海洋空間エクアドル&ペルー旅行記



第8日
2007年8月8日(水) 「ちょっとしたアクシデントに始まったマチュピチュ入り」
     2007.10.31 公開


起床4:15、あたりはまだ真っ暗。
そしてさすがに寒い。
おそらく旅行者の出発時間が早いのが当たり前だからなのだろう、
4:30に営業が始まるレストラン朝食を摂った後、荷物をまとめてチェックアウト
今日はいよいよマチュピチュに向かい、
その近くのアグアスカリエンテスという町で1泊するのだが、
明日にはまたこのクスコの「ピコアガ・ホテル」に戻ってくるので、
いらない荷物は預けていく。

VISTA DOMEに乗る
まだ暗い中、サン・ペドロ駅でアグアスカリエンテス行きのVSITA DOMEに乗り込む

5:30、迎えに来た現地係員と合流して、車で鉄道の駅へ。
クスコからマチュピチュ観光の拠点となるアグアスカリエンテス駅へと
走る列車が出発するサン・ペドロ駅に着き、
今日マチュピチュを案内してくれる予定のガイドダーウィン氏を紹介してもらった後、
6時発予定の観光列車「VISTA DOME」に乗り込む。
全席指定、そしてその名が示す通り、
ルーフ部分がガラスになっていて見晴らしのよい列車だ。
まだあたりは暗く、そして寒いが、雰囲気は盛り上がってきたぞ。

クスコの街は朝靄に包まれている
陽が昇ったばかり、朝靄に包まれる街並みを眼下に、山岳列車はゆっくりと登っていく

定刻の6時に列車は出発
およそ3時間半の道のり、アグアスカリエンテス駅には9:30着予定だ。
かなりの傾斜を登っていく山岳列車なので、
最初のうちは前進・後退を繰り返しながらジグザグにゆっくりと進んでいく。
鉄道といってもパンタグラフがあるわけではないので電車ではなく、
匂いから推察するにディーゼルエンジンかな、動力は。
季節は冬、時刻は朝方、
そして標高は軽く3000mオーヴァーということで車内はかなり寒い。

車窓から
車窓からの1枚

道中、車窓に広がるのはアンデス山脈の悠大な景色。
山間の田舎村をいくつも通過していったが、車内から見ている限り、
なんだか道端とかに捨てられているゴミが多く目についた。
地元住民が打ち捨てたと思われる、
ペットボトルやビニール袋やプラスティック製のガラクタなど。
東南アジアに行った時なんかも思ったけど、
やっぱり外界から入ってくる情報量が少ない田舎であるほど、
環境などに対する住民の意識も低いんだろうな、と感じた。
まったくの余談になるけれど、
山高帽をかぶって小柄で色が浅黒いペルーの典型的なおじさんたちがよく歩いているが、
彼らを見ていて、私が勤める会社の近所にある焼肉店の店主を思い浮かべてしまった。
よく似ている。
あの店主はもしやペルー人か。

車内では飛行機のように軽食や飲み物を供され、
気分よろしく行程は順調に進んでいたのだが、そんな矢先に列車が緊急停止
アナウンスによると、車両の機械トラブルのため停止した、とのこと。
後で乗務員に聞いてみたところ、線路の上に載っていた異物を踏んでしまい、
車輪に異状が発生した、ということらしい。
いつ直るか、もう出るか、と思いつつ停まっている車内でソワソワしていたが、
なんと再び列車が動き出したのは2時間後!
こりゃたまらん。
到着が遅れるということはすなわち
マチュピチュ観光に費やす時間が削られていくということで、
乗客は私たちも含めてかなり苛立っていたように思う。
列車が動いた瞬間にはそこかしこから拍手が。

列車が止まっている間、車内の雰囲気も停滞気味…
機械トラブルで停車中の電車の中でジッと待つ満員の乗客…

クスコサン・ペドロ駅を出てから6時間弱、
正午前にようやくアグアスカリエンテス駅に到着。
小さな駅は乗客、客引きのホテル従業員らで文字通りごった返し。
私たちも狭い駅ロビーでガイドダーウィンを何とか見つけ出し、
無事にダーウィングループに参加を果たした。
ダーウィングループは全部で20名以上はいるみたいだ。
例によって見渡す限り日本人はいない。

から数分歩いて、マチュピチュへと登っていくバス乗り場へ。
ここもメチャクチャごった返している。
いくらハイシーズンの8月とはいえ、ものすごい観光客の数だ、マチュピチュ。
我々日本人からしたら遥か遠い地だけど、
アメリカ界隈の人たちにとってみたら結構お手軽な距離だしなあ。

