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2006年1月 5日(木)

戌年 犬与太話

果てさて今年2006年の干支(こう言ってしまうと厳密には十二支だけじゃなくて十干も記さないといけないのだけれど干は割愛)は戌ということだが、3日のエントリーに書いたように我が実家の老ポメラニアンは今や13歳(ぐらい)にならんとし、すでに目も見えず耳も聞こえず歯も揃っておらず口を閉じていてもベロが出ている。

日向で気持ち良さそうに眠る実家のポメラニアン、ニル

だが先ほど帰宅する時に乗ったタクシーの女性運転手が飼っていたヨークシャーテリアは19年も生きたという。
小型犬としては実に驚異的な長命ではないだろうか。


また、昨年末にも行ったなじみの床屋には柴犬の母仔が飼われているのだが、昨年のお産は帝王切開だったらしい。
その時聞いてふうんと思ったのが、帝王切開だと母犬の愛情が薄い、と床屋の奥さんが言っていたこと。
その母犬は数年前にも一度仔を産んでいるのだが、自然分娩だったその時と比べて違いは顕著だという。
たとえば前回の時は3頭孕んでいたうちの1頭は残念ながら死産であったが、母犬は産後しばらくの間、“産んだはずのもう1頭”を懸命に探し回っていたらしい。
ところが今回は、前回と同じく3頭産み、今度は3頭とも元気だったが母親犬の下に残されたのはそのうち1頭のみで、あとの2頭は生後すぐによそにもらわれていったんだけど、前と違ってその2頭のことなどすぐに忘れてしまったかのようにまったく気にもしていない様子だそうだ。
そもそも、今一緒にいる1頭の仔犬にも母乳を与えることすら初めのうちは嫌がったんだとか。
なるほどね…、と思った。


♪ Blessed - Elton John


コメント

 あけますた おめでとうございますた

 御年賀状有り難う御座いました
 奥様の御尊顔 初めてハッキリ拝しました
 やぱ美人さんですなぁ( ゚∇゚)○

 で、

 アレは そーゆぅプレイですか???
 にぃたま って詞責めダイスキなドSだと信じてたのにぃ( ´,_ゝ`)プッ クスクス

夫婦愛を感じる年賀状あざーす!
いつかあたしもそんな年賀状を送ってやるわん!!
(→「いつか」のあたりに悲哀を感じてくれ~)

友人宅の犬は出産したものの、すぐにみんな里子に出されてしまい
そのせいかスリッパを子供だと思っていて、愛おしそうにしていた。
そのスリッパを踏んだり座ったりしたら、凄く吼えられた記憶がある。
母心ってそーゆーもんなのね。

>ともみ
謹賀新年。
プレイだなんていやだなあ、ただの比喩ですよ、レトリック?

>あやっち
謹賀新年。
さっそく来年にでも送ってください。
見た目は滑稽ながらもほの哀しくなるエピソードですね、それも。

子供の時飼ってた犬は、生まれた子犬が車に轢かれた時、すごい声で泣き喚いて報せようとしてました。飼い主である私たちは、すぐにはそのことに気づかなかったけれど……。
あとでいなくなった子犬を私たちが探している時、ずーっと心配そうな顔をして落ち着きなく鳴いていたのに、見つかった子犬の亡骸を見せてやったら、しばらく匂いを嗅いだ後に、事実を把握したらしくて、諦めたように静かになりました。
犬も「死」を理解するんだな~とその時思いましたデス。
なんだか、見ていてすごくせつなかったデスよ……。

……と、辛気臭い書き込みでスミマセン(^_^;)つい思い出しちゃって。

うーん、切ない。
確かに。
それしか。
子の死を送る親。
私たち人も含めて生物に生まれながらにして備わっている様々な能力というものは本当に、時に神秘ですね。

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