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2010年01月24日(日)

「オーシャンズ」とか

昼、霞町のフルーツパーラー「Fru Full」へ。
ミカンのホットジュースとバナナのホットジュース、フルーツサンド、それからイチゴのパフェをオーダー。
ミカンはそろそろシーズンも終わりだが、今日のジュースは糖度が最高の15.8を記録したと、店のご主人がテンション上がり気味で糖度計を見せてくれたほど、甘くて美味かった。

イチゴのパフェ

これらのみならず、サーヴィスでリンゴ、イチゴ、タンカン、キンカンをちょっとずつ切って出してくれ、さらに我々が美味い美味いと唸っていたら、沖縄産のタンカンをお土産に頂きまでしてしまった。
そして店主が草野球キチガイであることが判明。
今は日曜仕事のため遠ざかっているそうだが…。

「Fru Full」を出て、「109シネマズHAT神戸」へ向かった。
映画「オーシャンズ」を観るのだ。
なぜか、と言ってしまうのは若干失礼かもしれないが、今日のHAT神戸は混雑していた。
「オーシャンズ」上映のシアターもかなり埋まっており、やや驚き。

「オーシャンズ」はさすがに映像美が素晴らしい。
どうやって撮ったんだろう、よくこんな場面に出会えたな、といった題材のパワーはもちろんあるが、それと同等に、精細で鮮明な映像美が印象に残る。
ただ、後半に持ってきていたあまりに恣意的な構成と説教臭い教示はちょっとどうなんだ。
反捕鯨国のフランス人であるジャック・ペランが何かのメッセージを込めた、と理解すれば納得しやすいのかもしれないが、それはあまりに穿ち過ぎか。
アラステア・フォザギルであればこのような作りにはしなかったような気がする。
イルカと水鳥がイワシを捕食しているところにニタリクジラが突っ込んでくるシーン、海底を埋め尽くし蠢く無数のカニの群れにはド肝を抜かれた。
シャコとカニの一騎打ちもすごかったが、一つ一つの動きにつけられているSEが少し安っぽく感じた。
妻のお気に入りは、ウミウシがヒラヒラと海面を目指して泳いでいく映像。

映画を観た後、同じHAT神戸にある関西スーパーで買い物をして帰り、珍しいことに私が夕飯のおかずを作ってみた。

晩ごはん

といっても簡単な豚のしょうが焼き。
まあ食べられる味になっていて安心した。


♪ What U Lookin' At? - Kid Rock Feat. Uncle Kracker

2010年01月02日(土)

食記

元日の朝は雑煮を食べ、昼は前日にピックアップしたロックフィールド製のおせち料理を食した。

おせち料理

小さめのお重だったので、足りるかな、などと要らぬ心配をしておったのだが、女2人と私で喰うには充分、昼だけでは食べきれず夜に回したほど。

午後、なんだかよく分からない流れに乗って、久出ヶ谷町にある「サーティワン」に妻と歩いて行き、「バラエティパック」という名のアイスクリームの詰め合わせを購入、帰ってきて母と3人で食べた。

「サーティワン」のバラエティパック

確かに美味いが少し量が多かったな。

夜はおせちの残りと、「そうざいや地球健康家族」で買っていたおかず数品で晩餐。

今日は昼飯に、「だしや」の正月限定「煮干カレー」を喰おう、と決め、「フリアンド」のパンで朝食を摂った後、妻と母と3人で大阪市内へ。
店主のYさん夫妻が新ユニフォームで出迎えてくれた。
一口食べると魚系だしの風味が口中に広がり、次いでフルーツの甘み、そして後味にピリピリとした辛さ。
こりゃ美味い。

「煮干カレー」 写真を撮り忘れたので「だしや日記」から拝借した参考画像

一昨日あたりから「カレーが食べたい」と言っていた母も満足そうだ。

食後、初詣客らしき人々で混み合う天神橋筋商店街を少しだけ歩いてから、新大阪駅へ向かった。
予想通り駅はすさまじい人出で、駐車場に車を停めるのにも20分ほど待った。
15:20発ののぞみに乗って名古屋へ帰る母をホームで見送り。

西宮へ戻る途中、伊丹の「ひごペットフレンドリー」に寄って魚の餌を買って、帰宅。
晩飯は苦楽園口の「ラーメンたろう」で妻と2人済ませたが、久しぶりに喰うラーメンは美味かった。
おにぎりと餃子も食べたら腹いっぱい。

しかし内容が喰い物の話ばっかりだな。
どうしても年末年始は食べてばっかりいる気がして、そして体を動かす機会は限りなく少ない。
たまに帰る実家などではとにかく何かと喰え喰えと勧められるし。
酒は飲まないのが救いだが、それにしても間食を含めカロリー摂取量は増えざるをえない。
落ち着いたら少し運動をせねば。

ちょっと風邪気味かも。


♪ Already Gone - Eagles

2009年12月25日(金)

大丈夫か、ネッツ…

最近深くニュースをチェックしていなかったので新しい「ダンクシュート」を読んで驚いたのが、まさかのアイヴァーソン復帰!
しかも古巣、セヴンティシクサーズ。
知らんかった。
正直、復活の可能性は低くないとは思っていたが、それにしても早かった。

同じく「ダンクシュート」の記事中にて、シャックの一人称日本語訳が「俺様」であることについて今さらながら笑いがこぼれてしまう。
英単語としては等しく“I”でも、私、僕、俺…。
インタヴュー内容を和訳する場合、呼称のみならず、ですます調であるか否か等々、取材対象者のイメージと翻訳者のセンスに依るところは非常に大きい。
改めて日本語表現の多様さを思い知るとともに、なぜ英語がこれほど世界中で公用語然として普及しているか、その理由がよく分かる。
日本語ネイティヴであることに、いささかの幸運を感じる。


♪ Don't Say You Love Me - The Corrs

2009年12月18日(金)

最近

これまで比較的暖かかっただけに、久しぶりに本当の冬の寒さを感じた体が震える。
毎日は、後悔と忍耐と弛緩で成り立っている、などとふと思う、年の瀬が迫った週末の夜。


♪ Hit The Road Jack - Ray Charles

2009年12月13日(日)

生きるスタイル、とか

最近、週末のお気に入りテレビ番組は「渡辺篤史の建もの探訪」から「週末の探検家」、そして「ウォーキングプラス」に至る流れ(再放送枠も混じっているが)。
他、よく観ているのは、昔から好きな「世界ふしぎ発見!」を始め、「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」、「ワイルドライフ」、「住人十色」、「人生の楽園」、「ソロモン流」、それからアニマルプラネット全般にナショナルジオグラフィックチャンネル全般。
こうして改めて見てみると、もちろん私個人が好む番組だからある程度ジャンルが絞られてはいるのだが、それにしてもここ数年で、いわゆるエコやネイチャー、そしてそれらに携わる人にスポットを当てたものの絶対数が増えたように思う。
テレビ番組だけじゃなく、近所を歩いても、仕入れにこだわる青果店や、オーガニックを売りにする飲食店、木製玩具を専門に扱う店などなど、そういった志向のショップがたくさん目につく。
気がつけば、老後は何をしようかな、なんて考えている自分がいたりもする。
どれも初めは単なるスタイルに過ぎないかもしれないが、それでいいと思うし、そんなもんなんだろうと思う。

ウクレレカフェ「オコナ」で早めの晩飯。
ロコモコとオリジナルのカレーを初めて食べてみたが、美味かった。
ヴォリュームは控えめ。
食後に、バナナがたっぷり添えられたタロイモベースのパンケーキと、コーヒーを。
このコーヒーがそんじょそこらの代物ではなく、先日マスターがハワイ島で買い付けてきたという、最高級のコナコーヒー。

最高級のコナコーヒー

日本国内では入手できない最高グレードの豆であるらしい。
生豆は我々が見慣れている白っぽいものではなく、新鮮であるがゆえに緑がかっている。

生豆

そしてそれを焙煎すると、中から染み出てきた油分でテラテラに!

炒りたての豆

こんな風に淹れてもらったコーヒーが美味くないはずがない。
いやあ堪能した。


♪ Elsewhere - R. Kelly

2009年12月05日(土)

「カールじいさんの空飛ぶ家」→「鶏天」

公開初日、「カールじいさんの空飛ぶ家」を観てきた。
例によって「109シネマズHAT神戸」で、例によって3Dで。
原題は「UP」ですか。

空飛ぶ家で旅に出るまでの描写は、本編ではもう少し丁寧に時間をかけて再現されているのかと思いきや、トレイラーとそれほど変わらないヴォリュームのダイジェストになっていたことにやや刮目。
セリフなし、BGMのみで綴られる数十年間はしかし、その重みを観客に訴えかけるには充分な力を持っている。
中盤、ギアナ高地的な憧れの地を舞台に繰り広げられる活劇は、物語全体を包み込む、地に足着いたじんわり沁み入る主題に比べると正直言って若干薄っぺらいかもという印象は否定できないが、ティーンエイジャー以下の子供たちにとってはこの映画の中で一番の楽しみどころなのかもしれない。
アニメ映画なのでもちろん小さな子たちも観に来るが、さすがに彼らはじいさんの心情までは忖度できないだろうから。

現実を起こるがまま受け入れつつも、自身に限界を設けないで一歩踏み出すことの大切さ。
そんな、ともすれば説教臭くなりがちなテーゼをごく自然に示してくれるところが、ピクサーの実力。

ピクサーの作品は舞台こそ大きいものの、登場人物の数が比較的少なめだったり、主人公が住む世界がある程度限定されていることが多いが、そのあたりのバランス感覚も面白い。

夕刻、神楽町の交差点近くにある「鶏天」に晩飯を喰いに行った。
「アルテシンポジオ」のOシェフに教えてもらった店である。
噂に聞く通り、素晴らしい素材揃い。
特上白肝、笹身、ずり、こころから成る刺身の4種盛り(どれも新鮮で美味く、ずりのコリコリ感や笹身の味わいが絶品)、鶏天サラダ、特上手羽先、特上ねぎま、さつまいもバター(謎のエスニックスパイスがいい仕事)、特上皮、下仁田ねぎ(豪快極まりない)、そして締めに卵かけご飯と鶏ガラスープのセットを食した。

刺身の4種盛り特上皮下仁田ねぎ卵かけご飯と鶏ガラスープのセット

焼き鳥の味付けはほぼ塩でタレはない。
それほど肉そのものに自信があるということなのだろう。
ちなみに、こだわりの店主は私と同い年。
これはまた行かねばな。


♪ Make Me - John Scofield

2009年11月22日(日)

「Disney's クリスマス・キャロル」鑑賞

「109シネマズHAT神戸」に「クリスマス・キャロル」を観に行ってきた。
吹替のデジタル3Dヴァージョン。

概ね原作に忠実な作りになっていたようだが、ディズニーがわざわざアニメにしたということで、比較的低年齢層の鑑賞者もターゲットにしているはず。
であるならば、スクルージの守銭奴ぶりだとか底意地の悪さといった、本題を強化する導入部分はもう少し分かりやすくなるようにアレンジをしてもよかったのではないかな、という気もしないでもない。
実際、劇場には小さな子供を含む家族連れが多かったが、普遍的なテーマとはいえ、キリスト教文化圏ではない我が国の子供たちにその主張のどれほどが伝わったことか…。

「クリスマス・キャロル」は私にとって、おそらく高校生か大学生ぐらいの時だと思うが、実写版のクラシカルな映画をテレビ放送で観て、感銘を受けた思い出の作品。
そういった意味合いもあって、今回のものもノスタルジックな想いを抱きながら観ることはできたが、正直言ってそれ以上の感動はなかったかな…。

声優の山寺宏一さんはとても良かった。
やはり吹替は話題性だけのタレントや畑違いの著名人ではなく、高いスキルを持った専門職の方たちにお任せしたい。

3Dは確かに面白いけど、専用メガネのレンズ部分が暗くなっているため、必然的に映像も輝度が落ちてしまうのがちょっといただけない。


♪ Sorry - Guns N' Roses

2009年11月18日(水)

羨ましいなどという言葉では生ぬるい

ものすごい本だ、「世界怪魚釣行記」。
度を超した釣り好きが高じ、わずか2年半で会社員を辞めて、それから世界の辺境を訪れて怪魚を釣りまくる著者の武石憲貴氏(ちなみに私と同い年)のあまりのすさまじさには、脱帽するより外にない。
職業作家ではないので文章そのものは洗練されているとは言い難いが、だからこそ伝わってくる生々しさ。
そしておそらくはありのままに限りなく近いであろう実体験を綴る中に顔を覗かせる笑いのセンスはまさに一級品だ。
一歩間違えれば死んでるんじゃないか、という激烈ないきさつと、毒にも薬にもならない間抜けな失敗談をまったく同列に、こともなげにサラリと書き述べている様なんかは、プロの物書きとしての技術ではなく、持って生まれた人柄の一部なんだろうと思う。

羨望という言葉はもはやふさわしくなく、これはもう憧憬と言うしかない。


♪ Still A Fool - Muddy Waters

2009年10月21日(水)

料理人出遭う

お店が休みの「アルテシンポジオ」のOシェフとともに、黒崎町の「だしや」へ晩飯を喰いに行った。
私の好きな2人の料理人、Oさんと「だしや」のYさんを邂逅させたかったという密かな目論見も達成。

おでん、だしまき、ブロッコリーと桜えびのおひたし、ヒメダラ、ナスと豚の味噌炒め、ぎんなんなどなどとともに、Yさんが先週釣ったうなぎの蒲焼きがコッソリ供された。
さすが天然もの。
そして締めはもちろん「ぶしたまんま」と味噌汁。
削りたての鰹節には、Oシェフも思わず店内で「美味しい!」と雄叫びを挙げた。

食の話、家族の話、互いの近況などといった他愛もない話題に加え、仕事に関する真面目な話もちょいちょいと。
異業種の最先端で働く友人と語らう、こうした機会を持つことは、特に今の境遇に身を置く私にとっては少なからず有意義なものであったに違いない。
刺激にもなるし、燃料にもなりうる。

「だしや」を後にし、浮田町の「juen」に立ち寄り。
パンケーキはちょっと余計だったかー。
「だしや」もそうだったが、この「juen」も盛況。

佳き会であった。


♪ Durch Den Wald Zum Bach Haus - Blackmore's Night

2009年09月30日(水)

同期を送り出す壮行会

10月1日付で東京支社へ異動するIくんを同期一同で囲む壮行会が昨晩催され、参加してきた。
私自身、同期たちの会に交じるのは久しぶりだったが、入社14年目になり、すっかり各部署の中堅どころとして振る舞っている自分たちの姿に改めて自覚的になるとともに、新入社員当時の思い出話を肴に相変わらず屈託なく笑い合える様に若干安堵も覚えた、そんなひと時であったように思う。
「何かの縁で同期になった」わけだから、横のつながりを保つことには意義がある。
4時間ほども1軒の店で過ごし、家が近い2人とともにタクシーで帰宅。


♪ サーカス - 山崎まさよし

2009年08月21日(金)

新世界より

前部署にいた時にいつもお世話になっていた関係会社を、業務で久々に訪れたのだが、旧知の懐かしい面々がいくつもあり、しばし話に花が咲いた。
懐かしい、とは言いつつも、今も頻々としてお顔は見かけているわけだが、やはり直接仕事で関わる機会がなくなると、距離感というものはいささか変わる。
広がった世界はもちろん保ちつつも、これまで棲んでいたフィールドも大事にしていくことが肝要と思う今日この頃。

昨晩は後輩3人と中崎町の「豚の晴れぶたい」で晩飯。
しゃぶしゃぶなど喰ったが、美味かった。
なかなか面白いひと時だった。
このタイミングで異動に引っ掛かったことも、今の自分にとってはいくつかの意味において何某かのメリットをもたらすはずだ、とも思う今日この頃。


♪ Kiss - Prince

2009年03月18日(水)

城崎温泉一人旅(仕事だけど)

(火)(水)と1泊2日、ロケの下見のため城崎温泉に行ってきた。

大谿川駅通り

関西にかれこれ17年ほども住みながら、恥ずかしながら城崎を訪れたのは初めて。
春休みということもあるのだろうが、平日にも拘わらず客はなかなか多い。
特に卒業旅行っぽい若い人とか。

今回いろいろな人の話を聞いて、城崎は各旅館や店舗が競い合い潰し合うのではなく、相互扶助を基盤とした共存共栄の温泉街であるということがよく分かった。
うちの宿にだけ客が来ればいい、というスタンスではなく、街全体が活気づくことを祈念し、祈念するだけでなくそれを具体的に様々な形をとって実行に移している。
だから、通り全体が賑わうし、歩いていてもとても楽しい気分になる。
私も含まれる、団塊ジュニア世代が中心となって旅館を支えている姿も印象的だった。
故郷を捨てて街に出ていくのではなく、必ず戻ってきて後を継ぎ、移り変わる時代に応じたPRを皆で知恵を絞って模索している。
篠田節子の「ロズウェルなんか知らない」をまず思い出したぐらいだ。


♪ Cargos Of Doom - Warrior Soul

2009年02月17日(火)

酔っ払いコント

M-1よりもR-1よりも断然に面白いこのたびの中川昭一氏のアレ、世の中が上手く回っている平時であればわははははと笑っていられるのかもしれないが、さすがにそんな趨勢にはないので日本国民の一人としてまったく情けない限りである。
それにしてもよくもまあ絶えることなくわらわらと湧いて出てくるものだ、愚にもつかぬこの手のトピックスが。

民主主義国家において、不正や腐敗や汚染のない社会を作り出すことはそもそも不可能ではないのか。

前提として、清廉潔白を身上とし、長いものに巻かれるなどもってのほか、徹頭徹尾正義を貫いて生きている、これからも生きていく、なんていうタイプの人は、いたとしてせいぜい全体の10%、いや、5%とかのものとする。
そうした場合、じゃあ代議士として世の中を糺してやろう、と息巻いて奉職している人たちは、そんな5%の人たちの集まりである、などと考えるのはもちろん大きな誤りであって、たとえ母集団が全日本国民であろうが国会議員であろうがサラリーマンであろうが主婦であろうが、欲に目が眩むことなく常に信念に従って利他的に振る舞うことができる“清く正しい”人の割合は、5%、じゃないか?
政治家になろう、と決意して行動に移した当初こそ正義感に燃えていたとしても、いざ実際にその立場になり、旨味に溢れた利権を目の前に差し出されれば、95%の人間は確実に転ぶ。
これは妄想でも虚言でも何でもなくて、高級官僚などは言わずもがな、政治家といえども、甘い汁を吸ってブクブクと肥えている、という本当にたくさんの実例を私たちは目にしている。
本音としては、一切不正や汚職に関わっていない政治家なんているわけねーよ、というのが多くの国民の思いかもしれないが、まあ皆無ということはないだろうから、せいぜい5%、という話。
とすると、法治国家において、立法と行政を担う主体で働いている人の95%が、我々と同じように金が落ちていれば拾い既得権益があればしがみつき我が身が危うくなれば保身に励む人たちなわけだから、清冽な社会など出来上がるわけがないのである。
高邁な理想を掲げる独裁者による支配を許しておらず、多数決という鉄原則を持つ民主主義を標榜しているのだから、なおさら。

実はこんなことは改めて書き記すまでもなく、たぶんほとんどの人たちが感覚的に気付いている。
ジャーナリストの中には、馬鹿な政治家を選んでいる国民にも責任がある、と言う人もいるが、その言い分は正しいように聞こえて実態には即していない。

サブプライムショックに始まった経済危機だって、根っこのところはまったく同じだと思う。
伝え聞くように訳の分からぬ怪しげな金融商品を非富裕層に売りまくったら、遠くない将来にどのようなことが起こるか、おそらくその分野を生業としている人たちは察知していたはずだが、皆が目先の利益を諦めることができなくてチキンレースのようになってしまった顛末が今。
資本主義経済というものそのものがまだ「一回り」していない状態でありながら、これまでのサイクルをさらに増幅させつつ繰り返していけば無限に右肩上がりを続けていくことができる、と本気で信じていたとは思わないが、結果的にはそうした胴欲に基づく妄信が、今の暗くて不活発な世の中につながっている。
ほら、サラリーマンだって同じでしょう。
経営陣も、自分が退任、退職するまでは自らに損失が及ばないように腐心するけど、自分がいなくなった後のことを本気で憂いて粉骨砕身する人は20人に1人じゃないかな?

