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第1回     2005.11.30 
 
 
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種田山頭火 
                  (1882〜1940) 
            自由律俳人。 
            山口県生まれ。 | 
 
 
 
 
 
少年の悲劇 
 赤子はオギャアと生まれた瞬間から、愛を目の当たりにする。 
幼少期の親の影響は人生の大半を占めるものだ。 
言うなれば、親の愛情が幼少期を占めるとも言える。 
人格形成において、愛情は不可欠である。 
生まれた瞬間の愛情パーセンテージを父から50%、母から50%としよう。 
児を育てる多くが母親だ。 
このパーセンテージは大きく女である母親に傾く。 
そう考えると、男のマザコンなんて当たり前のように感じる。 
もし、生きていく過程で片方が欠落したら、 
その児は恐らく今まで生きてきた半分以上を否定されてしまうに等しいだろう。 
理由は離婚、別居、死別云々あるが、壮絶な恐怖を感じるのは、 
親の愛を痛いぐらいに感じている私だからだろうか? 
加えて生き物に「甘え」はツキモノである。 
それも親の愛情如何で良くも悪くも左右する。 
生物の根本を作り上げるのは、紛れもなく幼少期における環境だろう。 
 
とあるテレビ番組で、某芸能人がこんなことを言っていた。 
「幼い頃にモノを与え過ぎると、脳の一部分の発達に遅れを来たし、 
将来的に我慢弱い人間になってしまう。」 
今日におけるフリーターやニート現象、また、毎年3万人を超える自殺者を考えると、 
なるほど納得がいく。 
そして、紛れもなく夢想家の私は、彼らの隣人である。 
 
種田山頭火は1882年(明治15年)、 
山口県防府市に父・竹次郎、母・フサの間に生まれた。 
家は周囲から「大種田」と呼ばれるほどの大地主で、 
その長男として生まれた彼は、一心の期待を背負うこととなる。 
裕福で、何不自由無い生活。 
しかし、父は政治活動に精を出し、おまけに非道い放蕩癖があったと言う。 
結果、叱られるのは、妻であるフサの役割。 
なんとも明治の日本らしい話である。 
幾度となく夫・竹次郎に注意を促す妻。 
しかし、人間の性格がそう簡単に変わるものではない。 
フサにも覚悟があった。 
 
そして、その日は何の前触れもなくやってきた。 
その日も竹次郎は女遊びに狂っていたと言う。 
後の山頭火はこう回想する。 
      5〜6人で遊んでいたら、母屋の方が騒がしくなった。 
      僕は遊んでいたのをやめて走っていったら、母親が紫色の顔をして、 
      土間に引き上げられたいた。 
      そしたら、親戚のものが来て、子供はあっちへ行けと引き離された。 
      
母は井戸に投身自殺を図った。 
      山頭火、10歳の春のことである。 
       
       
       ひつそり咲いて散ります  山頭火 
 
 
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