうからふわりふわり、あるいはたらりたらりと、レアな収集物が継続的に漏れては春の夢や風の塵となっていくということが一方では現実なのである。
つまり、あの時のことをどうして写真に収めておかなかったか・・とか、前回はどうやったかなあ・・とか、あれ?いま赤やった?・・とか、そういう後悔先に立たずの記憶破壊に直面することがちょくちょくあるわけである。
とくに25歳を過ぎた頃からその程度というものは悪化頻発して、ボケ老人もびっくりの進行速度で累積的に進捗してきている気がする。
例えば、むかし一人で東北に行ったときに入った数々の温泉群、というものがいま、思い出そうにも思い出せず、あの時入ったのはこの温泉だったか、それともあの温泉だったか・・?という「記憶」と「外部情報」と「自らのしゃべり」の三つ巴の齟齬をとてつもない規模で感じたり、あるいは、中国に行ったときに出会った女占い師(人相見)の言ったことって結構気に入ったのだけど、具体的な予言と指示は、なんて言ってたのだっけなあ・・?と考える記憶の糸のか細さとはかなさといったら、斉の海上蜃気楼にも似たおぼつかなさで我が脳外科外来に霞み迫ってくる。
実際、日本中を巡って入った温泉の数って人後に落ちない程度はあるはずなんだけど、その中学高校生からの入湯の記憶の曖昧さは、戦後日本男児の大半が自分の奥さんに対して「貰い手がいなかったから貰ったった!」というような類型的かつ願望的五里霧中の果てという思い込み感覚に似ていて、ほんと二回目行ってみて初めて、「あ・・ここ来たことあるわ・・」というばかばかしさとくだらなさなのである。
本屋に行って、「あ!こんなんでてたんやぁー」と喜び勇んで買ったノアール本が実は3年前に買ってあって本棚に眠っていたり、お、安いやんか!と思って特売のお好み焼きソースを買ってスキップで家に帰ると戸棚に三つも四つも在庫が積まれていたり、その心理的・経済的喪失感といったらないのである。

ほんで、具体的にずしりといま後悔してるのは、写真というものを撮らなかった過去の栄光の日々のことである。
サラリーマンになって行動と思考の薄まった暮らしをしていると、過去のおぞましくもたくましい経験の威光が後光をともなって発揚されるのであるが、そういう過去の事象を懐かしく思い出そうとすると、なんだか靄がかかって、詳びらかなところが判別できなくなっていることに気づく。
しかもそういう、気になって眠れないような重箱の隅の出来事というのは決して写真などに残ってはおらず、コーヒーの中に沈めた角砂糖や、山中の城壁のように崩れてあいまいな姿形に身ををやつしてしまっている。
今でこそDVDカメラまで購入して子供の成長というか、卑小さをカメラに納めて後々楽しもうと思っている淫靡かつ未来少年的な趣味持参なのであるが、その昔はまったくといっていいほど、みずからの足跡というものを形に残すという意識が欠落していたのである。
その結果、その形式的情報の空白は、一人旅の時という地域限定期間限定のコンディションで頻発しており、当時の事情は誰かに問い合わせたら判明するというようなあまちょろい事態はなく、ややもすると、その記憶自体が作られた記憶であって、実際はそのような出来事自体存在しないという可能性も取り沙汰されるとんでもない白痴状況なのである。
例えば、あるグループでどこかに出かけたような場合、必ずその中に一人はカメラの申し子のような人間がいて、その道中、あるいは人生の節目にカメラを持ち出してはその適宜的才能そのままにすばらしいタイミングで写真を残していてくれる。
こちらとしてはそのこぼれ出てくる富栄養化した水のしたたりに群がる植物プランクトンのようにわあわあと跳ねしばたいていればそれでいいのである。
しかし、わたくしの一人旅の場合、そのような機知と機転というものはほぼ皆無に等しく、特に、面倒くさいのをその冒頭のかっくいい名言に結びつけて横着した人間というのは後々その過去の時間的機会的資源の償却率の高さに途方に暮れることとなるのは自明の理である。
例えば、中華人民共和国をひと月くらい旅したとき、ほとんど、いや、まったく知己というものもおらず、長江付近をうろうろしていたときの想い出というのは、寂しさと地平線にかすむ埃色の世界というのが印象であって、その道すがらの親切な人たちや見た観光資源どもはすべて感情の中に封じ込められてしまっていて、その表情や、顔貌や、質感が、まったく映像としては浮かんでこないのである。
うれしかったことや寂しくてめそめそと酒を飲んだことや、きれいなお姉ちゃんにふらふらついていった感情の高ぶりなどが集約的にインプットされており、その個別具体的な色彩というものがあまりに茫洋としている。
どの都市のどのホテルでどんな飯を食ってどんな交歓をしたかというような細かなディテイルを省略したうろ覚えになっているのである。
つまり、極言すれば、それはある意味バーチャルな体験であって、自分という存在と思念を信頼しない限り、限りなく嘘に近いものに分類されていく可能性がある記憶である。
そういう意味では、写真や音声に残されていないものというものはすべて現在のワタクシの主観により把握されている、真実から最も遠い仮想現実であって、3日前にはかなり違った捉え方をされた、あるいはまったく違う内容であったのかも知れない、とんでもなく不安定な感覚なわけである。
一つの出来事を2人の人物がまったく別のこととして記憶しているということもあるように現世界に起こる森羅万象は猛烈なる多面性を有している。
そう考えてくると、あの時「写るんです」でも「日光写真」でも、あるいは「テレビくんソノシート」でも、その緊迫とした現場の光と陰を一部たりとも残しておくべきだった・・と考えるのは若さを無くしつつある人間としては至極当然の慨歎なのである。