これまでは、いくら政治家がアホだ、官僚が狭量だとはいっても、世界各国の中では状況は比較的マシな方なんじゃないか日本は、と思っていたわけだが、さすがにあそこまでおかしな人物が首相という位置に立っている今の状況はあまりに常軌を逸している。
かといって、解決策はたぶんないから、やっぱり泥酔会見を観ながら笑うしかない。


♪ Iron Head - Rob Zombie

2008年12月06日(土)

追われる者

新幹線の中で寝付けない、どころか仕事「しか」していないここ数日は、目覚まし時計が鳴るよりも早く自然に目が覚めてしまう。
6時間も寝て熟睡できていれば話は別だが、今日なんかは4時間やそこらで起きてしまうのだから、しかも前夜もそれぐらいしか眠っていないのに、どうやら過緊張と呼ばれる状態なのだろう。
しかしこの状況が永遠に続くわけではないので、一社会人として戦うべき重圧と向き合っているこの師走の日々はそれなりに心地よくないわけではない、と感じている自分もいる。
機嫌よく乗り切るしかないね。

東京での会議、細々とした打ち合わせなどを終え、つけ麺喰ってカフェでちょっくらしゃべって帰阪。
陽の沈んだ関西は尋常じゃないほど寒かった。
エキュート品川の「ボビーユーハイム」で買った「ひとくちフロマージュ」が手土産。

今みたいに立て込んでいる時には特にこのように思いがちなのだが、働き出してから学生時代のように物事について深く思索するということを本当にしなくなった。
ポコポコポコと駆け足気味のいいテンポで生きてはいるのだが、事象の表層に思考を滑らせているだけで、本質を掴み出して自分の基準に照らし合わせる、という作業をほとんど忘れかけていることに自覚的ではある。


♪ Fire - Jimi Hendrix

2008年10月07日(火)

日本三大連作小説の1つ、「ロズウェルなんか知らない」

平均して月に1冊を超えるほどには、Amazonの評価でいうところの5つ星に相当する良書に巡り会ってはいるのだが、先日読了した「ロズウェルなんか知らない」(篠田節子)は中でも抜けて面白かった。
私は厚顔の極みにもこの著者を「ハルモニア」、「女たちのジハード」で名前を聞いたことがある程度にしか知らず、遅まきながら今回初めてその著作を読んだのだが、女性とは思えない着想にまずは驚嘆した。
ロズウェルって。
幼児性をいつまでも残すアホな男の発想じゃないか、どう考えても。
にも拘わらず、古き佳き王道を往く連続ドラマのごとくガッチリした起承転結を有し、展開そのものはベタながら巧み過ぎる筆力で読者を掴んで離さない。
何よりおそらくは皆川博子氏や高野秀行氏が書く文章と同じく、リズムやテンポやヴォキャブラリーといった感覚的なものが私に合っている。
すぐに他の著作を5冊ほど発注した次第。

これは「有頂天家族」(森見登美彦)、「定年ゴジラ」(重松清)と並び、日本三大連作小説である、今のところ、私の中で。


♪ Nosey Joe - The Brian Setzer Orchestra

2008年10月01日(水)

「イーグル・アイ」を観て井上夢人を想う

つい先日のこと、“Plaxo”という素晴らしいツールを拾い、MacBookのiCalのスケジュールとVAIOのOutlookの予定表を同期することに成功した。
これは実に便利だ。
たいしてメモリーも喰わずにバックグラウンドで仕事してくれてるみたいだし。

映画「イーグル・アイ」の試写会に行ってきた。
極力具体的にならぬように簡単に感想を記すが、気になる方は以下、お読みにならぬよう。

まるで岡嶋二人(井上夢人)の小説を思わせるかのような、テクノロジーの反乱。
そしてとにかくスピード感がものすごい。
結婚披露パーティーで言うなら、「しばしご歓談を」から始まるご歓談タイムがまったく設けられていないかのような高密度で進んでいく。
でき得る限り実写にこだわっているようで、市街地での大規模なクラッシュを含むカーチェイスや、空港の手荷物運搬装置のような施設内での捕物劇のシーンなど、実に観応えがあった。
恐ろしい手間暇と費用が掛けられているのはさすが。
ただディテールはともかくとしてプロットは古典的なハリウッド大作のご都合主義の範囲を逸脱していないように感じられた。
特にラストはいささか残念至極ではないか。

偶然だろうが、この間観た「ウォーリー」と共通する着想が見受けられたが、今の時代にコンピューター自立社会を舞台とした話を作るとこうなるのはある意味必然か。
そうなると冒頭に立ち返って、やはり井上夢人は偉大な予言者だった、と感嘆することになるのだな。


♪ Blog;Neon - Chris Minh Doky

2008年09月21日(日)

VAIOを買った

100%デザイン重視で、VAIOのVGC-LJ92SというデスクトップPCを購入した。
今使っているWindowsマシンがだいぶ重たくなってきたので、ついにVistaに乗り換えだ。
ソニースタイルのオーナーメイドを利用し、CPUはCore 2 Duo、メモリーは4GB、HDDは320GB、TVチェーナーはなしといった具合。
デスクトップでありながら軽量、省スペースで家の中をモバイルPC感覚で持ち歩くことができ、15.4型のワイド液晶モニターも非常にいい感じ。

というわけで本日昼からセッティングに取り掛かったわけだが、私の錯誤により、作業を進めた時間を4時間ほど巻き戻してしまったり、未読の新着メールを相当数消去してしまったりといったトラブルも発生、いやはや精神が疲れ果てた。

3台のコンピューターと外付けHDDを使って作業中 ああ面倒くさい

それにしてもOSは進化すればするほど、パッと見は初心者にも分かりやすくヴィジュアライズされてるように感じるけど、その実、構造や仕組みを把握することはどんどん難事になっていく。
それはOSそのものが複雑に難解になっているという意味ではなくて、その本質にユーザーが触れることを拒んでいるように見受けられるのだ。
フォルダ階層などはデフォルトではほぼ見えないようになっているし、Local SettingsやApplication Dataといったフォルダには管理者アカウントといえどもアクセスすらできないではないか。
皆さんは難しいことは考えなくていいから表層に見えるインターフェイスだけ使ってPCで遊んでね、とでも言っているようだ、Microsoftは。
拡張子なんかは経験の浅い人ほど意識しなければいけないものだと思うのだが…。

本当に眼も脳も疲れた。
まだもう少し掛かりそうだな…。
でも完全に移行が済めば我が家のワイヤレス環境がまた一歩前進する。


♪ Roll Um Easy - Little Feat

2008年07月03日(木)

小説を読む者の1人として

最近本を買う時は店舗に足を運んで…、という機会は本当にめっきりなくなり、もっぱらネットショッピングや会社まで配達してくれる本屋さんを利用するばかりなのだが、それにしたって文芸書は売れていないみたい。
たとえばAmazonのランキングを見ても、トップ100にすらほとんど入っていないじゃないか。
一過性のブームに乗ったっぽい商品や、語弊のある表現かもしれなくて恐縮だが中身が充実しているとは言い難い新書や自己啓発本の多いこと多いこと。
相次ぐ雑誌の廃刊やマンガ雑誌のコラボなどが示すように、出版物全体が危機的な状況にあるらしい現在ではあるが、小説好きの1人としては寂しいものがある。

小説といえば、今週から始まった担当新番組に拘る超過気味業務のおかげでスタッフ一同含め疲労の色濃い連日だから、ということも関係あるのかもしれないが、ありたい存在になれず打ちひしがれがちな時分に、町田康はガツンと堪える。


♪ SPIRITEK - 宮沢和史

2008年06月20日(金)

たまにはベタに時事

私なんかは、アルカイダ発言で衆目に対して自らがアホであることを誇示した鳩山邦夫法相もたまにはまともなことをするじゃないか、という思いで見ているのだが、宮崎勤死刑執行に端を発し、例の秋葉原の事件と相まって今また死刑廃止論争が俄かに盛り上がってきているらしい。
廃止論者の中に亀井静香がデンと鎮座しているのがまた滑稽の限りだが、それは今回はまあいいか。

それとともに、加藤何某容疑者は若い頃は優秀だったものの挫折を味わって今は派遣社員で周囲に友人もおらず携帯サイトに独り書き込み…、なんてストーリーを作り、かのモンスターはこの社会構造こそが生み出したものなのだ、という論調もここ数日、様々なメディアの上で多く見聞される。
まったくもってピンとこない。
ご立派に基本的人権という大層なものを付与され、職業選択の自由も居住地の自由も婚姻の自由も何もかも手の届くところにあるのに、彼奴が自暴自棄に陥って無差別殺人を犯すに至った要因はこの社会にある、などと言われて、はいそうですかとはとても首肯できない。

誰だって不当な思いを味わうことはあるだろう、生きていれば。
経済的な不自由を感じもするし、疎外感に苛まれることも。
だからといって、「宮崎死刑囚はついに謝罪の言葉を口にすることなく処刑されました。これでは真相の解明はおぼつきません」だとか、「加藤容疑者から、何がそうさせたのかすべてを聞き出し、このような事件が二度と起きないように…」だとか抜かすのはどの口だ。
確かに今回の執行が多分に政治的でダーティな意味合いを持っていたことは疑いないだろうが、この際それは些末な要素だと思う。
封建制度下にあった時代、苛烈な環境の中で生きていた農奴や小作農や人非人よりも虐げられていたか、彼らは?
当時の人々よりも行動を束縛されていたか?

現代だけが猟奇殺人犯や粗暴犯を多く生み出しているという明白なデータがあるのかどうか、私は知らぬまま乱暴にも申し上げているので、間違いがあればどうか訂正していただきたい。

津山三十人殺しや河内十人斬り、大久保清事件や酒鬼薔薇聖斗などを例に挙げるまでもなく、いつの時代にもミュータントらによる凄惨な事件はあった。
そう、彼らはミュータントに違いない。
宮崎勤や加藤智大は時代や社会や風俗が創出したのではなく、極めて例外的な突然変異体なんじゃないか。
決してテレビゲームやアダルトヴィデオや不安定な雇用形態が創り上げたんじゃない、それらが彼らの犯罪行為の表層に影響を与えたことはあるかもしれないが、その根源、彼らの“犯罪を起こす意思”のジェネレーターとなったわけでは決してない。

人を殺したいほど憎く思ったり、性的な欲望に取り憑かれてしまうことがある人は稀ではないだろうが、“殺したいと思うこと”と“殺すこと”の間には、大きな、なんていう表現では生温いほどの隔たりがある。
「私たちの誰もが、ああなる可能性があるのです」なんてしたり顔で物申す方たち、マジョリティの自己抑制能力をあまりに舐めすぎである。

あるいは百歩譲って、人を人とも思わぬような怜悧な殺人行為が現代において増加しているとするならば、それは殖えすぎてしまった人類の種族保全の本能なんじゃないか。
自分で自分を間引いている、と考えればまあ納得がいかないわけじゃないような気もする。

それよりも、あとは消費税を上げるしかありませんねえ、などとほざいている一国の首相とそれに同調する人々こそが、既得権益に死んでもしがみつき続ける本物の醜悪な下衆である。
この地球に存在する国家群の中で、私は日本が特別腐った国でも汚物に染まりきった国とも思いはしないが、それにしたって今の(というか明るみに出ていなかっただけで今に至るまでずっとか、結局)政治には合点がまったくゆかぬ。


♪ Whatcha Want - Hanoi Rocks

2008年06月19日(木)

KG初戴冠

断片的にしか観ることはまだできていないが、NBAファイナルはボストン・セルティクスがロサンジェルス・レイカーズを4勝2敗で下して終幕。
最終戦は39点差ですか!
うーむ…。
第5戦までは少なくとも終了時の点差は10点差以内で、ファウルゲームになったりと最後まで展開としては楽しめる試合だったみたいだが、シーズンの締めくくりがこれではちょっと拍子が抜ける。
まあケヴィン・ガーネットがついに、というか降って湧いたような電撃トレードによりチャンスを得て、チャンピオンリングを手にしたことは素直に喜ばしい。
ポール・ピアースはファイナルMVPを獲ったようだからもちろんエースとして存分に働いたのだろうが、生え抜きだからこそファーストオプションとして扱われていた感もなくはない。
あるいは純粋なスキルとチームバランスだけを考慮したならば、他の2人(KGとレイ・アレン)の方が得点のチャンスを多く与えられていてもおかしくなかったとは思うが、でも1つのチームに長い間留まることがスタープレイヤーといえども本当に少なくなった昨今において、これはこれでやはり喜ばしい。
シーズンを通して決してベンチプレイヤーの層は厚くなかったはずだが、シーズン前の期待を上回る結果を残したラジョン・ロンドとケンドリック・パーキンスを含めた5人のスターターがしっかり確立されていた。
そういった意味では優勝した時のデトロイト・ピストンズにもチームとして似ていたかもしれない。
結構バランスとしては危うい気もするから長期王朝を築くことはちょっと考えにくいけど、まあ今シーズンのセルティクスは強かった。


♪ 未来叶いへ - 東風

2008年05月10日(土)

物書きになった後輩と会食、「恐竜大陸」、そして仕事

(木)(金)と東京出張。
まずは木曜午後、天王洲のスタジオで某芸人コンビと打ち合わせ。
以前一度仕事をご一緒した時に、またやりたいな、と思ってこのたび声を掛けさせていただいた人たちだ。

その晩は、大学の後輩で現在は職業作家として活躍しているHと表参道の「雅灯」で久々の対面を果たして会食。
文学の世界では最高のカテゴリーに属する1つである大きな賞も獲っている男だが、話してみれば以前から知っている彼と何ら変わりなくって、それは当たり前のことといえばそうなんだろうけど、すぐにリラックスして語り合うことができた。
学生時代の思い出話、お互いの仕事のこと、家庭のこと、プライヴェートな話題、出版物にまつわる話、世の中の出来事について…。
気がつけば1つの店に腰を据えて4時間ほども話し込んでいた。
自らが生業とするフィールドにおいて一線級のポジションを確保して闘いつつ、他者との会話の前提となる高い知力を備え、そして物事を脳内で処理する演算能力が優れている人と様々な議題について語り合うというのは言葉では表現できないほどいい刺激になるし、またたとえ全部ではなくとも価値観や感覚を共有できるというのは一勤め人に過ぎないこの身にとって非常に僥倖ともいえる。
またぜひ。

ホテルに宿泊して起きて金曜日は仕事は夕方からしかないので、朝から幕張メッセまで出張って開催中の「恐竜大陸」を観に行ってきた。
そのイヴェント名の通り、今回はアジア、中でも主に中国とモンゴルから出土した恐竜たちをフィーチュアした催しだったみたいだが、それを事前にあまり意識することなく行ってしまったので、あれ、とちょっと拍子抜けしたことは否めない。
一昨年行った「世界の巨大恐竜博」には相当感銘を受けた記憶があるが、今回は規模もあれよりは小さかったと思うし、インパクトも大きくなかったような気がする。
サウロロフスの実物やタルボサウルスの実物、羽毛恐竜たちの模型なんかはよかった。
でもディロングはおらんかったな。

サウロロフスの1種の実物標本

会場内のフードコートの食事は最低品質だった。

夜に限りなく近い夕刻、赤坂で某狂言師と打ち合わせ。
非常に真面目で好感度の高い方だ。

21:00羽田発のANAで帰ってきたが、関空着便なので自宅までの帰途がこれまたしんどかった。


♪ The Groover - T.Rex

2008年04月25日(金)

獣の能力

昨日あたりは急に肌寒くなったとはいえ、4月ももはや残り数日、季節は春の盛りを過ぎた。
桜の花はとうに散りタンポポは綿毛をたなびかせ、MLB & NPBは開幕して1ヶ月、NBAはポストシーズンに突入して激烈さを増し、そして巷間の人々はゴールデンウィークを前に浮き足立っている。
そんな中、我が家で飼っているヘルマンリクガメのシロに改めてヒトの無能ぶりを教えられる顛末がある。

部屋の中、そして天気の良い日中はヴェランダをしばしば歩かせるのだが、屋外はともかくとして、室内を例にとっても歩いている時間が格段に長くなった、寒い季節に比べて。
冬の間はもちろん床暖房などを効かせているので、少なくとも人間にとっての体感温度はほとんど変わっていないにも拘らずだ。
つい先日までは、ちょっとそこらを一回りするともう「入れてくれ~」と言葉をしゃべれるのなら叫ばんばかりにケージの前で佇んでいたのに、昨晩なんかは2時間近くもグルグルウロウロ、広範囲に渡って歩き回っていた。
妻の報告によると、その前日はヴェランダもテクテク1時間以上歩いていたようである。

ヴェランダの植え込みでタンポポなどを喰らう

カメはちゃんと、暖房器具等によって人工的に上げられた気温なのか、それとも自然の摂理が巡って大地が暖まっているのか、マンションの1室のケージの中で寝起きしていても確実に分かっている。
当たり前のことなのかもしれないけど、私たち人間が感じ得ないものを確かに感知してそれを行動で表現している。

生き物とともに生活していて、有意義な瞬間の1つ。


♪ She's Gone Away - King's X

2008年01月31日(木)

これは自らに対する戒めであり、鼓舞であり、プレッシャーであり、そしてちょっとした諦念である

巨大生物らしきものを扱った「モクスペ」、一応チェックはしたが、大方思っていた通りのイメージだった。
自分もその片棒を担いでいることを棚に上げているのは承知で言わせてもらうが、特にこの手の番組においては、いくらいい素材を用意したとしてもその調理法が最悪だ、民放は。
扱われているテーマに興味を持つ視聴者が本当に知りたい情報を伝えることよりも、まったくもって無駄でナンセンスな出演者の会話に多くの時間を割き、観ている者が余計に冷めてしまうという逆説的な過剰煽り編集を行い、肝心の内容に関しても情報の精度が極めて低く、意識的なのか無意識下なのか粗暴で不誠実。
上級役職にある人たちは、「その分野に興味のある人だけじゃなく興味のない人も取り込めるように、タレントやヴァラエティ的な仕掛けで工夫せよ」と異口同音に仰るが、それはどこの民放でも同じなのかもしれない。
なんとまあ、異次元空間に立った出発点であることか。
だから私は「アニマルプラネット」を視聴し、NHKやBBCが制作するDVDを買っていればいいのだろう。
もうすぐ冬の「どうぶつ五輪」が始まるし、まるで連続昼ドラ、「ミーアキャットの世界」は最高に面白い。

#3“占い”、出来には少し自信がある。


♪ Blue Sky - The Allman Brothers Band

2008年01月27日(日)

占い好き?

今手掛けている番組で“占い”をテーマとして扱った。
オカルト全般に代表されるいわゆる疑似科学というものにあまり関心を示すことはない女性層も、この占いに関してだけは別で、強い興味を持ち、あるいは信頼していたりもする。
普段は極めて常識的理性的、ごく普通の人が「血液型によって性格が違うってのはあると思う」と真剣な眼差しで主張したりすることも、全然稀有じゃない。

ちょっと調べていくと、何も若い女性だけじゃなくて誰でも名前を知っている大企業のトップや政治家、芸能人、スポーツ選手などの中にもたくさんの占い信者がいるということが分かってくる。
こういった傾向は、日本国民は特定の宗教を持っていない人が大多数だからなんじゃないか、と最近思う。

宗教に帰依している人間は、時に理屈を超越した絶対的な強さを持つ。
現実に即した状況や条件だけで自分の進むべき道を決められない時、信者はその判断基準を自らの信ずる宗教が定めるところに求めることができる。
欧米の多くの国ではキリスト教が、そして中東の多くの国ではイスラム教がスタンダードとして、生活の指針においてすらかなりの程度まで具体的に指南しているように見られる。
そういった国に住むマジョリティの人々は、ロジックだけでは解決できない悩ましい問題にぶち当たったら、神に相談して答えを出してもらうという選択肢を持つことになる。

私も含めて日本人の多くは特定の宗教を信奉していない。
うちは浄土真宗です、なんて言う人も、クリスマスを祝い神社に初詣に出掛けておみくじを引き結婚式はチャペルで行う、その程度の宗教倫理観であることがほとんどだ。
こんな無宗教者の中には、何か大きな決断をしなければならない時に、“すがるモノ”を持っていないことに対して心細くなってしまう人も少なくないに違いない。
迷っている、絶対的な価値観も持っていない、信頼できる相談者もいない…、そんな折、人は占いに行く末をゆだねてしまう。
ちょっと大仰だけど、そんな言い方ができるのかもしれない。

私は宗教を持たないことについて、決して悪いことだとは思わない。
米国での生活を経験した人によると、あちらでは無宗教というだけで人としてなにか欠損している、劣っているかのような目で見られることもなくはないらしいが、無宗教で何が悪い、無宗教バンザイ。
自分の人生における行動の指針を自己の内にのみ置くことは素晴らしいことである、と個人的に思っている。
でも、人間はそれほど強靭な生き物ではない、ということだ。

基督教信者も、ひょっとしたら本当に神が存在していると思っている人は少ないかもしれないし、旧約聖書に書いてあるように人間は神が創ったものではなくて、実際は進化の過程を辿ってきたのだ、という科学的仮説を支持している人がほとんどなのかもしれない。
しかし彼らにとって、聖書の教えや神父、牧師の説教はやはり大きな影響力を有し、生きてゆく上で重要な道標となっている。
それと同じように、占いが好きな日本人の多くも、理屈に照らし合わせて占いが的中する、と心から信じてはいないのかもしれないが、何かを決める時に自分の脳味噌ではない他のどこかに基準を求めたいのだろうと思う。
そしてそういった風潮が、私は好きではない。

でも宗教は戦争の原因になるけど占いはならないから、まあマシか。


♪ Chocolate Factory - R.Kelly

2008年01月15日(火)

頓悟か?