アグアスカリエンテスの駅は文字通りごった返し
アグアスカリエンテスの駅を降りると文字通りのごった返し

混雑の中列に並び何とかバスに乗って、
あの有名なつづら折りのバス道、“ハイラム・ビンガム・ロード”を登っていく。
ハイラム・ビンガムとはマチュピチュを世界に初めて広く紹介した
100年ほど前のアメリカ人学者の名前。
おお、グッバイ・ボーイがバスに乗り込んでいるぞ。

バスに乗って上へと戻るグッバイ・ボーイ
下まで走って降りてきた後、バスに乗って再び上へと戻るグッバイ・ボーイ

下まで走って下りてきて客を見送った後、
登りのバスに便乗させてもらって山の上に戻る、という段取りになっているようだ。
ちなみに下界のアグアスカリエンテスとマチュピチュを往復するこのシャトルバスは、
20台近く走っていると推察される。

30分弱バスに乗り、マチュピチュ遺跡の入り口に到着した。
おお、ここが…と感慨に浸る間もなく、
降りるや否ややっぱりごった返しの渦に巻き込まれた。
後続のバスに乗ってくるダーウィンガイドを見つけ出して
速やかに合流しなければならない。

バスを降りたところ、遺跡入り口もごった返し
バスを降りたところ、遺跡の入り口も観光客でいっぱい

無事にダーウィンを発見、ピタリと彼に近いポジションをキープしつつ、
遺跡入り口脇でダーウィングループに対するブリーフィングを聞く。
ここでダーウィングループが英語ガイドのダーウィンガイドの方と、
スペイン語ガイド氏の方とに二手に分けられた。
その後ついに遺跡の中へ!

ダーウィンガイドの案内と解説の下、アンデネス(段々畑)、居住地跡陵墓
太陽の神殿三つの窓の神殿インティワタナ(日時計)、石臼
コンドルの神殿といった具合に回る。
遥か下の谷底に見えるウルバンバ川も趣がある。
このマチュピチュ、決して小さな遺跡ではないが、
頑張れば1日で回れないこともない広さのようだ。

アンデネス
アンデネス(段々畑)

陵墓
陵墓

太陽の神殿
上から見た太陽の神殿

三つの窓の神殿
三つの窓の神殿

インティワタナ
日時計の役割を果たしたといわれるインティワタナ

石臼
石臼

コンドルの神殿で熱く説明するダーウィンガイド
コンドルの神殿前で身振り手振り、熱く説明してくれるダーウィンガイド

ガイドダーウィンの解説はとても的確で面白い。
そして英語をしゃべるラテンアメリカのガイドの中でも、
抜群に英語が堪能であるように感じられた。
さらにインカの征服者たるスペインが嫌いなようで、
ある程度芸としてしゃべっているところもあるのだろうが、
随所にスペインの悪口を挟み込んで笑いをとっていたぞ。
1950年ペルー大地震が襲ったが、
インカ時代の石造りの建物はビクともしなかった。
スペインが建てたものは全部崩れたけどな!」と満面の笑みを浮かべながら叫んだり。
ああ、だからスペイン語圏の人たちを別のガイドのグループに分けたのかな!?

いやあ優秀なガイドだなあ、なんて思っていたら、
見学の全行程を終えた後、彼の著書即売会が行われた!
英語で書かれたマチュピチュの立派な解説書籍だ。
パラパラと読むと、相当長い年月を掛けて取材されているらしく、
なるほど、この地では研究者としても名の知れた人であるようだ。
私も買ったよ、サイン入れてもらって!

この日もとても天気が良くて陽射しがきつく、
またアップダウンも激しいのでだいぶ体力が消耗した。
特に体の小さな妻は参っているみたいだ。
しかし、あのマチュピチュを今こうして自分の足で歩いている、
という感動は何物にも代えがたい。
夏至(冬至?)の日前後、毎年6月24日あたりに行われるらしい
インティライミ(太陽の祭り)”の時に来てみたらまたどんなに素晴らしいのだろうか。
マチュピチュというと空中都市というそのキャッチコピー、
また切り立った山の尾根に築かれているあのヴィジュアルから、
相当高地にあるという印象があるかもしれないが、その標高は2400mほどで、
クスコよりも約1000m低くなっている。
我々はそのクスコからやってきたから、息も切れにくくなって動きやすく感じる。
といっても2000mを超えているんだから普通に考えれば充分に高地だけど…。

