海洋空間佳本


山妣(上)山妣(下) 山妣(上)」「山妣(下)
★★★★★
板東眞砂子
新潮社

2007.11.19 記
直木賞というものは、その作家渾身の最高傑作が満場の賛意を得て射止めるというよりも、幾度か候補に上がって落選した後に、言葉は悪いが“もうそろそろあげとこか”的なタイミングで適当な作品に贈られるケースが多いように個人的に思っていたのだが、この坂東眞砂子の「山妣」に関しては決してそうではなく、これぞ直木賞という看板にふさわしい類稀なる傑作である、と痛感した。

ストーリー自体は決して難解ではないものの、重要で重厚なテーマが幾つも、時に独立して、時に絡み合いながら描かれ表現されているという、成分的には非常に複雑な作品。
何本もの太い幹や枝がそれぞれ個別の生命体であるがごとくねじり合いまとわりついている、鬱蒼とした広大な森の深奥に聳え立つ太古の巨木のようだ。

ほんのちょっとしたボタンの掛け違いのようなものが発生し、あるいはそれが積み重なり、境遇と状況はぐるぐると変容してゆく。
ああ、あの時こうしていれば、ああしていなかったら。
私は決して運命論者ではないが、ひょっとしてすべての人間はそれぞれの運命という明白な存在によって動かされているだけなのか? と疑ってしまうことしばしば。

そして、そんな人々を翻弄し呑み込んでいく運命を形作る数々の事象、数々の出来事は、それを観察する者の立場により、いくつもの異なった顔を見せる。
それぞれの些細なボタンの掛け違いは、ある者にとっては毒であり、ある者にとっては薬である。
白は黒。
神は悪魔。
この世は1つかもしれないが、人間が棲む世界というものは人間の数だけ存在する。
誰もが、自分が中心に据えられたただ1つの世界に棲んでいる。

1つの“事実”に対して無限に存在しうる“真実”を灰色に彩るのは、どうしようもなく哀しすぎる肉親の情愛。
浮世のすべてを捨て去り、隔絶された山に生きることを選択した女の母性を、私たちは一体どう受け止めればいいのだろうか?

限定された地域に土着しながら、そういったことを超越したスケールで繰り広げられる伝奇小説は、物語が進むにつれてどんどん加速してゆき、最後にはまさに疾走する。

「裏切らないはずの人が、自分でも気がつかないうちに、誰かを裏切ることになってしまう。世の中とは、そんなものだ」。





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