夜、自宅で日課の筋トレをしつつ、妻のアドヴァイスももらいながら先日体験レッスンを受けたピラティスの体の使い方を意識してみたら、同じスクワットやプッシュアップをやるにしても楽なこと楽なこと!
これは一種のカルチャーショックだ。
ピラティスでは基本中の基本であるらしい、骨盤底の下にある筋肉と腹横筋を使うことを積極的に意識しながらエクササイズを行うと、ことごとくの動きを相当スムーズにこなすことができる。
武術で“臍下丹田に力を入れる”とか、運送屋さんが重いものを持ち上げる時に“腰を入れる”とか、とにかくどんなフィールドにおいても“下っ腹に力を込める”というのは、共通して根底に流れる真理であることは間違いないようだ。
妻からピラティスの理論を断片的ながら聞いていると、結局は他種のスポーツやフィットネスが推奨している理屈と突き詰めるところ、相違ないものであることに気付かされる。
骨盤に限らず、肩の位置や動かし方、脊椎の保ち方などなど。
とにかく此度は、インナーマッスルを意識することができるのだということと、それができれば様々な動きがより楽にスムーズに行えるということが分かっただけでも、かなりの収穫だ。

今日は妻の誕生日、ということで、0時を回ったところでバースデイケーキを2人でささやかに囲んだ。

半分になったバースデイケーキ

「アルザス」の系列店、「キャリエール」のケーキで、外はクレープ生地、上には色とりどりたくさんのフルーツが載っている。
いやー美味い、深夜のカロリー摂取過多も、今日ばかりは仕方ない。


♪ 恋しくて - Begin

2008年01月08日(火)

覚悟が必要だ

言わなきゃもちろん伝わらないが、言ってもほとんど伝わらない。
触覚が備わっていない者はそもそも知覚することができない。
言ってしまえば気分は暗澹たるものになるが、言わなきゃ事態が凄惨なものになる。
他人を信じてはいけない。
預託すれば、担保を失った時の嘆息や如何ばかりか。
波打たぬ湖面の如き平常心で受け容れるということは、世を捨て虚無主義に耽ることと同義なのか?
背反する(かのような)二律の両立が、ちょっと私には慮りかねる。
そして放出された何某かは還ってはこない。
代わりに有象無象の報いが押し寄せてくる。
相当の覚悟が必要だ。
2012年12月22日に世界は終わるのか?


♪ エデンの少女 - 人間椅子

2007年12月12日(水)

書いててだんだん腹が立ってきた

会社から帰る電車の中で、ふと車内のモニターを見上げたら、次の駅は自分が降りるべき駅よりも10かそこら先の駅であるという表示が!!!
たとえて言うなら、新幹線で東京から名古屋まで行く時に、ふとモニターを見たら「次は新大阪」と書いてあったようなもん。
一瞬脳内がもんどりうった。
あれ、俺ひょっとして寝てた? いやいや、そもそも立ってるのに寝るわけない、音楽に夢中になりすぎて乗り過ごした? あるいは携帯をいじくっている間に30分ぐらいが夢のように過ぎ去った?
どの仮説も成り立たない。
結局ただ単に車内モニターの表示が間違っていただけで、何ら支障なく家に帰り着くことはできたが、何だか「世にも奇妙な物語」か「笑ゥせえるすまん」の登場人物になったかのような気分がした。

お世話になっているある方からお歳暮が届き、中身は「ストロベリーカルテット」という、イチゴを凍らせたスウィーツだった。

ストロベリーカルテット

いつも頂いておいてこんなことを言うのもまったく申し訳ない話なのだが、この方はお中元やお歳暮としてよくお酒を贈ってくれる。
実は私はまったくアルコールが飲めない。
なので、せっかく頂く高級酒も文字通り宝の持ち腐れ、たまたま酒を飲む知り合いがうちに遊びに来ればいいが、そういったタイミングがそうそうは訪れないもので。
ところが今回はフルーツを使ったお菓子。
酒が飲めぬ私はフルーツは大好きなので、このたびは心からありがたかった次第。
いや、いつもありがたいんですよはい。

フルーツといえば、妻が勤務先の近くにある「くだもんや YUKKO」という有名店の“フルーツキーマカレー”というカレーを買って帰ってきてくれ、食べた。
バナナやらパパイヤやらアヴォカドやらといったたくさんのフルーツと、野菜、各種スパイスなどが溶け込んでいるらしく、ちょっと辛めだけどいかにもフルーツ然とした甘酸っぱい味がする、非常に印象深いカレーだった。
これはいい。

「船場吉兆」の記者会見における妖怪ババアの囁き戦術には本当に腹を抱えて笑ってしまったが、舛添要一大臣の開き直り会見にはちょっと腹が立った。
ここまでとは想像がつかなかった、とのことだが、はっきり言って国民の大多数はここまで酷いと当初から予想していたと思う。
だからこそ、「本当に来年3月までに5000万件の全件照合なんてできるの???」とみんな疑問だったわけだが、「まあできると言ってるならやるんでしょう」と、役人と政治家の良心に賭けた微かな期待さえ、このたびは見事に打ち砕かれてしまったことになる。
「誰が大臣になっても同じこと」という舛添氏の言葉は、すでに腐りきったお荷物を後から引き受けてしまった人間の偽らざる気持ちだと思うし、「俺に責任はないのに」という本音の表れだとは充分忖度できるが、だからといって、そんな状況を十二分に理解した上で一省庁の大臣というポストを背負い込んだのだから、その立場にある人がああいったことを公の場で口に出してしまっては、もうおしまい、としか言えなくなっちゃう。
記者の質問にカッとなるのも分かるが、それを表に出して逆ギレしてしまったら、観ているこっちはもっと腹が立つし、何より、舛添さんは他の政治家と違うかも、と淡い期待を寄せていた国民に対する裏切りだ。
「選挙の時期だったので期限を縮めて言ってしまった」とのたまった、つまり「選挙に勝ちたいからウソを言いました」と明言して白状してしまった町村某氏、そして「そんなこと言ったかなあ?」と一世一代のボケを演じて大スベりした福田首相については、もはやまともに取り合うのも憚られる。
(私も含め)日本人はここまで愚弄されても立ち上がらぬだろう。


♪ B-Ballin On My Block - C-Murder

2007年11月14日(水)

バスケに興じた夜

昨日は朝から尼崎にある交通裁判所に行って、先日のスピード違反の分の罪を認めて罰金を払うという手続きを行ってきた。
その額6万円ナリももちろん腹立たしい限りだが、日時を指定して問答無用に呼び出したにもかかわらず、些少な手続きのためにあれだけの数の人々を長時間寒々しい待合室に待たせる傲岸不遜なシステム、そして人を人とも思わぬ職員の接遇態度に、彼らの脳内には“急ぐ”という概念が欠損しているんじゃないかしらと思わせるその怠慢な仕事っぷりときたらもう。
これだけ巷間でお役所に対する不満が百花繚乱噴出しているというのに、やっぱりあのお上体質だけは絶対に改まることなどないに違いない。
カエルの子はカエル、人が空を飛べないのと同様に。
JP? ふざけんじゃないよ。
民間企業を舐めちゃあいけない。

すでに年末年始を見据えた作業もたけなわになってきて、幸か不幸か業務が立て込みつつある昨今ではあるが、久々に仲間を集めてバスケをした。
ここのところ周囲の人々にはどうも草野球キチガイだと思われている節があるが、私の出自はバスケットボールだった。

久々のバスケ

20:30から22:00まで東大阪のHOOP7でプレイしたが、なんとチーム結成以来最多となる18人もの参加者が集った!
こりゃすげー。
場が用意されればみんな積極的に参加するんだなあ、待ち望まれていた様が目に見えたのであった。
それに昨晩集まったメンバーはみんなそれなり以上にできるやつばっかりで、最年長・33歳11ヶ月の私が明らかに一番ヘタクソじゃないか。
加えてかなり手を抜いてプレイしたつもりだが、終わってみると膝が痛い。
野球は40代になってもできる気がするけどやっぱりバスケはもう限界だなー。

冬の到来に備えて、RUSS-Kのダウンジャケットを購入した。
手越くんが着ているシングルライダースの色違い、ブラック。


♪ Speak Like A Child - Herbie Hancock

2007年10月31日(水)

開幕直前

いよいよNBA開幕前日。
今シーズンは近年いつになく、トピックスが多いように感じる。
もちろん勢力図を一変させる大トレード、ボストンにKGレイ・アレンが加わったことや、ペニーがNBAに戻ってきたこと、グラント・ヒルのサンズ移籍、ドラフト1位ルーキーのグレッグ・オデンがシーズン絶望になってしまったことといった客観的に大きな動きもあるが、個人的には昨年の世界選手権で生で観たイタリアのマルコ・ベリネッリやスペインのファン・カルロス・ナヴァーロ、中国のイ・ジャンリャンといった非アメリカ人のタレントがリーグ入りしたことに非常に興奮し、また期待している。
特にベリネッリはチーム事情から鑑みて出場時間が多そうだし、タイプ的にも故ドラーゼン・ペトロヴィッチがフィジカル面で強くなったような、あるいはペジャ・ストヤコヴィッチがスピードを手に入れたような選手だから、アヴェレージ15点以上は堅いんじゃないだろうか、と勝手に思っていたりする。
果てさてどうなることやら。


♪ Boom Boom - The Yardbirds

2007年10月26日(金)

6度目の結婚記念日、など!

先日スピード違反で捕まった報いとして、会社を休んで朝から伊丹の運転免許試験場に出向き、免停短縮講習を受けてきた。
朝7時に起きて普段乗らない通勤ラッシュど真ん中のJRで行かねばならない、という点を筆頭として、まあ地獄の責め苦かと思う苦行であった。
もはや心身ともに2時間の座学にすら耐えられなくなっていることに幻滅。
数度、意識が飛んだ。
唯一、体感ドライヴゲームのような機器を使うCRTという検査が少しだけ面白かった。
ああ、永島敏行らが出ていたドラマ仕立てのヴィデオもなかなか見応えがあった。
しかし免停期間短縮という餌をぶら下げ、たったあれだけの講習に1万3800円もふんだくるとは、やはりこういった機会に遭う毎にお上に対する嫌悪感は強まるばかりだ。

昨日は6回目の結婚記念日だったので、「アルテシンポジオ」に晩飯を妻と食べに行った。
最低限の希望のみ伝え、メニューはシェフお任せ。
ナスや大きなナメタケなどが入ったグリーンサラダに、ズワイガニとムール貝が載ったキターラという生パスタ、そしてメインディッシュが、ホロホロチョウと豚のホホ肉と豚のタンと各種ミートを使ったミートボール状のもの(ライチョウなどが使われているらしい)を盛ったもの。
まずいつものように野菜が得も言われぬ美味さ。
質の高い素材を確かな技術で細工するとこうなるという見本のような。
パスタのカニも身はほぼレア、そしてなんと1皿にカニ1杯分の味噌を使っているという濃厚なソースが相まってこれまた感動の味。
ホロホロチョウも柔らかかったし、豚のタンなんてのも、果たして今まで喰ったことがあっただろうか、とにかく美味い。
各種を盛り合わせてもらったデザートの皿には、結婚記念日おめでとう的なメッセージがイタリア語で書かれていて、心遣いも嬉しい限り。
素晴らしいディナーであった。

イタリア語で祝福メッセージが書かれたデザート皿

厚生労働委員会で舛添要一大臣を追及していた菅直人民主党代表代行といい、昨日再び会見を行った協栄ジムの金平桂一郎会長といい、自分のことは棚に上げた、ちょっと待てよ的な発言ばかりじゃないか。
ご存知、菅代表代行は1996年当時、厚生大臣をしていた。
このたび彼が追及している厚生労働省の失策については、当然彼自身が大臣を務めていた期間の不手際も含まれているわけで…。
改めて、ほとんどの政治家が重要視しているのは決して“政治”ではなく、“政局”に他ならないことを物語っている。
それに加え、役所、官僚は腐りきっていて頭もおかしいのだから(もちろん全員ではない)、よくこれでこの国が先進国の1つとして機能しているな、と不思議だ。
官がどれだけ醜悪であっても、国民は生活がままならぬほど飢えても貧に窮してもいないから、たとえ近い将来消費税が10%や15%になったところで、不満は漏らせど決して暴動になどは発展しない。
そこが一番大きな問題なのかも。

ジャンルは変わって金平会長も、いかにも神妙な面持ちで亀田一家を非難する論調で語っているが、いつから穴を違えるムジナになったつもりなのだろう。
“前回の亀田史郎氏の会見は謝罪になっていなかった”とのことだが、その際に記者が亀田氏に質問しているのに、「それについては私が代わってお答えします」と亀田氏をかばっていたのは金平会長その人じゃないか。
それを今さら掌を返したような言動、いくら悪党同士とはいえ、これもまた醜い裏切り行為にしか映らない。
ジム移籍についてだって、金平会長は“背信行為”云々としゃべっていたが、そもそも亀田興毅が2年前にグリーンツダジムから協栄ジムに移籍した時は随分とガタガタ揉めていた記憶があるがなあ。
舌の根も乾かぬうちに、という慣用句がこれほど当てはまる具体例もそうそうないと思う。


♪ Shakedown - Michael Monroe

2007年10月19日(金)

このような風潮は今に始まったことではなかろうが…、これでよくなると思う?

先だって劇場映画のPR惹句について文句を呟いてみたところだが、映画といえば次のような不満もある。
もうすぐ、垣根涼介氏の傑作小説「ヒートアイランド」を映像化した同名作品が公開されるが、その劇中、原作には登場しないヒロイン役の女子が出演してストーリーにも関わっていると聞いた。
ああそうだ、ちょうど今で言えば、映画じゃなくてテレビドラマ「ガリレオ」においても、原作本「探偵ガリレオ」(東野圭吾)には出てこないうら若き女性が登場していて、小さくない役割を担っているのだとか。
男性、あるいは若年層の観客(視聴者)を意識してのことなのか分からないが、完成された原作の中に現れない登場人物を追加して、そのために脚本も大きくいじってまで映像化するという魂胆の真意が掴めない。
どんな類のストーリーにおいても“恋愛”という要素が必要、という解釈がもしその礎にあるのだとしたら、これもまた誤った思い込みであると言わざるを得ないんじゃないか?
こういう改変について、原作者はもう少し突っ張っていただいてもいいような気がするのだが…。


♪ 銀河鉄道777 - 人間椅子

2007年10月16日(火)

PRについて一言

最近、劇場映画のテレビCFなんかで、「衝撃のラストシーンに涙!」とか「ラスト○分を見逃すな!」とか「4度のどんでん返しがもうすごいのなんの」とか、正確な文言は忘れたけれどとにかくこういう風な煽り文句が目立つような気がする。
これってどうなのだ?
そこまでネタバラシ(あえてこう表現させてもらう)されたら、観たいと思っていた映画もちょっと観る気が削がれる。
これは職業柄自戒の意も込めて書くのだが、懇切丁寧に、悪い言い方をすればアホでも分かるようにキャプションをつけてあげることこそがマスに対する親切である、という思い込みは場合によっては誤っている、ということを皆が理解すればいいと願う。


♪ Whiskey from the glass - Page & Plant

2007年09月06日(木)

物欲お化けと昭和の参謀お化け

「何かと物入りな時期だねえ」なんて、1年中言っているような気がする。
そろそろ買い替えなきゃ、あるいは買い足したいな、と思っているものを妻と合わせてザッと挙げてみただけで、デジタル一眼レフ、炊飯器、掃除機、オーヴン電子レンジ、パソコン、プリンター、CDラック、ソファ、腕時計、などなどなど…。
生活の中にこんだけいろんな機械が入り込んでたら、“買い替え時期”なんてもんは文字通り1年中、切れ目なし。
こんなん全部買えるわけねーだろ!
と無力感に包まれて、ピラティスレッスン帰りの妻と待ち合わせ甲南山手駅近くの「パッセジャーレ」でパスタを喰って帰ってきた晩。

話は変わって、うちは読売新聞をとっている。
不配が多くてその後の対応がまずい最寄り販売店には相応の不満があるけれど、新聞としては記事のスタンスが概ね好みなので(といっても積極的支持ではなく、朝日と比べれば、という点に負うところが大きいが。特に北朝鮮関連の記事の内容は異常だ、朝日)。
ところが、昨日付の読売新聞朝刊の「編集手帳」はどうだ。
先日死去した瀬島龍三氏を、表現は控えめだが賛美する内容。
まあ読売らしいっちゃあらしい書き方だが、いくら時代そのものがとち狂っていたとはいえ、さらに狂気を煽るあの戦争へと国を導いた1人である彼の人生をこうもあからさまに肯定するというのは、彼(だけではないが)の責で死んでいった者がいかほどいたか、ということを鑑みると、読んでいて気持ちのいいものではなかった。


♪ Lazy - Deep Purple

2007年08月23日(木)

日本語

さっきNHKの「ニュースウォッチ9」を観ていたらエンディング近くなって、ライトアップされた名古屋城の中継映像を見ながら女性キャスターが「今夜の名古屋は涼しく、気温は26度に届かない感じです」としゃべった。
26度に届かない「感じ」??
私たちが日常会話で話す言葉としては何らおかしくはないが、NHKのアナウンサーがニュース番組で使う用法ではないだろう。
ビックリした。


♪ I Remember Nothing - Joy Division

2007年07月10日(火)

とかくデジタル家電はややこしい

昨年10月より今のHDD/DVDレコーダーを使っているが、ついにHDDの容量の先が見えてきたので、CPRM対応とかいうDVD-Rを買ってきてそちらに移す作業に着手した。
そして今になって初めて、HD/SDモードでHDDに録ったデジタルコンテンツはDVDに高速ダビング(つまりデータコピー)できないという事実を知った。
ちなみにVR/ヴィデオモードでHDDに録っていたらそれが可能らしいが、そのモードだとHDでオンエアされている番組をHD画質で録ることはできないし、5.1cnでオンエアされているオーディオも2chのステレオに変換されてしまうらしいから、HD/SDがスタンダードだと思うんだけどどうなんだろう?
であるからして、データコピーではなく映像を再生しながらそれをRecする、ここまでのデジタル具合がウソのように霧散してしまうほどのアナログ的手法でDVDに焼くしかないわけなんだけど、1枚のDVDに2時間ほど収めようと思うと結構劣化するんだな、やっぱり。
42インチのプラズマモニターで観るともうごまかしようがない。
録画可能容量が4.4GBしかない、現行の片面DVDの限界か。
これまでは「当分要らんだろう」と高をくくっていた次世代DVDに対する渇望度が一気に高まったような気がするが、自分の中で…。
とりあえず規格が決着するのはいつになることやら。
それにデジタルコンテンツのコピーワンスも来年だかに、“9回まで(10回?)ダビング可能”になるらしいなんてニュースも見たし、そうなったら今使ってるレコーダーどうすんの!


♪ Rock & Roll - Hanoi Rocks

2007年06月23日(土)

嫌事言ってみました

昨日も埼玉の方で架線が切れてえらいことになったりと、やっぱし何かとあるJR。
そんなレヴェルじゃないけど、個人的に、JRっておかしいなあ、と思う数点。

その1
あまりにも遅延が多すぎる。
時間を逆算して家を出てもまったく意味をなさないことが日常茶飯事。
あの尼崎の事故を免罪符とした無神経極まりない遅延が過ぎる。
安全第一だから多少遅れるのは仕方ないじゃろ我慢せえ、という姿勢ではなくて、ちょっと安全確認を重点的に行っただけで狂ってしまうそもそもの時刻設定に無理があるのは明らかなのだから、私鉄に対抗せんがための見せかけだけのウソダイヤを改めるよう求めたい、まずは。

その2
駅に「障害者の方は駅員がお手伝いします」という旨の貼り紙があって、それ自体はいいんだけど、その貼り紙をよく見たら「原則的に乗車2日前までにお申し出ください」とか何とか書いてあってビックリした。
小旅行に出掛ける時の新幹線じゃあるまいし、日常在来線などに乗って出歩く予定を2日前までに決めて、さらには5分10分遅れることが当たり前の便まで指定して申し込まなあかんのかね?
つまり車椅子ライダーは「お、今日暇だから大阪まで買い物に行こっかな」とかしちゃいかんと言っておるのかね、JRは。
何という巨体か。

その3
これはまあどうでもいいっちゃあいいんだけど、比較的新しめの車両についている車内モニター画面に「日本語クイズ」みたいなVTRが流されているんだが、それが2~3ヶ月経っても内容が変わらんのよね…。
毎週変えろとは言わんけれども、せめて月に1度ぐらいは見直していただかないとあまりにもアレな気がして…。
おかしいなあ。


♪ The Greatest Show On Earth - R.Kelly

2007年06月08日(金)

巷の注目トピックについて

連日人気沸騰中の社会保険庁の年金のアレ。
自分は今まで転職もしてないし、「あんまり関係ないなあたぶん」なんて比較的悠長に構えてたんだけど、先ほど何とはなしにニュース番組を眺めていて、「いや、国民年金と厚生年金の両方に保険料を払っていた経験がある以上、それがシステムの上で一本化されておらず、ひょっとしたら不払い扱いになっている可能性もあるな」と、不意に不安になった。
20歳から22歳ぐらいまでは大学生だったので国民年金、会社に入って後は厚生年金。
こいつは大丈夫か?
妻などはそれに加えて、結婚して一度退職→派遣社員として再就職もしているから、さらにちゃんとなっていない確率が高まると思う。
ぬ~、いたいけな国民にこのような心配を理不尽に掛ける国め、許さん! と急に憤ってみたりしてみる。

与党政府は社保庁を日本年金機構なる組織に名称変更して、職員も非公務員=民間扱いにする、なんてプランを持っているようだが、それでサーヴィスが向上するなどと考えてる方が頭がどうかしている。
新たな天下り先になりうる、なんて原則以前の批判をこの際は置いておいたとしても、そもそも民間企業でいうところの同業他社たる存在がありえないんだから、日本年金機構の職員を民間にしまっせー、とアピールしている意味が分からない。
たとえば既存の民間の保険業界でいうと、日本生命があって第一生命があってソニー生命やその他いろいろな企業があるからこそ、同じ年金保険商品でも趣向を凝らして顧客に訴えようと思うだろうし、サーヴィスの質向上にも努めることになろう(にも関わらず横並びで腐敗していた、という事実が明るみになってさえいる)。
あくまでもお上が保険料を召し上げて取り仕切る公的年金という世界においては、日本年金機構なる組織と競合するような存在が現われようはずなんてないのだから、同組織の職員を建前“能力主義”を謳う非公務員にしたところで顧客第一主義が生まれるはずはないし、むしろ国家公務員法によって示されている“国民全体の奉仕者”という規定がスッカリ雲散霧消、パリのブティック店員や上海の雑貨店員(どっちもイメージで語ってます、すみません)並みに傲岸不遜な職務従事者が増える可能性こそが高まるだけではないのだろうかね?
このたびの政府案に関しては、百害あって一利なし、という使い古された慣用句がピタリ。
野党の強みとはいえ、まだ民主党案の方がマシなような気がするんだけど…。


♪ Dirty Little Thing - Velvet Revolver

2007年05月29日(火)

ニュースより

俄かに活気付いている様子の、社保庁のアレ問題。
5000万件以上というその件数も、一体何をどうすれば単純計算で日本全国民の半数近いその数値に至るのかがまず不明だし、乱暴に言い切るならば、国体による一種の詐欺ではないか、と思う次第。
業務上過失致死罪が刑法上存在する以上、今回のお粗末な事態も、罪名は分からないけれど絶対的に刑事事件だ。
それは間違いない。

それにしたってこのたびの件にしても、同じ社会保険庁の年金資金流用にしても公金を使った都知事の旅行にしても、私も含め、この国の人々はブツブツとこういった場所で不平は漏らせど、決して思い切った行動に訴えて怒りを体現することはないね。
これが中国人とかだったらえらいことになるんだろう。

中国といえば、彼の国にまつわるネガティヴなニュースも最近目に付くような気がする。
天上天下唯一独尊を地でゆく国民なだけに、笑えるネタもそれを通り越してしまっているシリアスなネタも両方。
1つだけ触れるならば、いくら欧州やこの極東の島国で“地球温暖化防止! CO2削減!”なんてチマチマ頑張っても、大局的モラルを致命的に欠くあの大国が、ちょうど30~40年ほど前の我が国のように工業面で一足飛びの躍進を遂げている最中である限り、まったくの徒労に終わりそうな気がして、エコバッグ持参でコープに買い物に行く自分たちがバカらしくならないでもない。


♪ 王様の耳はロバの耳 - 人間椅子

2007年05月28日(月)

符号

あれは10日乃至2週間ほど前のことであったろうか、夜電車に乗っていたら目に入った、「松岡農相自殺」という夕刊紙(夕刊フジかゲンダイ)のセンセーショナルな見出し。
んん? と思いながら改めて見ると、大臣本人ではなく地元 熊本の事務所関係者が自殺していたという内容だった。
見事にタブロイド紙の奸計に嵌まったわけだが、まさかその時早合点してしまった衝撃を事実として追体験しようとは。
ちなみに無責任極まりない一市井民の憶測ながら、果たして国会議員になり与党内閣の大臣にまで登り詰めた代議士が、あれほどの不明朗会計発覚とそれに対する追及程度で自らの命を閉じるような細い肝の持ち主だろうか? と愚かしくも感じてしまうのは、ここのところ石持浅海などのミステリーを立て続けに読んでいるからか、それとも下山事件にまつわる書籍を読んだ記憶がまだ鮮烈だからなのだろうか。


♪ Universe - TRICERATOPS

2007年04月19日(木)

“!?”と“?!”

