海洋空間佳本


月と蟹 月と蟹」★★★★★
道尾秀介
文藝春秋

2011.3.13 記
芥川賞の候補に挙がったとしてもまったく違和感のない、文学だ。
ミステリー色は何もない。
ただただリアルで、目を覆うほどの不幸に見舞われているわけではないけれど、どこかが救いようのない、等身大の少年たちの脳を通して見る世界があるだけ。
一大スペクタクルも、凄惨な事件も起きはしない。
しかし胸はチクリと痛くなる。

やはり圧倒的に上手い。
一見何でもないけれど、それでいて徐々に安全生息域が狭まっていくような、そんな物語の舞台に読者を引き込む技術にかけては比類ない。
こればっかりは生来のセンスとしか言いようがない。
そして、主たるモチーフとして選ばれた蟹(あるいはヤドカリ)という題材がまた、絶妙すぎる。
誰もが知悉して、容易にその姿を思い浮かべることができながら、それでいてどことなくグロテスクで、何か得体の知れない異形のもののように見えなくもない存在。
小説の終盤、慎一がヤドカミ様を幻視して戦いている時、読者もまた須らくヤドカミ様をすぐ傍に感知し、畏怖しているに違いない。

道尾秀介氏がまた一段ステップを上がった、紛れもない名作だと思う。





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