14時過ぎ、ダーウィンガイドに引率されたマチュピチュ見学ツアーは解散、
一旦遺跡の外に出て、目の前にある「マチュピチュ・サンクチュアリ・ロッジ」という
ホテルのレストランで遅めのブッフェランチを食べる。
到着がアクシデントで2時間遅れたから仕方ないな。
ちなみに私たちはこの晩、バスで下ったところの
アグアスカリエンテスの町に宿泊するので直接関係はないが、
往路の列車が2時間遅れたことを考慮し、
帰りの列車の出発時刻は定刻の15:30より1時間半遅らせた17時に変更されたらしい。
妥当な落ち着きどころだろうか。
ランチは高級レストランの割には、まあまあ。

マチュピチュ・サンクチュアリ・ロッジ前にて
昼食を摂ったマチュピチュ・サンクチュアリ・ロッジ前にて

テレビや書籍でよく見るマチュピチュはこのアングル
おそらく一番ポピュラーなアングル

昼食後遺跡に再入場し、
入り口すぐのところの斜面を上がっていったところにある監視塔へ行ってみた。
素晴らしい眺めだ。
テレビや書籍などでよく目にするマチュピチュの全体を収めた姿は、
ここからのアングルであることが分かった。
確かに全貌が最もつかみやすい地点かも。
リャマだかアルパカだかも近くにいて、とってもフォトジェニック。

マチュピチュを見下ろす2頭のリャマ
マチュピチュを見下ろす2頭のリャマ(アルパカ?)

帰りのバスを待つ大行列
帰りのバスを待つ人も大行列

その後少し遺跡内をブラブラ歩いてから、帰途に就くことにする。
行き同様、いやそれ以上に、バス待ちの行列がすごいことになっていた。
おなじみのグッバイ・ボーイもちゃんと現れた。
麓に下りたら、グッバイ・ボーイはバスに乗り込んできてチップを回収。
まあみんな払うわな、これは。

チップを回収するグッバイ・ボーイ
麓でバスに乗り込んでチップを回収するグッバイ・ボーイ

18時前、宿泊する「アトゥチャイ・タワー・ホテル」にチェックイン
暑さとハイクで結構疲れている妻は部屋で休み、
私は明日のマチュピチュ遺跡入場券とバスの往復チケットを買うという用向きもあるので、
アグアスカリエンテスの町へ出る。

アグアスカリエンテスの町の広場
アグアスカリエンテスの町の広場

道中、チケットを買うとともに、
手近な土産物店でアルパカ柄の帽子手袋も勢いで買ってしまった。
あと、実はこの晩ある料理を食べようと私は目論んでいて、
それが食べられる店を探しがてら、町の中心となっている広場の周りをウロウロしたり。
その料理とは、クイ料理
クイとはモルモットの1種のことで、
このあたりの山岳地帯ではそのクイ料理がポピュラーらしい。
昨晩のアルパカよろしく、
ゲテモノ喰いとしてはなんとしてもチャレンジしとかなあかんでしょう。
リサーチの結果、どの店に聞いても「クイ? もちろんあるよ!」とのことだった。
よしよし。

レストラン インカ・ワシ
レストラン インカ・ワシの外観

ホテルの部屋に戻り、夕食を食べる元気を取り戻した妻を連れて再び町へ。
一回り散歩した後、「インカ・ワシ」という豪奢な店構えのレストランに入る。
ちなみに“ワシ”とはケチュア語で家、という意味らしい。
このインカ・ワシ、なんだか超人気店のようで満席満員!
なので注文した料理が出てくるまでかなり時間が掛かったが、
店員の対応は感じがよく、店内の雰囲気もよく、また料理も確かだった。
オーダーした料理は、クイの丸ごとグリル
(付け合わせも含めてものすごいヴォリューム)と野菜スープ

クイの丸焼き
クイの丸ごとグリル

クイの顔 アップ
クイの頭部 アップ

気になるクイの肉だが、やはりそのままでは臭みが強いのか、
香辛料がかなり効かされている。
小骨も多くて少し食べにくいかな。
肉自体は、想像通りウサギや野鳥のそれに似ている。
うーん、肉の元々の味なのか調理法が合わないのか、ちょっと私にはイマイチだったかな。
そしてまたも、2品しか頼んでいないが
盛り付けられた量が尋常ではないので全然喰い切れず。
こんなん全部喰うやつおるんか?
食事中、流しの白人男性コーラス合唱隊が入ってきて何曲か歌いまくっていったが、
相当上手かったぞ、ありゃ。

白人コーラス隊
流しの白人コーラス隊 異様に上手かった

このアグアスカリエンテスの町もクスコ同様、
夜出歩いても場所さえ間違わなければ危険なく、楽しいところだ。
店も多いし。

21時ホテル帰着
陽が沈んでも暖かくて一安心。
22時就寝




次の日
前の日






戻る

表紙