世の中ではどちらかというと“?!”よりも“!?”の方がメジャーでポピュラーだと思うし、僕自身も今まで“!?”を使ってきた。
しかし今日電車に乗っている時ふと、「“?!”でもいいなあ! いや、場合によっては“?!”と表記すべきだ!」と脈絡なく思い当たった。

“!?”の順だと、疑問形の思いよりも先に、叫びがきている。
ある事柄をまず絶叫して“!”を付け、それから後に“?”を付け加えて疑問文にしている。
それに対して“?!”は、何よりも先にまず疑問符、問い掛けが立ち、その質問を強調する意味で、エクスクラメーション。
シチュエーションによっては、というか、ひょっしたら多くのケースにおいて、こちらの表記順の方がより的確に発信者の気持ちを代弁してはいないだろうか。

心の中に浮かんだ“?”に“!”を付ける。
これからは積極的に使用を心掛けようか。


♪ 名前のない鳥 - 山崎まさよし

2007年04月07日(土)

エッセイストか

結局、松坂大輔のデビュー戦はバッチリ生で観てしまい、6時に寝て仕事行ったけど眠くなかったのが不思議!

元々コントロールがそれほどいい方ではない松坂だけど、1四球という数字以上に、ストライクとボールがハッキリしていたような気がする。
特にスライダーを引っ掛けているケースが目に付いた。
けど何だかんだ言って、7イニング6安打1失点10奪三振はさすが! 立派!
防御率3点台前半、17~19勝と見ているが!?

昨日書き忘れていたが、DIESELのメンバーズポイントがある程度貯まっていたので、ノヴェルティのUSBメモリーと交換してもらった。

DIESELのUSBメモリー 非売品?

ちょうど1つ欲しいと思ってたし、こりゃかっこいい。
256MB。

「たけしの誰でもピカソ」の10周年特番を観た。
基本的には徹頭徹尾たけしさん賛美のコーナー連発だったが、顔ぶれが豪華、企画も豪華、それぞれが発する一言一言が妙に重くて、ずっと見入ってしまった。
いいこと言うなあ、というポイントだけが共通しているんだけど、少し前に観たフジテレビの「たまッチ!」というスポーツ特番にVTR出演していた桑田の名言がなぜかオーヴァーラップ。
「アメリカに来て分かったこと、日本の野球は素晴らしい。あとはパワーだけ」
あ、これは松坂の話題の時に書くべきだったな。
今回の特番の中では、宮沢和史がたけしさんの詩に曲をつけてGANGA ZUMBAが演ったりもしていた。
主観を述べさせてもらうなら、曲はイマイチだったけど…。

最近のニュースについて所感を少し。

市川市のイギリス人女性殺害事件の容疑者が未だ行方知れず。
被害者が容姿端麗な白人であることや、いろいろとネタを持っている容疑者のバックボーンなどから派生した話題が報道やワイドショーではよく取り上げられているみたいだが、これってもんのすごい警察のミスなんでないの、そもそも。
その時点で明らかに容疑者にもっとも近い人物の自宅に向かい玄関のチャイムをピンポン、そして丸腰の男1人は非常階段から逃げて行った、て!
ホンマに刑事か?
何でも総勢8名ばかりで向かっていたらしいが、素人が考えても建物の出入り口ぐらいは押さえんか?
ホンマに警察か?
もちろん全部のニュースやワイドショーを観ているわけでもないけれど、この警察の恥ずべき失態を大きく扱っている報道番組ってありますか。
当然今は容疑者を確保することが最優先なのでそこを今突いてもしょうがないのだろうが、いつぞやの未成年者が容疑者だった事件のように、容疑者が逃亡中に自殺→真相は不明、なんてオチだけは避けてほしいと思う。

あと、ついに赤ちゃんポストが地方自治体(熊本市)の許可を得たんだとか。
いろいろと屁理屈はつけられようが、やっぱり絶対的に本末転倒でないか。
違法行為(それも人命に関わる)を前提とした上で、その逃げ道をお上が用意するという異様ぶり。
スピード違反をする車の存在を前提として、高速道路に“100kmオーヴァーの車は安全のためこちらをお通りくださいレーン”を作るか?
我慢できない人はこちらで触りたい放題、女性専用車両ならぬ痴漢専用車両を用意するか?
人命に関わるからこそ、と大義名分をブチ立てているようだが、それはやはり詭弁だ。
社会通念上許されざる行為であるからこそ法規制で制限しているのならば、この方策は道理の上で破綻している。
大げさに言えば、法治国家であることを捨てた。

なことを思っている矢先に、苫小牧で21歳の母親が、「育てるのが煩わしくなった」とかの理由で4歳の長男と1歳の三男を自宅に置き去りにして男の家へ(次男はどうしたんだろう?)、なんとそのまま1ヶ月以上も放置し、哀れ三男は死亡、長男は生ゴミや生米、マヨネーズやケチャップを食べて何とか生き永らえていた、なんてニュースが。
拷問しても、撲殺しても、膾斬りにしても物足りないこんな気狂い女が母親になるような世界ならば、法治国家であることを捨てても赤ちゃんポストを置く意味はあるかもね。


♪ Wolf To The Moon - Rainbow

2007年04月06日(金)

欲しいとは思ってたけど、まあ衝動買い

今月28日から公開される映画「北斗の拳 ラオウ伝 激闘の章」の前売り鑑賞券(トレーディングカードの特典付き)を買いに梅田の「イーマ」に行ったら、よく行くB1Fに入っているDIESELに吸い込まれ、ロンT、ニット、タンクトップ×2と一瞬で買ってしまった。
危うくジーンズも買いかけたけど、思いとどまった。

トレーディングカードの特典付き「北斗の拳 ラオウ伝 激闘の章」前売り鑑賞券

と書きつつ、アップする写真は買った服のじゃなくて前売り券というのもどうかという話。

今年の本屋大賞が佐藤多佳子の「一瞬の風になれ」に決まったようだが、久方ぶりに“本屋大賞”の意義を何とか満たす受賞だったと思う。
すでに100万部売れてる本を選ぶなんて愚行は誰も二度と望むまい。
今回も宮部みゆきや伊坂幸太郎や三浦しをんなんかが選ばれたらどないやねんと思っていたけど、ギリギリセーフ?

松坂の登板まであと2時間あまり、果たして試合を観てから寝たとして、今日の仕事は大丈夫か…?


♪ My Brother Jake - Free

2007年03月30日(金)

稚エビ発見!

昨日、うちの35cm水槽内に、飼っているミナミヌマエビの仔を発見!
小さいからよく見失ったり、ちょっと苦労したけど何とか撮影もできた。

ミナミヌマエビの仔

今までに見かけたのは全部で2尾、大きさは約1cmほどと、ちょっと成長した個体だったので、おそらくは卵のうち、あるいは孵化直後にだいぶ犠牲になっていたやもしれぬ、エビの繁殖を企図した水槽内環境でもなかったし…。
とはいえ、こうして思いがけず新しい生命が生まれ、そして育っているということは本当に素直に嬉しく、喜ばしい。
これから水換えや掃除の時なんか気をつけなきゃだな…。

夙川の桜は木によってもう遠目にもはっきりピンク色が分かるほど花を開かせており、3分咲きってカンジ?

夙川駅のホームから望む桜

来月8日に花見予定なのだが、結構ちょうどいいかも。

「すぽると!」で福岡ソフトバンクホークス 和田毅選手の、途上国の子供たちにワクチンを送る取り組みを特集していたのを観て、これも素直に心動かされた。
他者や社会のために役立ちたいという行動のきっかけやモティヴェーションが自分の能力向上にも直結していて、ユニークで、そしてもちろん実効的で。
スタイルの1つとしてハイブリッド車を選択したり、奥底の意味を慮りもせずに「LOHAS」とか口にしているよりも美しくて、かっこいい。
不特定多数に対する無償の自己犠牲なんてものは存在してなくて、だったら自分の欲求に応える行為が他者への貢献につながる、誇張じゃなく助かる命がある、それは生活上の制約も含めて誰にでもできることでは決してないけれど、実現させることができれば賞賛の対象になる、そう思う。


♪ Pocket Engines - Warrior Soul

2007年03月27日(火)

安定しない日々

先週火曜の夕方にインフルエンザアタックに沈み、水曜木曜と2日休んで金曜から仕事には復帰したのだが、本調子に戻らない。
昨日一昨日あたりもずっと37℃前後の微熱が続き、活字を読んでも頭に入らないし仕事にも集中できない。
これは本当にインフルエンザだったのか?

太古の人は星を視る能力を持っていたようだが、今の私たちは、電子機器を操ることはできてもコンタクトレンズなしには生き永らえることすらできない。

自信は喪われ、不安ばかりが増してゆく。


♪ I Wanna Be Sedated - Ramones

2007年03月17日(土)

法治国家とは、何だ

先輩と喧嘩して気分が優れない、疲れ果てた土曜の夕刻。

堀江貴文被告に懲役2年6月という実刑判決が一審で出た。
大方の予想を裏切る厳しい量刑だったが、“正しい情報開示をせず、粉飾決算を強行して投資家たちを欺いた”点が悪質と判断されたようである。

彼を個人的に庇うつもりなどは毛頭ないが、それでも客観的に考えて、この判決が公明正大、中立公正なものであるとは私には皆目思われない。
ちょうどタイムリーな時期に起きたもんだけど、日興コーディアルの幕引きがあれで、ライブドアがこれ?
堤義彦氏の例も然り、誰がどんな虎の尾を踏んだのかは知らないけれども、少なくとも民主的な法治国家とされているこの日本において、「潰す」とロックオンされた者は必定捕らえられ、「逃がす」と判断された者は生かされる、という厳然たる現実が改めて示されたに過ぎないように感じる。

同じ科学と名付けられながらこのあたりが自然科学と異なり人文科学のややこしいところで、つまり、○○学、と定められたそのフィールドにおいて、自然科学はその名の通りに人の手では曲げようのない客観的かつ不変な法則に万事が従うものだが(厳密に言えば自然科学においても、たとえば観測者が対象物に影響を与えるとか、物理法則も一定ではない、という理論もあるようだけど、ここでは置いといて)、法学や経済学、文学などの人文科学一般の内にあっては、その世界を支配するルールを定めるのは常に人であるから。
円の面積はどこに行っても何時代でも政権が交代しても、半径×半径×円周率、というのは変わらないけど、これをやったら犯罪になる、という基準はコロリコロリといとも簡単に変容する。

たとえば、成人がミドルティーンエイジャーと性行為をする、これは日本においては法律あるいは条例違反とされ、処罰の対象となる。
初潮が訪れ、または精通が済み、生理的には繁殖可能とみなされ性交を許されたとしても、近代民主主義国家において広く渡っている社会通念や常識の下で照らし合わされてそれが「いけない!」ということになり、その価値観に則った法律が制定されれば、たとえ昨日まではおおっぴらに行われていたことであってもすなわち犯罪になる。
そしてこういったスタンダードは極めて不安定。
犯罪行為を定めるスタンダードを決めるスタンダードこそが、無形で実体のないものだから。

さらにやっかい極まりないのが、同じ基準の中で同じことをしても、断罪されるケースもあればされないケースもある、という現実。
日興コーディアルは上場廃止すらも、見送られた…。
堀江被告は投資家を欺いたことが悪質、らしいが、ワル度合いで言えば国民全体を欺いて虚偽の公金使途報告を行う代議士の方がよっぽど上を行っている。
しかし「毎日5000円の水を飲んでいる」と言い張っている大臣がそのことによって牢獄に繋がれることはまずないだろうし、血税を使って家族旅行に行っている都知事が横領罪に問われることもおそらくないだろう。
ちょっと話は逸れるが、厚労相の「女は子供を産む機械」発言の時にはキャンキャン噛み付いていた民主党の攻撃の手が、今回の農水相に対してはどうにも甘い気がする。
件の失言の折には「そんなんどうでもいいから早よ予算審議せえよ!」とこちらが思うほどに揚げ足を取ってすっ転ばそうとしていたクセに、やはりこの種の問題(カネ)になると党を問わずに叩けば埃が出るからなのか、矛先が鈍い鈍い。
国民を愚弄している度合い、という観点からいけば、実のところ此度の方が遥かに腹立たしいことなんだけれど。

○○罪、○○法違反、と一目で分かる記号的な罪状で呼び表されることはないかもしれないが、国民の義務として否応なしに徴収され支払っている我々の税を、世間を欺いて代議士が私的に使用していることと、少なくとも自らの意志で株式市場で取引を行っていた投資家を一企業が粉飾決算で欺くこととを比較した場合、前者の方が圧倒的に悪質なんでないの、と個人的には強く思う。
操作した額の多寡や社会に与えた影響の大きさ、などの尺度で罪の軽重を判断することは根本的に誤っている。

生かす者は生かされ、殺す者は殺される。

突き詰めて考えてしまえば、法律や条約や条例を含め、この世のすべての“人が決めたルール”は所詮幻想に過ぎないとも言える。
日本国憲法が基本的人権を保障していることは大人なら誰でも知っているけれど、その憲法が謳う“基本的人権”とやらがそこかしこで頻繁に侵されている、という事実もまた、誰もが知っている。
だから結局、目に見えず実効もしないそんな法など、逼迫している個人にとっては、存在しないに等しい。
“人間らしく生きる権利”、さらには“生きる権利”なんてものを本当は国家が保障してくれるわけなんかあるはずがなくて、自分で勝ち取る以外に術はない。
ウシやウマやイヌやブタが、「お前は食用だから殺されなさい」とか「お前は脚が速いから人間の金儲けのために走っていいよ」とか「お前は金持ちの家で大事に飼われるんだよ」とか定められるのと相似であるように。
そもそもが警察機構というものは、いつの世もどんな社会であったとしても、「現体制を保守する」、ということが至上命題なのだから、当然それが遂行するべき任務の内容も政権が変わればカメレオンの体色のように変わるわけで、すなわち絶対基準でなく相対基準。

そんな不確実な判断基準を抱えた公権力が人の生を握り左右する、そういう法治国家に私たちは住んでいる。

ひょっとしてアナーキズムの端緒か?


本日の夙川の桜のつぼみ。
先週先々週と撮った小枝がなんと今日見たら伐採されてなくなっていて、少し寂しい。

夙川の桜のつぼみ


♪ Walrus - Ministry

2007年03月11日(日)

ワイヤレス化進む…もiTunes7.1に不具合で一頓挫

昨日、仕事帰りにヨドバシカメラに寄り「AirMac Expressベースステーション」を購入!

AirTunes機能を備えた「AirMac Expressベースステーション」

このベースステーションはAirTunesという機能を内蔵しており、これを使えばデスクトップPCやノートPCで起動しているiTunesの音がワイヤレスで聴けるというスグレモノ。
徐々に整備されてゆく(そして飛び交う電磁波がいや増してゆく)我が家のワイヤレス環境。

我が家のPC環境略図

しかし実はこのシステム、未だ少し問題があり、完全構築には至っていない。
MacBookの方のiTunesからは問題なくAirTunesを使用でき、無事にリヴィングのオーディオシステムからワイヤレスで音が聴こえてきたのだが、WindowsのデスクトップPCからは上手くいかないのだ。
iTunesの画面に現れるはずのスピーカー選択小窓がいつまで経っても出現しない。
何度確認しても設定に問題はないはずだし、うーんと独り唸っていても仕方ないからアップルのサポートデスクに電話をして訊いてみたら、なんと数日前に公開されたばかりのiTunesの最新ヴァージョン、7.1のWindows版には若干不具合があり、AirTunesで接続されている外部スピーカーを認識しない、という報告が今続々寄せられていて調査中、という事実が判明。
もちろん僕もすでにアップグレードしてしまっている。
試しにAirMac Expressベースステーションにバンドルされていた古いヴァージョンのiTunes6をWindowsにインストールしてみたらバッチリAirTunesをマウントしてちゃんとワイヤレスで聴けたので、これでビンゴのようだ。
とにかくアップルがWindows版のiTunes7.1をアップデートするのを待つしかないな。

それはまあいいのだが、アップルのサポートの人、もうちょっと頼りがいがあってほしい。
というのも、最初にこれこれこういう具合です、とすべての環境と状況を説明した時は、「WindowsのデスクトップPCはAirMac Extremeベースステーションに有線LANでつないでいるので、それだと既存のExtreme環境にクライアント接続しているAirMac ExpressのAirTunse機能は使えません、つまり、仕様なんです」という意のことを言われたから!
僕はショップで買う時にも一度店の人(ヨドバシカメラの人じゃなくてちゃんとアップルから派遣されてきている人)に自宅のLAN環境を説明した上で、「どっちのPCのiTunesからも使えます」という言質を取ってから買ったので、サポートデスクの人に電話でそう言われ、ええ!? と衝撃を受けつつ「でも店の人には『ルーターじゃなくてブリッジとして使えば大丈夫』と言われましたが」と再び喰い下がったところ、ちょっと待ってくださいと引っ込んで調べてきたサポートデスク氏、「すみません、その環境で使えるようです、ちなみにiTunesのヴァージョンは?」と返答してきて、ようやく問題の本質に行き当たったのである。
もうちょっとでヨドバシカメラに「金返せ!」って行くところだった、頼むで。

実は先日も、AirMac ExtremeベースステーションにUSB接続して共有する外付けHDDのフォーマット形式について一度アップルのサポートデスクに電話をして訊いたところ、「うーん、何でも大丈夫だと思いますよ」的に明確な答えが得られなかったのだが、本当の話は、AirMac Extremeベースステーションに接続する場合はMacはもちろんWindowsからでもフォーマットはHFS+にすべし、ということらしい。
そしてその事実を僕は、「Mac Fan」や「MacPeople」といった雑誌を見て初めて知ったよ…。
雑誌に載るような仕様も知らないんだもんなあ、サポートデスクの人。
FAT32でやったら見えないはずだ。
まあその前にそんな大事な仕様はヘルプやマニュアルやサポートサイトに書いといてよって話なんだけど。

しかしこういった事態が起こるのも、ことデジタル機器に関してはプロユースとホームユースの垣根がどんどん低くなってきている、という最近の傾向も関係しているのだと思う。
専門知識を持たない普通の人たちが家庭で使用する機械が、複雑になりすぎている。
アナログの時代には考えられなかったことだけど、単にテレビ1つとったってデジタル対応の今のプラズマテレビや液晶テレビのややこしいことといったら!
HD/DVDレコーダーももちろん然りだし、携帯電話だってもはや小さなパソコンに相違ない。
僕も自分の持っているFOMA端末の中に、触ったこともない機能が半分ぐらいあるだろう。
最近はどんな家電にもコンピューターが搭載され、そのインターフェイスもどんどんPCに近付いていっているから、高齢者などは本当に独りで生活していくことすら危うくなりつつあるんじゃないか。

最近Macを買った僕だけど、アップルのテレビCMもどうかと思う。
ラーメンズが出てるあのシリーズ。
いわく、Macはウィルスとは無縁だとか、Macはフリーズしないとか、Macでサイトを作って公開するのはたやすいだとか、とかく“パソコン”(Windows)と比較して簡単である、ということを全面的にウリにしてるけど、ハッキリ言って誇大広告もいいところじゃないか?
確かにOSの構造自体はMacの方がWindowsよりも格段にシンプルなのは認めるし、ネットワークの設定なんかについてもMacの方が明らかに容易ではあるけれども、それでもトータルで見たらそれほど劇的な差はないだろう。
実際僕の周りにもいるのだが、「Windows使っててつまづいたけど、Macだったら簡単にできるんだ」と安直に考えてしまう人を量産している、1つの罪。
Windowsでホームページビルダーを使いこなせずにサイト製作を諦めてしまった人が、MacのiWebと.Macだったらいとも簡単にそれができるようになる、とはどうしたって考えづらいし、同じように、iPhotoやiChatやiMovieが同種のWindows対応ソフトに比べて圧倒的に簡単かと訊かれたら、自信を持って首肯できるはずもない。

iPodやiTunesをこれだけ爆発的に普及させたアップルのビジネスモデルは確かに優秀だし、実際商品の質も高いことは紛れもない事実だが、“それらは誰にでも簡単に使いこなせる”というあまりにも甘い幻想を広く植えつけてしまった、という罪もまた負っていると思う。
っていうか、iPodすら(と言っては失礼だが)使いこなせない人って、本当に思った以上に多いみたい。
一人歩きしている?