しかしですな、ここでふと考えてみるに、その写真などの形式的情報として残された、客観的事実に裏づけされた、正義と葵の御紋に裏打ちされた記憶というものが果たして、どれだけ正しく、あるいはどれだけ正確に当時のことを伝えているか?というと少し自信がなくなってくる。
確かにその写真の日付や光芒や、写っている人間の表情などから、類推しつつ、その現場での記憶をたどれば、かなりの確率で当時の状況というのは脳内再生できるであろう。
しかしここではっとするのは、このとき写真のうちなるネガ情報を現在の自分がもう一度ポジに焼き直して、判断情報処理しているという事実である。
この現在の自分が仲介手数料・中間マージンをとっているというところが、なんともうさんくさく、なんとも信用できないと思う。
これはもう、多分に個人的な問題で、自分という人間を信用できるかどうかにすべてはかかっているのであるが、はっきり言うと、私は自信がない。
私にとって一番信用できない人間は私なのである。
例えば、私が大学生の時に中国地方から小豆島経由山陽〜九州を旅したことがあって、この時は4人の旅であったから、写真家のK君がフィルム5本分くらいの大量の写真情報を残してくれたのであるが、この中に、宮島(だったと思う)の水族館で、何かの拍子に仰向けにひっくり返ってしまったカブトガニをそのK君が元に戻して(表返して)あげた、日本昔話のような感動的説話写真というものがある。
そして、その蟹がひっくり返っている写真=1.と持ち上げた写真=2.と元に戻った写真=3.という3枚の連続写真の相関関係というのは、今になって考えてみると、どうとでも捉えられる状況証拠写真になっていて、通常の蟹=3.と持ち上げた写真=2.とひっくり返った写真=1.という順番、つまり、カブトガニをひっくりかえしてくけけけと笑っている性悪イタズラ大学生K君のように見えなくもないのである。
そしてあろうことか、その当時の記憶というものはあまりに寂しく風化してしまっていて、K君に限って・・とは思うけれど、その「写真に残っている」という、あからさまにアリバイづくりな事実が逆にその疑念を援護射撃していて、簡単に言うと、その写真を見るときのK君に対する私の情感によってその写真1.2.3.のアルバムでの並べ方は二転三転しているのである。
一応K君の社会的評価のために述べておくと、彼は近頃めづらしい本当に(は)正しい男であるし、私の娘の名前は彼につけていただいているのである(あまりフォローになってないけど)。
ま、何が言いたいかというと、写真やその他もろもろの過去情報記憶残存媒体装置というものも、あまり当てにはならないな、ということである。
ハーロックが言ったようなワガ胸一つというのも何だけれど、写真や文書で残した、多い日も安心というような、カタチに残された記憶というものも実際にはその人の感情に左右されているという意味においてはあまり写実的ではない。
そういう徒なる労力を避けるという点では、月日の出来事というものも胸の抽斗の上から3段目辺りに適当に放り込んでおいて、たまに虫干、棚卸していくのが正しい人間の生きていく上での情報処理方法なのである。





戻る

表紙