と言いつつ、ここにきて頓にアップル製品が増殖している我が家!
やっぱしモノはいいんだよねえ、使い勝手、かゆいところに手が届くサプライ、そしてデザイン。
いっそのこと将来的にはデスクトップPCもMac化しようか、なんて一瞬思ったりもしたんだけど、やっぱり世の中は圧倒的マジョリティであるWindowsをメインターゲットに想定して設計されているから、“Macだけ”だとできないことが出てきちゃって、ちょっとMacオンリーには踏み切れない…。
WindowsとMac両方使ってみて分かること、結構あって面白い。


夙川の桜のつぼみは、少し大きくなった。

膨らんできた夙川の桜のつぼみ

1週間前のエントリーの写真と同じ枝だから分かりやすいでしょ?


♪ We Rock - Dio

2007年03月01日(木)

すべては個人の線引き次第

PCとオーディオアンプをつなぐオプティカルケーブルを買ったばっかだけど、やっぱり理想はワイヤレスだよななんて思って、Bluetoothを使ったワイヤレスシステムをうろうろと探してみた。
iPodや携帯電話など、携帯型プレイヤーを念頭に置いたBluetooth対応ヘッドセットは山ほど見つかるが、お目当てのアンプにつなぐレシーヴァータイプのものはなかなかヒットしない。
それでも頑張って探してみたら、種類は多くないが、アンプに付けるBluetoothレシーヴァー単体や、レシーヴァーと送信機がセットになったものなど、いくつか使えそうな商品はある。
探し始めた頃はBluetooth内蔵のMacBookのiTunesを稼動させることが前提だったけど、そうかUSBに挿す送信機もセットならばちょい古いデスクトップからでも充分聴けるわけだな。
まあこれはしばらくは買わないと思うけど。
ちなみにヨドバシカメラにも寄って何人かの店員にいくつか訊いてみたんだけど、まだ世に登場してそれほど年数も経っていない規格だからなのか、ビックリするほど知識を持っていない。
しっかりしてくれまたえ。

数日前のニュースだけど、ホンダのF1マシンの車体にはスポンサーロゴを載せず、代わりに地球の絵を描くんだとか。
「地球環境問題への取り組みを新コンセプトに」。
この星の環境を大事にしようという姿勢と行動はもちろん極めて重要で望ましいことだし、それについて何ら否定する意思はないが、でも、短絡的にまず思ったのは「じゃあF1レースやめちゃえよ!」ということ。
CO2削減、温暖化防止、化石燃料を大事に、なんてことをコンセプトに含めながら、大雑把な想像で申し訳ないけれどもおそらくは100台や200台の乗用車がアイドリングストップを心掛けたところで追っつかないほどのCO2を撒き散らし、限りある原油資源をアホみたいに浪費するF1グランプリというものに積極的に参加し、のみならずそのイヴェントにおいて「地球環境への取り組み」をアピールするという壮大な茶番劇。
に思えるのは私だけ?

正直に言えばいいのに。
私たちは今さら地球環境に少なからず悪影響を与える科学技術を享受することなく生活することはできない。
ガソリンのない生活はちょっと想像ができないし、同じように電気も必要、木材も必要、夏になれば冷房を点けるし、冬には暖房がいる。
生きていくためには獣も殺すし海洋資源も獲る。
そうした生命活動の基幹のみならず、人間である以上娯楽も必要とする。
地球環境にとって好ましくない娯楽も数多い。
数多あるそんな娯楽に含まれる1つがモータースポーツ。
私は個人的にはF1を止めてしまえなんて意見を持っているわけではもちろんなく、鈴鹿にも何度か観に行ったぐらいむしろ好き。
だから、なのかどうかは分からないが、そのF1レースと環境保護を結び付けることだけはどうしてもおかしいと思う。
F1はF1で娯楽としてあればいいし、他方、できることから意識を高めて地球環境を守っていきましょうと啓蒙し合えばいい。
F1マシンのボディに地球を描くことは、再度言うが、笑えないギャグだ。

自分のできることからやっていきたいとちゃんと地に足つけてハイブリッド車に乗っている人は素直にえらいなあと思うけど、私こそが環境保護の急先鋒であり体現者ですてな顔をして(時には言葉に出して)ハイブリッド車を走らせている人には、「じゃあ自転車乗れば?」と言いたくなる。
あんたたちの国って未だにクジラ獲ってんの? 野蛮です! 絶滅します! などと叫んでいる人たちには「あんたたちの国でスポーツと称して行われているハンティングを法律で禁止する方が意味あるけど? そもそも肉は捨てて脂だけ採るためにさんざんクジラを獲りまくっていたのはどこの国?」と言いたくなる。
その種が持つ特性や歴史などを何ら学ぶことなく、かわいいからと飼い犬に服を着せ靴を履かせ運動も満足にさせることなく悦に入っている自称愛犬家には、「あなたは動物が好きなのではなく、“自分の所有物であるペット”が好きなんですね」と言いたくなる。

今読み返してみるといささか飛躍してしまっているけど、今回のニュースを見て思い出したこのような感情。

算数じゃないから正解はないし、万人が共有できる絶対的な価値観もない。
だから、考えることにはたぶん意味がある。

そうそう、書き忘れていたけどもう1つニュースでビックリしたのが、「悪魔が命令した」のが認められちゃって無罪判決が出た気狂い轢き殺し犯。
こうした報道を聞くたびになんとも言えない気分になる。
心神耗弱、心神喪失、責任能力なし…。
なんだか難しい言葉で表現されるけど、そもそも故意に人殺す時に、まったくもって心神が“正常”な人っているのだろうか?
ゴルゴ13ぐらいしか思い浮かばないぞ。
別に人殺しじゃなくたって、暴力衝動を持っている人なんかはコトを起こしてる最中は言ってみりゃ心神喪失状態だろう。
酒飲みは酔っ払っている時は明らかに心神喪失だ。
じゃあ泥酔して人殺して記憶がなければ無罪か?
ヤク中は無罪になることもあるみたいだが。
違法薬物でトリップしてる奴が「精神障害者」と認められて無罪ってのも考えてみればぶっ飛んでおかしな話だな…。
それに、責任能力って定義もよく分からん。
どんな人間だっていかなるケースにおいても、人を殺した時にその“責任”なんて取れるわけがないだろう。
正常とされる者だって気狂いだってそれは同じだ。
人の生命を殺めた責任を負う能力なんてもの、誰も持ってないから代替罰が与えられるだけじゃないのか。
それならば罰は決して罪を犯した者の人格に因るものではなく、その罪そのものに応じてのみ与えられるべきだと思う。
それこそが社会の中で権利を与えられてきた人間としての責任じゃないのか。
気狂いだって何も犯罪を起こさなければ一人前に権利だけは認められてきたはずだ。
人権も何ももらってねえよと言うんなら話は別だが、そうではない以上、しでかしたことについての罰はそれこそ差別することなく課さなければ。
もしこのような判決が罷り通るのならば、人を殺した時に無罪と認められる可能性があるすべての人間はコトを為す前に隔離監禁すべきだ、という論法こそが正道。
この論法における結論が成立するわけがないというのは自明であるが故、前提となる“このような判決が罷り通る”という仮定も反故にせざるをえない。


♪ 人間転生 - 真理の御魂 最聖 麻原彰晃尊師

2007年02月07日(水)

「ジョトォ」のケーキなど

今日は東京日帰り出張。
新大阪駅のホームで、最近頓に盛り上がっている陣内智則さんとバッタリ。
かつて春先の大阪 桜ノ宮で、ドブ川みたいに汚い川に忍者装束を着せて潜ってもらう、なんてハードなロケもご一緒したことがあるが、もうそんなことは決してさせられぬ、遠くへ行っちゃいましたね~、なんて。
本人は否定されていたが。
挙式まであと10日、さすがにちょいお疲れっぽかった。

音羽地区の某大手出版社で一仕事終え、帰阪…なのだが、ここであることをふと思い出し、銀座の三越に立ち寄る。
実はかねてより目をつけていた洋菓子店「ジョトォ」でケーキを買って帰ろうとひらめいた。
関西では京都の大丸にしか出店していないようで、なかなか行く機会もないので。

いざB1Fのショップに行ってみたら、なんと店先からデパート内の階段に至るまで、100人単位の行列が!
むむむと思いつつよく聞いてみたら、これは17時からのシュークリーム販売を待つ列だそう。
ここの店では12時と17時の1日2回限定でシュークリームを売っており、その人気たるや、この目で確かめた。
今日はすでに売り切れで間に合わなかったが、次機会があればこれもチャレンジしてみよう。

今回買ったのはモンブラン×2、かぼちゃプリン×1、ジョトォ(ショートケーキ)×1。

「ジョトォ」のケーキ3種

帰宅は結構遅くなったが、妻と分けて食べた。
これは美味い!
大人の味で貫かれたモンブランに甘くないかぼちゃプリン、そして生クリームが「ツマガリ」並みに美味なショートケーキ。
今夜のカラダスキャンが少し恐ろしい。

帰途、iPodから流れてくるボブ・ディランの「Just Like A Woman」を聴いていて思ったが、この曲の邦題「女のように」って、柳沢厚労相の一連の発言をある意味超越している意訳だなあ。
詞のニュアンスがまったく伝わっていない。

明日から再び静岡 伊豆へロケ、そして会社泊と2泊3日の旅だ。


♪ PERSPECTIVE - Yellow Magic Orchestra

「これも含めて、スーパーボウルなんです」

今、スーパーボウルのリピート放送をNHK BS1で観ているのだが、試合については詳しくないので置いとくとして、プリンスのハーフタイムショーがすごかったね!
バスケットボールと違いアウトドアのデカいスタジアムならではのド派手演出。
いやはやスケールが違う。
独立したコンサートイヴェント並みの手間隙を掛けているじゃないか。
そして雨が降りしきる中、「Purple Rain」。
おなじみのシークレットブーツとちょっといただけないノイジーなアドリブのギターソロを差っ引いても、素晴らしい。
プリンス観たくなった。

さらにすごいと言えば、JAL社長が自身の報酬大幅カットなどを含めた再編を発表とか。
年間収入は960万円に、個室も廃し、電車通勤も検討?
まあ当然と言えばそうなのかもしれないし、これまでの経緯に問題があったことも事実だろうが、ここまでの英断はなかなかできるもんじゃないと思う。
素直に、えらいなあ、と思った。
人間って大なり小なりその手中に収めた既得権を手放すことに関しては異常なほど抵抗するのが常。
だからこそ世の中はいびつに、醜く、そのピラミッドを変容させていく。
これを見習ってぜひともお役人の方々に血税の使途を考え直していただきたい、と望むのは無理があるか。


♪ When Doves Cry - Prince

2007年01月28日(日)

極論であること委細承知

ハイティーンと呼ばれる年代あたりに差し掛かり、人並みにものを考えることができるようになり出した頃以来の、決して解決せぬ継続した命題を、昨日も今日も明日も僕は考えてしまう、きっとたぶん。

たとえば、ある人が持っている1つの性質、特徴的な性格の1要素を言葉で評するのにも、いろいろな表現がある。
同じ性質を表すのに、「あの人はしつこい」と言えばマイナスイメージがもちろん強く働くし、対して「あの人は粘り強い」と言うならば、それは称賛の範疇に入る。

そんなケースと同様の構造体として捉えられるような様々なテーゼ、決して両立し得ない矛盾した生活目標のペアが何組も何組も、僕に襲い掛かってくる。

僕は4年前ケニアに旅行に赴いた時、せせこましい世の中で小さな物事に拘ることの馬鹿馬鹿しさを知った(気がした)。
また別の機会には、「世の中は自分の思い通りに行かないのが当たり前、細かなことをいちいち気にしているべきではない」と自ずから思い至ったりもした。
ところがまた、さらに別の機にはこうも思う。
「細かいことを気にしないというのは、一見大らかで豪放な性格には見えるけれども、それは“大事なこだわり”さえも失っているということにはならないのか? すなわち、向上心を、もっと生々しい表現をすれば、野心を失っているということになりはしないか?」

誰もがまったく他者と関わりを持つことなく生きていくのは不可能だから、外にも出て行けば会話もする。
どんなポリシーを持ってどんな生き方を選択していようが、その時に不快な思いを味わうということは、必ずある。

レストランに飯を喰いに行ったら無礼な店員の応対に腹が立った。
道を歩いていたら数人で前をふさぐ無神経な団体が邪魔でイライラした。
会議の席上で空気を読まず的外れな発言をする輩を軽蔑した。

誰にだって訪れるそのような機会に、「まあこんなのはよくあることだから」と波風立てずに穏やかに飲み込むことができる人は、確かに成熟した大人であることには違いない。
僕だって常にそうやってすべてを包容してしまうような大人物に、なれるものならなりたい。
何が起こっても怒らず慌てず騒がず、心の平静を失わない人になれたらどれだけいいだろう、と思わないことはない。
だけど、もしもそうなれたとして、それは本当に“正解”なのだろうか?

レストランの店員が応対を誤った時、客たる僕はいついかなる場合でも「いいですよ」と笑って許すべきなのか、それが本当に“大人”としての振る舞いなのか?
もしそうでないならば、果たしてどこまでの行為を笑って水に流すべきで、どこからが「ちょっと待てよ」とクレームを申し述べるべきなのだ?

業務上の動きにおいて、守るべき領分が侵されていると感じた時、“大人”は事を荒げずにやんわりと受け流すものなのか?
そうでないならば、多少のリスクを冒しても、理屈の上で間違っていることは間違っていると主張するのが企業戦士のあるべき姿なのか?
そもそもクリエイティヴィティが必要な戦場において、“調整ごとが得意”であることと“鋭利な企画力を持つ”ことは1つの人格の中で両立するのか?

すべてのケースが生き物であり、すべての刹那は唯一無二であるから、判断基準たるラインなど端から存在せぬのかもしれないが、それでもその“線”を永遠に探し求めながら、少なくとも僕は残りの時間も生きていく。

自分の器を大きく育てながら、正統に生き様を主張し、失ってはならないこだわりを持ち続けるということは、至難、というよりも、絵空事…?


♪ Face To Face - Tommy Lee

2007年01月20日(土)

私の集中力は、マルチタスクよりも優先的に使役される

音楽を聴くのも本を読むのも好きで、往復の通勤電車内でしばしばそれを私は行うが、1つ1つを単体で実行するのはいいけれど、同時にやるのはよくない。
どんな本でも曲でもそれはあまりよくないが、特に古川日出男の著作を読む時、彼が構築する言葉の群れは、音楽を聴きながら、を許さない。
全能ならぬ全脳を以って当たらねばならぬ!


♪ The Wasteland - Warrior Soul

2007年01月08日(月)

帰国、寒い

昨日の午前、シンガポール旅行より帰国。
30℃オーヴァーの赤道直下から帰ってきたら日本は相当の悪天候、寒くて寒くてビックリしたよ。
ペットショップから引き取ってきたリクガメも家で留守番していた魚たちも大事なく、一安心。

シンガポールに行った最大の目的は、夜しか開かない動物園、「ナイトサファリ」であったが、そこに隣接する昼間の動物園、「シンガポール動物園」がとにかく想像以上に素晴らしすぎて、感動した。
元々あった熱帯雨林を最大限活用し、そこに高度な飼育技術を組み合わせて、できる限り放し飼いに近い環境を見事に創り出している。
並の動物園を訪れた時にしばしば感じるような、「ああ、かわいそうだなあ…」なんて感情を抱くことは微塵もない。
ここは本当にすごい。

近日中に旅行記を書くつもりだが、まずは写真でちょっとだけダイジェストを。

初日の晩、「文東記」で食べたチキンライスシンガポール動物園エントランスシンガポールといえばマーライオンボートキーエリアで食べたブラックペッパークラブ

寝ているナイトサファリのレオパードセントーサ島へ向かうケーブルカーの車中から最高に美味かった広東料理店、「レイガーデン」ドルフィンラグーンでピンクのイルカにタッチ

晩、21:15からNHKスペシャル「プラネットアース」の第8集『極地 氷の世界』をテレビで視聴。
生きていくこと、生命を永らえさせることそのものが日々の目標でもある過酷な環境の中で、まさにギリギリの活動を続けている動物たち。
“世界一幸せ”とも称されるシンガポール動物園の住獣たちは、確かに恵まれた施設の中で充分にケアされていて、本当に幸せそうだなあ、なんて見ていて思ったものだが、そんな彼らと、食物を得ることすら困難な自然環境の中で暮らす動物たち、果たしてどちらが幸せなのかは、僕たちには分からない。
動物と話ができたらなあ。


♪ If - R. Kelly

2006年12月28日(木)

新しい感覚を得ると、代わりに失う感覚がある

この時期はたいていの社会人が多忙だが、その中でも放送業界というのはまた一段と輪が掛かっており、そして担当番組のシフトによってはドツボに嵌ることもある。
忙しさ自慢をしたところで詮無いことではあるが、ここ1週間ほどあまりにもアレでちょっと笑けるぐらいなので、ちょっと書く。
以下、実勤務時間。

20日(水)-10:00~25:00
21日(木)-13:00~22:00
22日(金)-11:00~26:00
23日(土)-6:30~19:00
24日(日)-11:00~29:00
25日(月)-13:00~28:30
26日(火)-12:30~43:00←つまり、翌27日(水)の19:00までぶっ通し!

30時間連続勤務したのは何年ぶりか。
自律神経も働かぬわ。

月曜深夜の仕事終わり、早く帰ればいいのに、会社の後輩がアルファGTを乗ってきているというので、おお運転させてくれと試乗、朝5時の中之島通を走る。
セレスピードはディーラーで試乗した時以来2年半ぶりぐらいだけど、やっぱり面白いね。
次は2ペダルMTにしようかな!?

節目節目の時期は忙しいということもあり、たとえば今ぐらいでいうなら大晦日とか正月とかクリスマスとか(まあ最後のはどうでもいいが)いった季節の行事に対して、年々僕自身の意識が、また実際に伴う行動が希薄になってきている。
そして慄然としたのが、年中行事を軽視するそうした僕の行いについて、僕自身が何の後悔も寂寥も憤懣も感じていないということ。
元旦といっても単に365分の1日、12月31日と1月1日の狭間を境にして、“今年を締めくくる”だとか“来年の抱負”だとか区切ることがナンセンスじゃないの、という、生まれ出でし時よりその萌芽は有していた、実も蓋もない怜悧な思考が自分の中でどんどん強くなってきている。

都市型核家族的かつ大量消費型利便生活が育んだと言えなくもないこうしたスタンダードを着々と肥え太らせている俺は日本人失格のカメ型ロボットなのだろうか?


♪ Every Night Is Ladies Night - The John Scofield Band

2006年12月22日(金)

愛ゆえに

なんともショッキングなことにデンヴァー・ナゲッツにトレードされたアレン・アイヴァーソンの移籍後初戦は猛吹雪のため中止になったとか。
しかしアイヴァーソンにさらにはクリス・ウェバーまで加わったというのに目を覆いたくなるばかりだったここのところの76ersの惨状、数年前の彼らの姿(そして現在も持っているであろうポテンシャル)からは微塵も想像できない体たらくじゃないか。
老け込むにはまだ早かろうに。
いくら潜在能力は高かろうが、ペイントに入らず体も張らず、並以下のジャンプシュートを繰り返し放つパワーフォワードがチームを救えるはずがない。

一方、移籍先のナゲッツは先般のニックス戦における醜い乱闘劇のペナルティーとして、カーメロ・アンソニーが15試合の出場停止中。
映像を観てみたが、あれは酷い、酷すぎる。
自分は問題のプレイに関係ないのに、勝手にエキサイトしてパンチを繰り出したメロ、果たして自分がUSAの名前を背負ってナショナルチームの一員としてプレイしたこと(加えて、よっぽどのことがない限り北京五輪にも出るはずだった)、そして今やナゲッツというチームにとって欠かすことができないエースでありリーダーであるという現状、さらにはバスケットボールプレイヤーを目指す子供たちの目標になるべき、莫大な収入を得ているプロフェッショナルであるという事実を理解していたのだろうか?
昨シーズンのペイサーズとピストンズによる歴史に残る極悪大乱闘も記憶に新しいというのに。

試合中の乱闘といってもいろいろあり、語弊があるかもしれないが、そのすべてが唾棄すべき醜悪なものであるとは、必ずしも僕は思わない。
かつてのデニス・ロッドマンとカール・マローンの小突き合い、チャールズ・バークリーとシャキール・オニールの取っ組み合い、マイケル・ジョーダンレジー・ミラーのパンチ合戦なんかは決して醜いケンカではなかった。
それぞれに因縁や伏線や明確な要因があり、そしてどれもが自らのプロフェッショナルとしてのプライドを賭けた漢と漢の肉弾戦であったように思うのである(大げさか)。
不謹慎な言い方をすると、いくばくかのエンターテインメント性もあった(特にロッドマンは乱闘を起こす際も常にオーディエンスとテレビを観ている視聴者の存在を意識していた)。
簡単に言うと、観ているこっちも、「これは乱闘になっても仕方ないなあ、まあ納得いくまで暴れてくれ」と思えるような。

ところが今回のメロのケースは全然違う。
フレグラントファウルを喰らったのは自分ではなく、また場面も勝敗を決する緊迫したシチュエーションなんかではなく、ほぼ試合の行方は決まった終盤。
それなのに騒然とする雰囲気にアドレナリンが過剰分泌されたのか、外野から走り寄ってきてニックスのマーディー・コリンズの顔面にパンチを一撃、そして直後、脱兎のごとく逃げ出しているのがまた情けない。
「面白そうな騒ぎが起こってるんで興奮して便乗してやったぜ」感が満載、要するに。
醜すぎる。

せっかく今季、これまでちょっと水をあけられていた感のある同期のレブロン・ジェイムズとドウェイン・ウェイドに遜色ないだけの数字と存在感を示すようになったというのに、精神性はまったく伴っていないことを身を以って証明した。
非常に残念、かつ腹立たしい気持ちになった。

近い将来リーグを背負うべき実力とスター性を備えた若手プレイヤーがこの有り様なら、ここ1~2年の、まるで生活指導担当の鬼教師のようにいろいろと風紀を取り締まるルール(アリーナへ出入りする際やメディアの前に出る際はちゃんとした格好をしなさいとか、試合中オフィシャルにほんの少しでも文句を言ったらテクニカルファウルをとるよとか)を作っているリーグの方針を支持せざるをえないじゃないか。

日本のバスケットボールシーンに目を移すと、来シーズンからプロ化される(本当に?)スーパーリーグの新しい名称と日程が20日、発表された。
新リーグの名前は「日本バスケットボールリーグ」だとか。
つまり略したらJBLかね?
ややこしい。
それともNPB=プロ野球のようにNIPPPONとしてNBL?

詳細なプレスリリースはどうなっているのかな? と日本バスケットボール協会(JABBA)が管轄している新リーグの公式サイトを訪れてみたら、まだそれ関係の情報は何もアップされていなかった…!
一般紙にも載っている発表がだよ?
この運営の杜撰さ、無神経ぶりが現在の協会のすべてを物語っているんじゃないだろうか…。

バスケットボールにちょっとだけウンザリしたここ2日ばかり。


なんだか拙サイト内の「旅 インドネシア編」コンテンツの来訪者が頓に増えているぞ…、と不思議に思っていたのだが、昨日、「コモドオオトカゲはメスのみで単為生殖が可能」という驚きの研究報告が報道されていたんだね!
オス、いらないじゃない…。

クロダイなんかは成長の途上で性転換するというし、高等生物の中でも、切羽詰まった火急の事態(その辺からオスがいなくなっちゃうとか)になると単為生殖を始めるものがいる、という話は聞いたことがあるが、今回のケースもこのような特殊な条件下だったのかな?
ちょっと気になる。
どちらにしても「恐竜の生き残り」という異名もやっぱりあながち的外れじゃなく、進化系統上はそれなりに原始的ということなんだろうか、コモドオオトカゲ。


♪ 千年メダル - ↑THE HIGH-LOWS↓

2006年12月17日(日)

ブラックアーマードプレコ墜つ

僕が仕事で不在の金曜の晩、2ヶ月余の闘病についに終止符、ブラックアーマードプレコが水底で力尽きているのを妻が発見した。

在りし日のブラックアーマードプレコ 後ろに見えている魚体はこれまた先日亡くなったスポッテッドナイフフィッシュ

R.I.P.
それはそうと、先般のスポッテッドナイフフィッシュの時もそうだったし、どうも僕が家にいない時に限って魚が死ぬことが多く、そのたびに妻に遺体を回収してもらっている。
ご苦労さんである。

生き物を飼育するということは、まあほとんどの生き物は人よりも圧倒的に短命であるし、また本来の寿命を最大限発揮できるような状況を家庭内に創出することは難しいので、それすなわち死出の旅路への見送りにもつながる。
分かっちゃいるが、毎度毎度味わう寂寞だけはどうしようもない。

野生種たちが、厳しくて過酷ながらも実は一番幸福であろう本来の生息地であるアマゾン河やメコン川や地中海沿岸で伸び伸びと闘いながら暮らしている一方、120cmとか90cmとかいったサイズの水槽やケージに閉じ込められ、人工的な環境に棲んでいる我が家の魚やカメ。
生き物を飼っている者にとって、そいつらが餌を喰らっている姿を見るというのは至福の1つであることは間違いないと思うが、それと同時に、彼らの不憫な身の上、そして自分の双肩に掛かる責任感というものも痛切に感じられるのである、食餌シーンを眺めていると。
こいつらは俺が餌をやらなければ生き永らえることができない、俺が環境を整えてやらなければ体を壊して仕舞いには死んでしまう。
一切合切の生命をすべて俺に預けて依存している生物たち。
だからこそ、物言えぬ動物たちを裏切ってはいけないのだ。
それほど、生き物を飼育するということは罪重く、業が深い。
その十字架の重さを感じない輩が本当に多過ぎる。

昨晩の「世界ふしぎ発見!」は、アルダブラゾウガメの生息地としても有名なセイシェル諸島。
その、400kgもあるという世界最大のアルダブラゾウガメや、セイシェル固有の鳥やカエル、植物など、非常に興味深い内容だった。
もう少し近ければなあ…。


♪ Little friend - Nickelback

2006年12月13日(水)

“神の領域”を決めるのは誰だ?

風邪が治った頃にまた外を出歩いたせいか、昨日もちょっと倦怠気味だったので会社の健康管理室に行って、注射を打ってもらい薬ももらってきた。

とまあ、人は体調が悪くなれば病院に行ったり行かなかったり、その都度適当と思われる方策を採って病魔の撃退に励むわけだが、そんな折に僕がしばしば思うのが、「医療行為はどこまでが是で、どこからが非なのか?」ということ。

分かりやすい例を挙げるなら、たとえばクローン生物を創り出す技術。
巷間にはそれ自体を、神の領域に踏み込んでいる、として批判する人もいるが、この技術を応用すれば将来、たとえばある人が事故や疾患で内臓の1つを失ったとしても、その内臓を患者自身のDNAを使って複製し治療に役立てる、なんて構想もあるらしい。
興味のみでこうしたバイオ・テクノロジーを研究している人ももちろん多いだろうが(もともと科学の進歩はただ純粋なる“興味”からこそ産み出されているものなので、こうした学者を僕は否定しない)、それと同時にれっきとした医療技術の1つでもあるということ。

また安楽死というものが議論される時には、必ず延命治療行為の意義が侃々諤々取り沙汰される。

こうした例のように、もしそれが生命の発生や尊厳(この言葉自体が実態のないものではあるが…)にかかわるような事柄であれば、その科学技術に生理的に反感を覚えてしまうということは感覚的に分かるのだが、でもそこからまた少し考えてみると、ちょっとした矛盾、というか、いくら突き詰めて思考しても決して解決しない疑問にぶち当たる。

「風邪を引いた時に薬を飲むことと、医療の進歩を目的としたクローン技術の研究は、一体どこが違うのだろう?」

究極的な結論(というか出発点)を言ってしまえば、「医療行為のすべては生命を維持するためのもの」である。
たぶん放っといたら50年やそこらが平均寿命になるであろう人類の実際の平均寿命は(現に高度の治療行為が受けられない発展途上国ではそれに近い)、医療の進歩のためそれよりも随分と長い。
骨が折れれば固定して再生を待ち、視力が悪くなれば眼鏡やコンタクトレンズで矯正し、歯が虫歯でボロボロになってしまえば代替歯を入れる。
それらすべての医療行為は、広義で「生命を永らえさせる」ために他ならない。

しかし同様の発想から始まった技術の進歩や研究も、それが高度になればなるほど、また生命活動の根元に近付けば近付くほど、“人が踏み込むべき領域ではない”といった類の批判も多くなる。
これはいかに。

人は自己を形成し保つために、必ず身内に指針を持たなければならない。
指針を作るためには、価値観や基準といったものを自分で決めなければならない。
つまり、人はどこかで“線”を引かなければならない。
ならばしかし、「どこまでの医療行為が是で、どこからが非か」といった命題に対し、我々はどこに線を引けばいいのだろう?
皆目それが分からんのだ。


少なくとも短絡的には必ずしも生命の維持を目的にしているものではない、という点で少し本題から逸脱するが、もう1例、不妊治療。
帚木蓬生氏の「エンブリオ」などでも紹介されているように、様々な事情によって不妊に悩むカップルにとってはまさに救世主とも言えるような最先端の不妊治療だが、ここにも“倫理”という大きな障害物が存在している。
複数の受精卵の中から1つを選択する男女産み分け、他人の子宮を借りる代理出産や他人の精子を使う人工授精…。
そもそも、子宮外で受精を人為的に行うことすらがすなわち人道にもとるという見方もある。
最近では凍結精子を使うのは提供者の夫の存命中に限る、なんて見解の発表が日本産科婦人科学会からあったりした。
我々は“不妊治療”のどこにどう、線を引いたらいいのだろう?

品種改良や新種作出といったテーマなどもある。
食用の家畜動物をより生産性の高い品種に改良する、より見栄えが美しい花を咲かせるように遺伝子レヴェルで操作する、愛玩動物をより飼育がしやすいように意図的な交配を進める…、などといった行為に対し、人はしばしば批判的になる。
しかしそうしたバイオ・テクノロジーを一時の感情で否定してしまったら、現在のこの世における生活はことごとく成り立たなくなる。
そしてえてしてそうしたクリティカルな人々も、競馬なんかを声高に攻撃しているさまはとんと見たり聞いたりした記憶はない。
ただ速く走る馬を作るためだけに、奇形や変異体が多くなるインブリードを繰り返し、そしてレースに勝てなければ、2度と走れないような怪我を負えば「引退」という名の、そして「予後不良」という四文字熟語を隠れ蓑にした安楽死処分。
こちとら公営ギャンブルという娯楽のためだけに過ぎないものだから、医療の進歩を目的とした動物実験などよりもよっぽど悪虐である、と個人的には思うのだが、動物愛護団体は後者は批判しても前者はあまり槍玉に挙げないよな…。

そうそう、動物実験だって本当にそうだ。
動物たちの命の犠牲なくして新薬の開発などできるはずがないのに、盲目的に批判する人たちはそれが分かっているのだろうか?
実験動物たちに対する扱いを改善しろ、という言い分はよく分かるが、動物を殺すな、という意見は(もちろん感情的には理解できるが、理屈の上では)ちょっと受け容れがたい。
「たぶん効くであろう薬を開発したが、哺乳類に投与したことはない。じゃああなた、最初に飲んでください」と言われて誰が飲める?
輸血を拒否するエホバの証人の信者を超越して、すべての薬を拒絶するか?


…で、いつも同じ行き止まりに僕は突き当たるんだけど、人がどこかに線を引くということ自体が、身にあまりに過分な行為なのかもしれないな、という袋小路。
それでも僕もみんなも、今日も明日もそれからもどこかに線を引き、いびつながらも芯を体幹に突き通して生きていかなければいけない。


♪ Piano Man - Billy Joel

2006年11月26日(日)

日本って案外マトモな国、と思う一端

ことウェブサイトにおけるインターフェイスに関しては、アメリカって日本よりも相当いい加減で非常識。
つまり、NBAやMLBのオフィシャルサイト、あるいはショッピングサイトといった比較的真っ当なところを覗いたとして、勝手に他のキャンペーンページに飛んだり(業界用語でいう遷移ですか)、わけの分からな広告がポップアップで立ち上がったり、目当てのコンテンツの入り口がまるで隠したんじゃないかと疑うぐらいに見つからなかったりと、どっかのファッキンアダルトサイトみたいな罠仕掛けが満載なのである。
もちろん無駄に重たいフラッシュや音声ファイルが自動的に動き出すことも多々。
“我を張ったもん勝ち”の文化は当然ここにも。


♪ Born On The Bayou - Creedence Clearwater Revival

2006年11月19日(日)

「北斗の拳」ほんのちょっとだけ考

数日前に武論尊師匠のインタヴューを偶然テレビで観たことを書いたが、その時師は、「僕も原哲夫も、『北斗の拳』はラオウが死んだところで終わるものだと当然思っていた。そこで我々も燃え尽きた。だから修羅の国編以降のストーリーは覚えていない」、という旨の発言をされていたのを、ふと思い出した。
創り手側から言えばまさにそうだろうと思う。
まったく無理もない。
マンガに限らず、作品が人気を得ていくにつれ、その作品は作者の思惑が及ぶ範疇から逃げ出していき、やんちゃな生命を宿したがごとく、勝手に独り歩きしてゆくものだから。

しかし、師も原哲夫御大もそうは仰っているが、リアルタイムで「北斗の拳」に触れ、虜にされ続けていた僕にとっては、修羅の国編以降も紛れもなく稀有な傑作物語である。
その膨張し続けるスケール感、洗練されていく絵柄も含めて、あるいは第1部を凌ぎさえしているかもしれない。
そして、この僕のような感想を抱いている北斗フリークも決して世の中においてマイノリティというわけではなく、第2部を評価しているマニアは存外に多いのだが、カイオウ以後、リュウが登場しサヴァの国やブランカの国を訪れる第3部に入ってしまうと、「あれはない方が…」という考えを持つ同輩は激増することになる。
実際にアニメ放送も、カイオウが死ぬ第2部完結を以って終了している。
だけど僕は、実はこの第3部も大好き。
大乗南拳の遣い手 アサム国王の跡目争いをカイ、ブコウ、サトラ3人の兄弟が繰り広げるくだりも面白いし、ケンシロウに復讐の炎を燃やす盲目のボルゲとの戦いも緊張感に満ちているじゃないか。
確かにラオウの忘れ形見 リュウなんかはあまりに考えなく投入されたおかげで、後付けのバックストーリーなどにとても苦心されたようだが…。

実際には作者自身も力を使い果たし、あとはもう鞭でケツを叩かれるままにひねり出されていながらも、超一級のエンターテインメントとして走り続けた「北斗の拳」、中でも僕がいくら絶賛しても足りないと思っているのは、そのラストシーン。
このような経過と末路を辿った長寿マンガというものはえてしてとってつけたような、どちらかというとブサイクでカタルシスのない終わり方をするものも少なくないと思うが、本当に「北斗の拳」の最後は秀逸。
大仰な言葉を尽くすなら、常に何かを選択してゆくことの連続で成り立っている人間の生において、本当に選ぶべきもの、選ばなければならないものとは何なのか、ということが余すところなく描かれた、まさに渾身のラストである。
かっこよすぎる。

あー疲れた。


♪ ユリア…永遠に - クリスタルキング

2006年11月11日(土)

「The Lion Sleeps Tonight」の謎

どこかから聞こえてきた「ライオンは寝ている(原題:The Lion Sleeps Tonight)」。
言わずと知れた、The Tokensなどで有名なアカペラスタンダードだが、その歌い出しをボーっと聴いていたら、今さらながらにある疑念が急激に湧き起こってきた。

“In the jungle, the mighty jungle the lion sleeps tonight.”という歌詞から始まるわけだが、んん? ちょっと待てよ。
ライオンてジャングルに棲んでたか?

ライオンの棲息地域はもちろんアフリカのサヴァンナ。
ジャングル、密林という状況とはかけ離れているじゃないか?
確かもう1亜種だけ、非常に稀少なインドライオンというやつがインドのとある森林に棲んでいたはずだが、それもトラやヒョウなど、文字通り(亜)熱帯の密林を主たる生活圏にするネコ科たちとは違い、比較的木々がまばらな地域に棲息している、というようなことをどこかで読んだことがある。

うーん、ちょっとした謎だ、私的に。

どこかに本当にジャングルをねぐらにしているライオンがいるのか、ご存知の方はどうか教えてください。


♪ Thank You For Talkin' To Me Africa - Sly & The Family Stone

2006年11月09日(木)

この国に住むもののDNAか

「枕草子」の一節、「冬は、つとめて」じゃないけども、僕は今時分(もうちょい後かな)、初冬の早朝が好きだ。
仕事柄あまり早起きな方ではないが、それでもたまには業務上の必要に応じて大多数の勤め人と同じ頃、もしくはそれ以前の時刻に起床しなければならないことがある。
そういった朝、まだ半覚醒の眼と脳がしびれている感覚を持ちながら、「うああ寒いなあ」なんてつぶやいてヴェランダから白っぽい外を見やる。
天気は雨や曇天よりは晴れている方がやっぱりいい。
その瞬間に知覚するおぼろげな感覚が、好きだ。

言葉で明瞭に説明しきることはできないけれど、あえて試みるならば、冬の晴れた朝というものにもれなく備わっている“老い先短い有限性”のようなものにとても惹かれているのだと思う、たぶん。

ああ、ちょっと肌寒いけど気持ちのいい朝だなあ、目を覚ますにはこれぐらいの方がちょうどいいや、天気も結構いいなあ、さあ1日頑張るか。
そう素直に思うんだけど、それとともに感じるそこはかとない寂しさ、虚しさ、儚さ。

僕はすでに、この冬の日中というものが供する“陽性”が長続きしないということを知ってしまっている。
今はまだ太陽は東の空から昇ったばかり、黒く白い夜から闇を追い出したばかりだけれど、この明るさとほんのりとした暖かさはほどなく終わりを告げる。
7時になっても「まだボール見えるなあ」なんて叫びながら野球を続けたあの夏の午後とは違って、2時、あるいは3時にもなればすでに陽は夕方のそれになり、5時を回る頃にはもう空も街も夜の支度を急ぐ。
だから僕は、冬の朝に起きると文字通り身も心も比較的引き締まり、有限というものの儚さをおそらく本能的に感得する。

子供の頃、大好きな親戚が遊びに来ると楽しくてうれしくて仕方がないんだけど、その楽しい時間はいくらもしないうちに終わってしまうことを解っているから、漠然とした寂寥感を裡に抱えながら一所懸命必死に遊ぶ、そんな感覚に少し似ているかもしれない。

なぜか真冬よりも、初冬の方がいい。


♪ The Messenger - Elton John & Lulu

2006年11月02日(木)

思念が跳躍するNBA開幕日

VTRの編集作業を終えてまさに今帰還。
せっかくNBAが開幕し、新調したばかりのHDDレコーダーを駆使してスカパーで放送していた「レイカーズvsサンズ」とNHK BS1の「ブルズvsヒート」を録画したのに、観る時間がないじゃないか。

時間に対する主観的概念の変化について小咄を一つ。

過去、僕は時の流れを速く進めたくてどうしようもなかった。
小学生の時は早く中学生になりたかったし、中学生の時は早く高校生になりたかった。
高校生になったら早く大学生になって独居を始めたかったし、大学生の時は早く社会に出て自分の喰い扶持を自分で稼ぐ一人前の人間として独立したかった。
常に、早く夜が来ないかな、早く夜が明けて明日にならないかな、早く年をとって大人にならないかな、と思い続けていた。

そんな感覚が今時分になってようやく変わってきた、ということが否応なしに自覚されて愕然とし続けている生後32年と11ヶ月。

時を巻き戻したい、と思うこと頻々、年月を重ねたくない、“今”にしがみついていたい、という無茶な欲求にとり憑かれるばかり。

つまり、僕は現在人生の折り返し地点にいる、山登りに喩えれば、今いる場所がまさに山頂、残された時間は死に向かって緩やかに(かどうかは分からないが)下山するのみ、ということなのだろう。
そう把握した。
だから“生き急ぐ”なんて言葉は幻想であり何一つ実体を持たぬ詐欺に等しい詭弁である。
歩きたいやつは歩け、立ち止まりたいやつは留まれ、後ろを振り返りたいやつは流れくる前方から視線を外せ。

さあ、1試合だけでも観てから寝ようかね…。


♪ Hydraulic Pump - George Clinton & The P-Funk All Stars

2006年10月20日(金)

求人してないかな? エンタープライズ

先ほどリピート放送していたNHKの「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」を観た。
今回は北欧に住むクズリ。
こいつは知る人ぞ知る希少動物で、野生のものがこうして撮影されることは少ない。
地元のカメラマンと組んでかなり踏み込んだ取材に成功していて、素晴らしい仕上がりだった。
また、この番組は構成もよく練られており、短い放送尺を逆に上手く活かしている。
月曜20時枠の「生きもの地球紀行」、「地球!ふしぎ大自然」が幕を閉じても、この手の良質な番組を生産し続けるNHKよ。

そうそう、そういえばフランクフルト・モーターショーでコンセプトカーとして発表されてから早3年、あのアルファロメオ 8C コンペティツィオーネがついに市販されるんだってね!
なんとしても1度実車を拝みたいと、大阪はもちろん東京モーターショーにも足を運んだのに日本には来なかった。
ミツオカには悪いがこないだのオロチとはちと違う正真正銘のピュアスポーツ、アルファでは何年ぶりになるのか、FRの2ペダルMT、エンジンは4700ccのV8で最大出力331ps。
全世界500台限定生産で、日本での販売価格は2200万円。
先月28日に始まったばかりの購入申し込み受付、公式サイトを覗いてみたらとうの昔に締め切られているじゃないか!
富める者たちよ。
まいったまいった。


♪ When I'm President - Extreme

2006年10月19日(木)

気狂い

ここのところ、新しいテレビを購入するに当たって、それ用のテレビ台もずっと探していた、というのは既報通り。
インテリアショップを回ったり、インターネットで適当な品を探しあぐねていたりとしていたわけだが、ネットを見ていながら感じたのが、「インテリアショップ(ブランド)のウェブサイトはなんて見難いんだ!」という憤りにも似た苛立ち。
えてして何かにつけてオシャレであると言われている、もしくはオシャレであろうと努めている、あるいはオシャレでなければいけないという強迫観念に追い立てられがちなこれらの業界が犯しがちな典型的失策だと思うのだが、あまりにも「体裁」のみにこだわりすぎるために、実際にウェブサイトを閲覧する利用者のアクセシビリティだとかインターフェイスだとかいったものは完全に無視されている。
つまり、文字は小さく特殊フォントは読み難い、やたら無駄なフラッシュ動画やスクリプトが多い、だから重たい、それでいて本当に知りたい情報が載っていない。
端的に言うと、極めて反合理的。
非合理的ではなく、反。
イスラム原理主義者にはお叱りを受けるだろうが、これは最早失策ではなく確信犯なのかもしれない。

「芸術」と「創作」を取り違えてしまうことは犯罪的である。
「クリエイター」、という言葉を使うと、それをあたかも「芸術作品を産み出す人」、と理解してしまうような風潮が世の中には弱くないと感じるのだが、僕の考えはそうではない。
「クリエイター」=、文字通り「作り出す者」。
createという言葉が本来持つ意味は、「作る」「創る」、という行為であって、そこには有形無形の何かを産み出すという意はあっても、決して「芸術」が介入する余地は与えていないように僕は思う。
じゃあ「芸術する者」は何と言うのかと問われれば、それに当たるカタカナ英単語は「アーティスト」に他ならない。

だからといって、「芸術」などという言葉のはっきりした定義などというものはもちろんこの世のどこにも存在してはいないから、誰がアーティストで誰がクリエイターかなんてのを決める基準は人の脳ミソの数だけある。
ちなみに僕はSNSのセルフプロフィールにある職業欄の選択肢を「クリエイター」としているが、そこには「芸術的な何かを創造する者」などという傲岸な意図は微塵もない。
僕はテレビ番組を制作しているが、民放が制作するテレビ番組は「芸術作品」「アート」ではなく、「商品」であるから。
アーティスティックな振る舞いなどは何もしていないが、番組という商品を作っているから「クリエイター」、という話。

ここで話を本筋に戻すと、インテリアショップ(ブランド)のオフィシャルウェブサイトというものにおいては、利便性や合理性よりも芸術性を優先させるなんてことは、断じてあるべきではない、こっちは趣味のページを趣味で見てるんじゃないんだから(私見です)。
商売目的でなく、顧客に対するサーヴィスなんてものも概念にはなく、ただ単に自分の感性の欲するままに製作して公開しているウェブサイトであれば、芸術性が優先しようが何が優先しようがそんなものは勝手にしたらよろしい(私見です)。
マジョリティであろうがマイノリティであろうが、民衆の人格や感性に訴えかけて、「対価を得ることを前提に」モノを創り出したとするならば、そのモノがテレビ台であってもイスであってもはたまたそれらを喧伝するウェブサイトであっても、それは絶対に「芸術」なんかではない、と僕の狭小なスタンダードラインは制定しているから、すなわちどれだけトレンドリーダーとしての自負があろうがなかろうが、インテリアショップ(ブランド)の商用ウェブサイトはまず始めにアクセシビリティを優先する以外に道はない(私見です)。
「他者の感性」を意識し、採り入れてしまった瞬間に悉く「芸術」は汚染され、霧消する(私見です)。

結局何が言いたかったのかというと、「クソ寒い冬にコート着てマフラー巻いてまでオープンカフェのテラスで茶飲んでんじゃねえよ!」ってことです。

思わず激して話が逸脱してしまったが、まあウェブサイトが見難かろうが、肝心のブツは良いんだけどね。


♪ Keep A Knockin' - The Crickets

2006年10月13日(金)

日本ハムファイターズとデトロイト・タイガース

会社の同僚とともに近くの焼肉店「吟味屋」で晩飯。
ここは3週間ほど前にも訪れた激ウマ店だが、昨晩は大腿部に当たる“まるしん”とヘレのステーキを食べ、あとは上タン塩やら上ロースやら上ハラミやらウルテやら。
ステーキはメチャ柔らかだけど脂身の少ない部位を頼んだので、比較的ヘルシーだった?
驚いたのはタン!
片側を軽く炙る程度が食べ頃のこの上タン、肉質だけをとればあの神戸の「たん平」をも遥かに凌駕していると言っていいだろう。
これまで食べたタンの中で最高かも。

話は変わってプロ野球、パ・リーグは日本ハムが優勝。
やっぱり今年から定められた1勝のアドヴァンテージは大きかったね。
哀れソフトバンク。
もちろん4月に引退宣言をした新庄パワーも強く影響したと思うが、何といっても投手陣の充実、日ハム躍進の最大の原動力はそこだろう。
シーズン前には計算に入っていなかった八木、マイケル、そして両武田。
一気に株を下げた金村抜きでも日ハム投手陣は強かった。

強力投手陣といえばこちらもリーグ優勝決定シリーズが大詰め、MLBのデトロイト・タイガースもそれによって今シーズン大躍進を遂げたチーム。
今季急成長、昨日も投げて勝ったジャスティン・ヴァーランダーにジェレミー・ボンダーマンという若きエース級、頼れるヴェテラン ケニー・ロジャースに安定感のあるネイト・ロバートソンという先発陣に、103マイルを投げる怪物ルーキーセットアッパーのジョエル・ズマヤ、そして最後を締めるトッド・ジョーンズと駒が揃っている。

同列で論じるべきではないのかもしれないけど、日本ハムとタイガース両チームに共通しているのは、どちらも開幕時には確実に結果を出すプレイヤーとして数えられていなかったルーキークラスのピッチャーがガンガンと台頭してきたこと。
遊星からの物体Xによってグンと戦力が底上げされたチームなんだなこの2つは、とふと思った。
両方ともこのままチャンピオン?

余談ながら、NPBを観た後にMLBを観ると、やっぱり違いを感じてしまうな。
スピード感、何よりも静から動に移る際の爆発的なクイックネスがすごい、メジャーは。


♪ B.R.O. - Racer X

2006年10月08日(日)

あの顔にあの肉体

テレビ朝日の「草野キッド」で、草野仁さんと浅草キッド、そして井出らっきょさんが100mにエントリーしたマスターズ陸上の模様を放送していたので、かぶりつくように視聴。

普段からビルドアップしていることで有名な草野さんだが、ランニングウェア姿を見るとちょっと太り気味のカンジ。
大丈夫か? なんて思ってたら、負傷で本番は棄権!
残念。
浅草キッドの2人とはレギュラー番組をずっとご一緒していたので、こちらも思い入れ強く観る。
加圧トレの伝道師たる博士、さすが。

次回の放送では浅草キッドがハワイで走った自転車100マイルの様子が流されるようだ。

刺激を受けるじゃあないか。

京都 山科で男性が路上で殴殺された事件で、警察は44歳の無職男を指名手配した、というニュースがあったが、この前の山口の事件とは違い容疑者は未成年などではないにもかかわらず、僕が見た限り、FNNでも読売新聞でもどこでもその指名手配された男の名前も顔も報道されていない。
マスメディアが顔も名前も隠したままで「指名手配」とはこれいかに?
どんなガイドラインなのかちょっと分からない。


♪ Straight Through The Heart - Dio

2006年10月04日(水)

「プラネットアース」第2シリーズが始まった!

いよいよ第2シリーズ、NHKスペシャル「プラネットアース」の放送が再開された。
第5集『高山 天空の闘い』。

今回の放送で圧巻だったのは、何といってもユキヒョウの映像!
あれだけ近くで、あれだけ鮮明にしっかりと撮影された映像は、番組の中でも言っていたが世界初だろう。
極寒の地の住人にふさわしい豊かな体毛を持ち、険しい山岳地の住人にふさわしい長い尾としなやかな身のこなしを備えたユキヒョウの、狩りのシーンまで観られるなんて!
日本の動物園にもユキヒョウはいるが、哀しいかな、これほど魅力的な獣だとは分からなかった。

現在、世界にたった5000頭しか生息していないというユキヒョウ。
動物園のような人が管理する施設で保護することももちろん意義はあろうが、本来の彼らの棲み処で本来の生活を営むことができる個体が増えれば、もっといいのになあ。

第1弾のDVD BOXも購入したが、今シリーズ以降も確実に買わねばならないな。

余談ながら、以前放送された「プラネットアース」内で、おまけ映像として撮影の舞台裏を少し明かしていた点について、「GALAC」誌上に批判的な意見が比較的多かったのは意外だったな。
僕にはとても興味深かったのだが…。


♪ Life - Sly & The Family Stone

2006年10月03日(火)

ミツオカ「オロチ」が出るって

光岡自動車の「オロチ」市販が正式決定したんだとか。
コンセプトカーを初めて見た時、ん? ちょっとロータスに似てるなあ…、と思ったけど、いやいやそれではあまりにもオロチに対して非礼、あるいはこれは現代のシェルビーACコブラか。
全幅は堂々の2000mmオーヴァー、エリーゼなんかよりもドーンと押し出しの強い筋肉質な外観。
市販モデルもさぞかしスーパースポーツカーかと思いきやそうではないようで、3300ccで233ps、車重も1580kgとちょっと軽快とは言いがたい動力性能みたい。
トランスミッションも5速ATというのがMT派の私としてはまったくもっていただけぬ。
そして気になるアッチの方はというと、1050万円ナリ!
だけど少なくとも、同価格帯にあるポルシェやマセラティ、TVRなどと性能的には比肩しうるモデルではない。
大量生産ではないし、これを高いと見るか安いと思うかはそれぞれだが、それにしても張るデザイン料だこと…。

文句を並べ立ててしまったけど、本質のことを言うと僕は、公道を走らせる乗用車なんぞに必要なものはデザイン99%、とにかく“見た目”に尽きる、という意見を持っている、実は。
233psであろうが165psであろうが、普通に日本の公道上を走っている限りそのパフォーマンスのすべてを引き出すことなどは常人にはできないし、その必要もないし、またすべきでもない。
いささか極論ではあるが、サーキットを走ってコンマ何秒かを縮めることに鎬を削っている世界の住人でない以上、まともに走りさえすれば(現代に製造、販売される車はすべてこの水準は満たしている)自動車に求められるものは“かっこよさ”、それに集約される。
辛うじて滑り込んでくる他の要素といえば、たとえば音だとか足回りの固さだとか運転感覚だとかいった“演出”面だろうか(我が愛車 アルファロメオはこのあたりの魅せ方がなんともはや)。

そういった観点からいくと、トヨタ以外の国内メーカーの業績不振や相次ぐ世界規模の業界再編、オペルの日本撤退などここのところあまり面白いニュースのなかった日本自動車シーンにとって、オロチの一般発売は素晴らしいことである。
この車をかっこいいと思うかどうか、それは人それぞれの感性だが、とにかくこのような車が世に出る土壌を失うことは健全ではない。
記念に3年前の大阪モーターショーで撮ったオロチの写真をアップ。

2003年の大阪モーターショーで撮ったオロチ

周りを見渡せば、とかく猫も杓子もお父さんもお母さんもミニヴァンに乗っている昨今、自分の乗りたい車を探すだけでも大変な苦労を強いられるひねくれ者にとっては、統廃合ではなく拡散と多様化こそが正常進化に思われてならないので、いろいろと厳しい環境はあるだろうが、大小メーカーそれぞれのチャレンジに期待せずにはいられないのであった。


♪ Real Gone - Sheryl Crow

2006年09月07日(木)

お見舞い

昨日、会社の同僚とともに、入院中の前任プロデューサーのお見舞いに行ってきた。
入院先は京大病院の脳神経外科、なんとも恐ろしいことに頭蓋骨をパッカリと開けて腫瘍を取り出したという、ちょっとシャレにならないシリアスさだが、幸いなことにおできのような良性のもので、9時間半にも及んだ大手術は成功、昨日会ったらもう以前とほぼ変わりない軽口を叩くほど、順調に回復していた。
しかしいろいろと大変そうだ。

手術中は呼吸による体のわずかな振動も命取りになるため、全身麻酔中は自力での呼吸は止まっているだとか、術後しばらくは、頭蓋内に残る気泡のため、寝たり起きたりといった動作を行うと脳震盪状態になって吐き気を催すだとか、麻酔から覚醒した瞬間、周囲の人々がありえないぐらい喜ぶだとか、僕たちにとっては未知のさまざまな体験談を聞き、なるほどなあ、へーそうなのかと不謹慎ながら感心しきり。
まあそれもこれも快方に向かっているから成立する話であって、本当によかった。

最近改装したらしい京大病院はビックリするぐらいきれいで近代的。
玄関入ってすぐにドトールコーヒーがあり、他の飲食店や売店も充実、さらには郵便局の出張所や旅行代理店(ここは病院だぞ!?)まであり、まるで極小の街。
この前の「白い巨塔」の舞台になっていた病院みたい。
ただしこの目を瞠る美しさは玄関周りの一角どまりで、プロデューサー氏が寝起きしている病棟は「築何十年だ…?」と思わせるボロボロぶり。
このあたりはお気の毒であるのと同時に、エアコンすら設置されていなかった我が学び舎の雰囲気が少しだけ想起されたのだった。

久しぶりに母学の敷地内に足を踏み入れ、突然、強烈なノスタルジーに襲われたひと時であった。
やっぱり大学時代の4年間というものは人生において極めて特殊な時期だったんだなあ、と改めて実感された。
あのような期間は、あの期間に似たような期間は、もう二度と僕には訪れない。
あの期間を生きた僕の精神は、僕の記憶の中に永遠に生き続けることはできるのだろうか?

夜、Cカードを取る時にお世話になったダイヴィングショップに1年ぶりに顔を出した。
来週は2006年初のダイヴィングだ!

まったく関係のない話だが、このたびの「FIBA 世界選手権」のオフィシャルボールのデザインはジウジアーロだったんだな!
驚いた。


♪ I Wanna Be Your Dog - The Stooges

2006年08月28日(月)

実のある東京1泊2日

昨日の日曜は東京出張の仕事。
仕事といってもちょっと風変わっていて、僕らの制作している番組を観てもらった視聴者モニターにお集まりいただき、あーだこーだと意見を交わす座談会を開催、その様子を別室にて拝聴するというイヴェント。
番組というものは自動車メーカーにとっての車、家電メーカーにとってのテレビと同じようなもので、つまりはテレビ局が作り、販売する商品。
その商品の具合といったものに対する使用者(視聴者)の反応は、通常視聴率という形でしか我々に伝わってくることはないので、こうして市井の生の声が聞けるという機会は本当にありがたく、いろいろと参考になった。

たいていは東京に来ても日帰りなのだが、この日は泊まると決めており、夜、jijiさんとあまねさんのS夫妻と待ち合わせ、夕食を共にする。
SNSで見知ったこのお二人とはこのたびが初対面なのだが、特にすでにweb上で知り合って1年を越えようかというjijiさんは、かねてより邂逅を果たしたいと僕が切に願っていた人物。
人となりや顔や声や匂いをまったく知らぬのに、書いたものだけに触れてその個性に興味を抱ける人というものは数少ない。
jijiさんはそんな稀少な御仁であった、僕にとって。

表参道駅で待ち合わせたが、まったく無理せず和服を着こなして佇んでいた2人はすぐに分かった。

彼らがセッティングしてくれたのは、青山にある「我や(GAYA)」という雰囲気の良いマクロビオティックなお店。
S夫妻が結婚式の2次会に利用した会場だそう。

まるっきり鶏の唐揚げにしか感じられない、もどき料理を超越した大豆の唐揚げや、タコのぶつ切り、地鶏にサラダに玄米に味噌汁も全部素晴らしく美味く、そしてヘルシーだったが、それ以上にやはり貴重で楽しい時間だった、S夫妻とこうして食事をともにすることは。

仕事、生きもの、旅、音楽、生活にまつわることなど、いろいろなお話をさせてもらったが、漠然と思い描いたよりも朗らかで外交的な空気を感じたjijiさんは、しかしやっぱり一般市民の皮を一枚破ると、そんじょそこらではちょっとお目に掛かれないであろう確固たる個がそびえ立っているのであろう前提を存分に思い知らせてくれる興味深い人物であった。
勝手な推測で申し訳ないのだが、古い言葉を使うならソウルメイトとでもいうべき、妻であり性別を超えた最大の理解者であろうあまねさんと出遭うことによって、jijiさんのパーソナリティーの核は変わらずとも、随所で様々な化学反応による変化が生じたのではないだろうか?
本当に何の根拠も許可もないんだけど、ボーっとそんなことが感じられたのであった。

途中jijiさんは、荒川修作氏の「間にこそ生命が宿っている」という主旨の言葉を引かれていたが、奇しくもそれが真に迫っていた昨日の晩。

生命は1個のそれだけは存在しえない。
いや、存在することだけならできるかもしれないが、他者がおらずすなわち自らの相対的位置も分からず、そこに右も左も上も下も中心も傍もないのであれば、その生命を定義付けるものなどないに等しい。
他人など関係ない、としばしば浮世に倦み疲れた人は口にし、当の僕もそんな気分に浸かる時もあるが、他人がいるから自分がいる意味がある。
他人がいてこそ自分が何者なのかを考えることができる。
それこそがすなわち、間にこそ生命が宿るということじゃないだろうか、などと独り電車の中でぼんやりと考えていた。

また近い未来にお二人に会わなければ、と素直に思った。
先方もそれに近い感覚をお持ちであればいいのだが…、それだけが気掛かりだ。

築地の東京新阪急ホテル泊。


明けて今日は、昼から台場に赴き、あの「北斗の拳 英雄伝 台場の章」へ。
開催は今月末まで、20年来の北斗フリークとしては行かずしてどうして死ねようか、と思っていたのだが、機会を作ることができて本当によかった。
嗚呼、我が青春の紛れもなく一部を形作った「北斗の拳」よ!

ゆりかもめを降りると、フジテレビ周辺は「お台場冒険王」で家族連れを中心にかなりの賑わい。
その人波に逆らうように歩を進めると、片隅にひっそりと“北斗”と書かれた白いテント状の建物があった。

「北斗の拳 英雄伝 台場の章」会場外観

ぬおお、これか、思ったより小さいな。
目測、15m×30mといったところだろうか、このテント。
入場券はちょっと迷ったが、やはりここは主人公だろうと“ケンシロウ券”を購入して入場。

入り口を入ると、フィギュアの原型と原画がまずあり、そこを抜けると等身大のケンシロウ、ユリア、シュウの模型があった。
シュウはあの聖帝十字稜の頂を背に乗せて一歩一歩登っていくシーン。
おお…。

頂を背に聖帝十字稜を登るシュウ

そしてその先、建物内部の開けたところに、コミックバンチなどでも話題の等身大ラオウon黒王号のド迫力フィギュアが鎮座していた。
そして僕も北斗剛掌波をくらった気になってみた。

話題の等身大ラオウ&黒王号

周辺にはダーツ、ザコから逃げるミスミじいさんゲーム、輪投げなどなど、数種類の体感遊戯もあった。
体感遊戯というには甚だ押しに欠けるゲーム群ではあるが、そこは北斗の名を冠しているだけで許せてしまうのだな。
あべしコインを買って僕もダーツと輪投げはやってみて、輪投げでは見事マミヤのヨーヨーをゲットしたわけだが、いかんせん最大の問題は、恥ずかしい、これ。
中でも上記の2遊戯をプレイした主たる理由は、比較的恥ずかしくないものだったからなのだが、1人でやるのはこれが限界だ。
せめて一緒に楽しめる強敵がいればまた様子は違ったのだろうが…。
それはまあ仕方あるまい。

体感ゲームの数々

一通り見た後、3Dシアターにて上映している短いアニメーションを観る。
3Dメガネを掛けて観るのだが、おお、これは予想以上の出来栄えではないか!
玄田哲章のラオウも、内海賢二氏と比べるのはさすがに酷だが、キリっとした二枚目ラオウを巧く演じていたと思う。

ショップコーナーにも足を踏み入れ、やっぱりこれは買わなきゃいかんでしょう的な感のある「ミスミじいさんの種モミ」と、北斗断骨筋でやられるザコが表面に描かれたアルミのカードケースを購入。
ふふふ、これを名刺入れにしよう。

これが「ミスミじいさんの種モミ」の中身だ

実は本日は、15時よりこの会場にて原哲夫御大と角田信朗氏の対談があるのだが、12時過ぎに入場し、すべて堪能しつくしたこの時点でまだ13時。
ぬおお、聞きたいのはやまやまだが、再入場も不可だし、この狭い会場内であと2時間1人で待つのは不可能だ…!
涙を呑んで退場、帰りの飛行機の便を早めて一路大阪へ。

伊丹空港からは家に帰らずエアポートリムジンバスに乗って大阪 梅田方面へ向かった。
昨日から名古屋在住の義母がうちに遊びに来ており、現在妻とともにこの界隈で買い物中とのこと。
大阪駅で無事に2人と落ち合うことができ、名古屋に帰る義母を見送ることができた。

それから妻と2人でDIESELに行き、僕が前から欲しかった靴と、秋用に長袖Tシャツを2枚買った。
半ば衝動買い。

DIESELで購入したシューズとロングTシャツ

晩飯はうちの近所のうどん店「木村」で夏カレーうどん。
抜群に美味い。


♪ Thieves - Ministry

2006年08月27日(日)

ボイブンバもバスケットボールもすげー

昨晩の「世界ふしぎ発見!」で、アマゾンに浮かぶ街 パリンチンスで毎年行われる「ボイブンバ」という祭りの映像を初めて観たが、想像を絶するスケールと精度に驚き、興奮した!
多少の偏見も混ざっているかもしれないが、総じて南米の人々、ひいては社会というものは僕らが日常暮らしているそれよりは明らかにルーズであり、アバウトであり、つまりはいいかげんである。
そんな固定観念を雲散霧消してくれる、すさまじい出来の数々の山車!
恐ろしく腕の立つたくさんの職人がそれらの製作に携わっているはずだが、精巧さ、ダイナミックさ、とにかくその迫力はただただ圧倒的。
技術面だけじゃなくて、あれだけの山車や装置、装飾を作り、また祭りそのものを運営進行するためにはかなりの額の費用も掛かるはずだが、ボイブンバには大手のスポンサーでもついているのだろうか?
ブラジルであれだけのイヴェントを執り行う、その金の出所も非常に気になった。
とにかくこれは死ぬまでに一度生で拝まなければ!!! と強く思った次第。

「2006 FIBA バスケットボール世界選手権」は決勝トーナメントに突入、僕が先週観てきたグループDのイタリアとスロヴェニアはそれぞれ、リトアニアとトルコに敗退してしまった。
しかしこのあたりの国々は非常に力が拮抗しているので、観ていてとても面白い、世界レヴェルのゲームだった。

グループリーグの最終戦でほぼダブルスコアでスペインに惨敗して予選敗退した日本だが(ちなみに今回で15回目となるこの大会、開催国が決勝Tに進めなかったのは史上初めて…)、JABBAの偉い人たちがまたのんきにまるで他人事のように「田臥がいれば勝てた」だとか「ジェリコは解任だ」だとかいろいろと言ったらしいという報道を見てゲンナリ…。
元を糺せばあなた方の不手際が今の状況を作り出しているのに…。
スーパーリーグ vs bjリーグの問題もあるし、日本バスケ暗黒時代は続く…。

今日は久々に日曜仕事の東京出張、約5時間後には新幹線に乗っている予定なのだが…、大丈夫だろうか?


♪ Is It My Body - Alice Cooper

2006年08月24日(木)

こりゃ眠れぬわ

いよいよグループゲームラウンドも終盤に入ってきた「2006 FIBA バスケットボール世界選手権」だが、決勝トーナメント進出を賭けてニュージーランド戦に臨んだ日本、いやー、ホントにビックリするぐらい惜しかった!
正直、明らかに格上のNZ相手に最後の最後までリードしていたのを引っくり返されての負けだけに、1バスケファンとしてショックは大きい…。
勝ちを意識し過ぎたのか、第4クォーターは明らかにおかしかった。
いみじくも、ジェリコ・パヴリセヴィッチ ヘッドコーチが皮肉たっぷりで振り返った、「あそこから負けることは芸術だ」という敗戦の弁が頭に残る…。
ドイツ相手だろうが、NZだろうが、健闘しても負けは負け。
アンゴラに大敗したことを今さら悔いても仕方ない。

今回の日本代表チーム編成においては、主にJABBAのお偉方のバカさかげんによって引き起こされた様々な障害のため、並々ならぬ諸問題がいろいろとあったわけだが、そんな苦しい台所事情で作られたJAPAN、本当によく頑張っていると思う。
誠に失礼な物言いながら、自国開催だから予選免除で出場できたわけであって、通常通りブロック予選に参加していたら本大会の土俵に立つことは甚だ困難だったに違いない。

スティールからファストブレイクに転じる五十嵐の速さには心底驚かされたし、最年長 折茂の決定力、網野、そして竹内兄弟の可能性、柏木の強さ、桜井の度胸、そしてヴェテラン古田の泣き顔などなど素晴らしいトピックも見せてくれている。
決勝T進出は相当厳しくなってしまったが、最後、強いスペインにもドーンとぶつかってほしい。

アメリカは4戦終了して全勝、グループ1位通過を順当に決めたが、イタリア相手に苦戦、初めて得点が100点を切った。
大丈夫か?
イタリアのマルコ・ベリネッリはすごいな、ホント。
エマニュエル・ジノビリがあれだけの地位を確保しているのだから、NBAのベンチに入っていてもまったくおかしくないプレイヤーだ、たぶん。

昨日最大のサプライズは、レバノンがフランスに勝ったゲーム!
ただでさえ国内事情によって出場すら危ぶまれていたレバノンが、トニー・パーカー不在とはいえあのフランスを破るとは!
ただただ驚嘆。
サッカーで言うなら日本が南米やヨーロッパの強豪に勝つようなもんじゃないかな。
しかもバスケはサッカーと違って総得点が多いからアップセットは起きにくいのに。

アジアの雄 中国も昨日セネガル相手に初勝利を挙げたが、グループラウンド突破は厳しいか…?
一昨日、オーヴァータイムの末に負けたプエルトリコ戦が本当に惜しかった。
しかし同じアジア人として、プエルトリコ相手にあそこまで戦ってくれたのは気持ちがよかったが。

スペイン、ドイツ、トルコ、アルゼンチン、ギリシャといった強国たち、そして威信を賭けて極東に渡ってきたであろうUSAが出揃う決勝トーナメント、今から楽しみでならぬ!


♪ Vivrant Thing - Q-Tip

2006年08月11日(金)

たぶん死ぬことが怖いから、僕は今日も意識を失う限界まで起きている

4日ほど前にクローゼットの奥からプレステ2を引っ張り出してきたのがすべての始まり、運のつきってやつだったみたいで、面白いぐらいに分かりやすく睡眠時間が激減し、昨日なんか風邪でもないのに会社で頭痛に苛まれて酷かった。
2日続けて、妻が朝起きてきた時にまだ俺ゲームしてたし…。
自分の性格上こうなるって痛いほど分かってたから、社会人になってからゲームは控えてたんだけどなあ…。
RPGじゃなきゃまだましか、と思い「実況パワフルメジャーリーグ」をやり始めたんだけど、なんだこりゃ、イマドキの野球ゲームって一昔前のRPGよりもよっぽど多くの時間を費やしてしまうのな!
恐るべし。

こうして貴重な時間と体力をほとんど無為に浪費してしまった後に眠りに就く瞬間、いつも儚むのは人生の短さよ。
気がつきゃもう今年33だって?
ついこの前まで大学生という名の穀潰しとして今と同じような非生産的かつ堕落的な日々を送っていなかったか?
こうして気がつきゃすぐに40歳、50歳、60歳?
十年一日とはこのことか。
あるいは百年は夢また夢、千年は一瞬の光の矢か。

時の流れの早さとか、人の生の短さなんてものはこの年齢にもなれば普段から体感される場面、機会はふんだんにあるものだが、僕にとってそれが一番リアルに感じられるのは、床に入って眠ろうとするその瞬間。

僕は眠ることが怖い。

幼少の頃より、おそらく本能的に。

仮に70年生きられるとして、それを日に換算すると約25000日あまり。
1日1回の睡眠をとるとするならば、僕が生涯のうちに眠るのは25000回。
その25000分の1回の睡眠をとることが、僕は怖いのだと思う。
この世の生の内で回数が限定された行為を1回、また1回と消費してしまうことへの本質的な恐怖心。
もちろんそれは突き詰めてシンプルに考えれば、死への恐怖に他ならない。

当然理屈の上で考えれば、眠ろうが眠らなかろうが寿命が延びるわけでもなんでもないが、僕が身内に抱え込んだまま生まれてきた根元的な恐怖心の前ではそんな理はまったく意味を為さない。
1回眠ればまた死に一歩近付く。
僕にとって“眠り”は、それ以上でも以下でもない行為。

そもそも、たった24時間しかない1日のうち8時間も無駄にするなんてもったいないじゃないか(現実的には“無駄”どころか生きるためには不可欠な行為なんだけど)。


今でこそ感性も鈍っているのでそのようなことはないが、それこそ少年時代の僕は眠らなければいけない時間帯に入ると、暗い部屋の布団の中で発狂せんばかりに悶え苦しむこともあった。

ずっと起きていたい。
寝ても楽しいことなんか何一つない。
ずーっとずーっと起きていれば楽しいことばかり。
寝るなんてもったいないよ。
時間がもったいない。
時間は限られてるんだから、きっと。

死ぬのは嫌だ。
死ぬって何だ?
死んだらどうなるんだ?
脳ミソの中? いや、精神の内をかき乱しながら駆け回るこのグチャグチャの線は何だ?
このまま狂うのかな?
大声出したいんだけど!

人は誰しもが自分の哲学を持っているが、とりわけ幼少期は誰しもが哲学者である。

惜しむらくは、もし僕が、睡眠を削ってゲームなんぞにうつつを抜かす代わりに、その時間、学問に励むような勤勉な大人になっていれば、本物の哲学者になれていたかも知れないのに!(?)


♪ さよならの向こう側 - 人間椅子

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2006年07月21日(金)

お祭りとか花火とか海とか全然行ってない

昨日、会社の最寄り駅を出ると1基の小さな神輿が。
いよいよ来週に迫った大阪を代表する夏祭り、「天神祭」の準備をしていた。

天神祭準備の一コマ

晩に打ち合わせで、天神祭の祭礼を執り行っている大阪天満宮が程近い帝国ホテルに出向いた際も、グランドフロアに飾られている祭り関係のデコレーションが人目を惹いていた。
先日は京都の祇園祭もあったし、まさに関西夏祭り月間である。

学生時代は京都に住んでおり、当然暇な時間も山ほど持て余していたのでいろいろなお祭りに行った。
祇園祭、葵祭、時代祭のいわゆる三大祭りはもちろん、時代祭のウラで行われている鞍馬の火祭、冬の百万遍の風物詩である吉田神社の節分祭、その他種々雑多の神社へと。
ああいったお祭りでは、昔の貴族や武士や町人などのコスチュームを身にまとって町を練り歩くパレードの参加者をしばしばアルバイトという形で学生に募集を掛けており、僕も幾度かそれに参列して平安貴族みたいな格好を着せてもらい、「ぬおお、さすが京都だ」と唸っていた、なんて想い出もある。
祇園祭の大行列に加わった時は、大観衆の見守る中、四条通をなぜかいささか緊張しながら歩いたりもしたなあ。

社会人になってからはそういったお祭りにもほとんど行っていない。

後年になると郷愁めいた淡くも懐かしい想い出となって胸中にいつまでも朽ちることなく残り続ける貴重な経験の数々と引き換えにするほど価値があるものなのか、多忙な社会人であるということは?

やりたいこと、行きたいところ、見たいもの、触れたいもの、感じてみたいものがたくさんあり過ぎる。
よく、「仕事しなくて毎日暇だったらやることないよ」とか、「定年退職して家にいたら退屈だよ」とかいう意見を聞くが、僕は絶対そんなことにはならないと思う。
80歳までとりあえず不自由しない財を成せていたら今すぐにでもリタイアする気は満々なのだが、残念なことにそれはできぬ。
週休5日ぐらいで今の収入を維持できるだけの甲斐性と能力があれば今すぐにでもそうしたいのだが、残念ながらそのようなものも備わっておらぬようで。


話はまるで変わって、例のジダンとマテラッツィにFIFAから下された処分が発表された。
第一印象で言うと、先日の大相撲 露鵬の処分もあまりに軽かったが、今回のジダンに課された処分も存外に軽く、それに比してマテラッツィに下った措置はなかなかに手厳しい。
というか、ジダンとマテラッツィの処分の格差が近すぎると個人的に感ずる。
いくらマテラッツィの投げた言葉が相手を挑発するための“言葉の暴力”だったとしても、それと実際に力の行使に及んだ“物理的な暴力”は絶対的に違う。
どちらもならず者的行為には違いないけれど、その2つの間には大きな開きがある、特にスポーツのゲームの中においては。
マテラッツィに課された処分の重さを聞き、てっきり人種差別発言が認定されたのだなと思っていたら実はそうではないみたいね。
人種差別的な発言内容ではなかったけれど、名誉を毀損したから処分する、って何かおかしいと思うのは私だけか?

つまるところ前に書いた論調と変わるものではないんだけど、だってジダンが頭突きしなければマテラッツィの発言だって看過されていたわけで、処分の下りようもない。
ジダンが頭突こうが頭突くまいが、マテラッツィの発言はその前に吐かれていたものだとするならば、頭突いた場合にだけ相手方にも処分を課すというのはちょっと論法が理解できない。
FIFAのアティテュードとして、差別は許さない、というスローガンがあるから、マテラッツィの発言内容に人種差別の意味合いが含まれていればまあそれもしょうがないかな、と漠然と予想はしていたけど、そうじゃないのにこうなるとは。

相手が暴力で対抗しなかったから問題になっていないだけで、たぶんマテラッツィと同等かそれ以上に相手の名誉を毀損する暴言をゲーム中に相手に向かって吐いているプレイヤーはたくさんいるんじゃないかな、きっと。
「お前の奥さん、○○と寝たらしいな」なんてトラッシュトーク、しょっちゅうあるって話もあるし。

理屈の上では、ピッチ上のすべてのプレイヤー、あるいはベンチのプレーヤーやコーチにまですべてマイクをつけ音声を録音し、そこに暴力行為があろうがなかろうが「名誉を毀損する」発言があればすべからくその発言主を処分しなければいけなくなるじゃない。

FIFAの発表すべてを鵜呑みにするのもどうかと思うけど、これが公式見解なのだからそれをすべての判断材料にするしかないし、とにかく便秘気味の腸捻転気味にスッキリしない。
ヴィデオ判定問題も含めて。


♪ 矮小な惑星 - 宮沢和史

2006年07月14日(金)

スポーツを愛する1人として

昨日、ジネディーヌ・ジダン選手が母国フランスのテレビに出演してコメントをし、さらに議論が過熱した感のある“頭突き退場事件”だが、もういい加減、いかにも社会問題です然として語るのはやめてもらいたいと個人的に思う。

そもそもあの件は、まず発生した試合がワールドカップ決勝であったこと、そして当事者がジダンという世界最高峰のプレイヤーの1人であったこと、さらにはそのジダンの現役最後の試合というサイドストーリーが加わったこと、以上のような特異な条件が見事に揃ってしまったことによってこれほどまでに世界中で注目されただけに過ぎないのであって、言い換えれば、先に挙げたような特殊な要素を取り去ってしまえばここまで大きく取り上げるような事態には当たらないと思う、と勇気を出して言ってしまおう。

無論報道されているような内容の暴言をマテラッツィ選手が言っていたのだとしたらそれは由々しき問題であることは間違いないが、サッカーのみならず僕の知る限り、野球でもバスケットボールでも試合の中で相手選手に向かって汚い言葉を吐いて挑発することはプロの世界においては日常茶飯事。
子供のケンカの時なんかにも、「うち帰って母ちゃんとfxxkしてな」なんて言葉をぶつけ合う習慣のあるような国ならなおさら、それと同種の暴言をゲーム中に吐くことはあるだろうし、そこに人種や宗教などデリケートな問題が絡んでくることも少なくない。
でもそれらは確かに“言葉の暴力”には違いないけれど、そこに物理的な暴力で応えてしまっては(それも衆人環視というにはこれ以上しっくりくるシチュエーションは見当たらないだろうという場面において)、やっぱりどうしたって応えた方の「負け」になっちゃうと思うんだな。

先に、この件はいくつもの特殊な条件が揃うことによって注目された、と書いたけど、さらに根本的なことを言うならば、そもそもジダンがマテラッツィの発言を無視して頭突きで報復していなければ問題になることはありえなかった。
マテラッツィが暴言を吐いていたという事実すら表には出なかっただろう。
つまり、これはそういった類の問題なのである。

世界中で行われている様々なプロスポーツの試合において、このたびのマテラッツィのように相手の怒りの琴線に触れる暴言は毎日毎日、星の数ほど吐かれ、ぶつけられているに違いない。
今回のジダンのようにそれに暴力で応えてしまうプレイヤーもいるだろうが、たぶん大多数の選手たちはそれらの暴言に耐え、忍び、あるいはその怒りのパワーをプレイの力に換え、あるいは精神の統一を乱してプレイの質を落としてしまいながらも、少なくとも試合中の暴力という手段には訴えることなくやり過ごしているのが真相であると思う。
そしてそうやって暴言をぶつけられた側の選手が耐えている限り、暴言が吐かれたという事実すらも決して報道されることはないだろう。

僕たちは知らないだけで、おそらく世界中の至るところに、家族や国籍や人種やルーツを傷つける暴言を吐かれながらも、それを我慢してプレイを続けた“頭突きをしなかったジダン”が数多いる。

いくら挑発のためとはいえ、差別的な発言は決して許されるものではないし糾弾すべきものだが、それとはまったく問題を別にし、ジダンはプロスポーツ選手としてやっぱりあれは「負けた」んだと思う。
それだけの単純な問題。
あれがワールドカップ決勝じゃなければ、ジダンじゃなければ、ジダンが頭突きをしてさえいなければ、誰も知ることなく看過されていただけの出来事。
だから世論はもちろんFIFAをも巻き込んで、今みたいな感じで事態が推移しているのはちょっと不思議。

試合の勝敗だけに論点を絞って言えば、いくら延長も後半だったとはいえ、あの退場によって間違いなくフランスの戦力は低下、ある意味仕掛けたイタリア側の思惑通りになってしまった側面もあるから、ワールドカップ決勝というこの上ない大舞台であったからこそ、スーパースターであるジダンには堪えてほしかった。
チームの勝利のために。
相手の卑劣な仕打ちに野蛮な力で対抗することは誰にでもできるけど、優れたプレイで以って相手を叩きのめすことこそが一流のプレイヤーたる所以なのだから。
スポーツを愛する1人として、それが非常に残念でならない。


♪ Slit My Wrists - Buckcherry

2006年07月12日(水)

動物の餌の残り物を人が喰う

今日の晩ご飯も家で食べたのだが、つけあわせにチンゲンサイとオクラが使われていた。
どちらもうちで飼っているヘルマンリクガメの好物である。

数年前、イヌ、ネコはもちろんのこと、ペンギン、ハクビシン、ニホンザル、ニワトリなどなど数十種に及ぶ生き物を飼育しているという茨城県内のとんでもない一般家庭を取材したことがあるが、その家の毎晩のおかずには主に飼っている動物たちの餌の残り物が使われており(人間の残り物を動物にやるんじゃなくて、その逆ですよ!)、中でもペンギンの主食である小アジが週に3度はメインディッシュとして食卓に上る、という非常に印象深かった出来事をなんだか思い出してしまったのであった、今晩のうちのご飯を食べながら。


♪ If I Could Turn Back The Hands Of Time - R.Kelly

2006年07月07日(金)

生殺与奪を決めるのは?

僕は現在、計19種51尾ほどの魚(とエビ)を4つの水槽で飼育している。
そのうち一番小さな35cm水槽が空いているので、いわゆる小赤(金魚すくいの獲物になっているような小さな金魚。主に大型魚の餌用としてショップで売っている)を買ってきてそこに入れて、120cm水槽に棲んでいる大きな魚どもの餌としてあげようかな、とここのところ企んでいたんだが、「かわいそうだからやめて」という妻のやんわりとした反対にあい、やむなく断念中なのである。

飼っている魚の餌として生きた魚をあげる。
確かにこの行為は理屈の上ではなんだか破綻をきたしているようにも感じられる。
小さいながらもパクパクチョコチョコと懸命に生きているメダカや金魚の命と、それらをガブリと一呑みに喰らうスネークヘッドやナイフフィッシュの命と一体何が違うのだ、と問われてはぐうの音も返せない。
どっちがかわいいかと訊かれたら、ともすれば喰う側の怪魚たちよりも餌となる小魚の方がよっぽど愛らしいのではないか、なんて当の僕でも思うかもしれない。

もし反論するとするならば、大きな魚たちの胃袋に収められる小さな魚たちは決して悪ガキにいじめられて殺されたり残虐な釣り人に岸に打ち捨てられて死に至ったわけではなく、他の生物の貴重な糧としてその尊い生命を捧げたんです、無駄死にではないんです、食物連鎖のピラミッドなわけです、といった具合が精一杯だろうか。

こんな時にいつも思うんだけど、人間は誰だって必ず、生きとし生けるものの命というものに序列をつけている。
命の重さは平等である、なんて虚ろな言葉もあるにはあるが実際にはもちろんそんなことはなく、明確に差がつけられている。
そしてその“命の序列”は言うまでもなく絶対的なものではなく、決める人の主観によって、シチュエーションによって、その他諸々の条件によって変わる。

僕は、メダカや金魚はすまないけれど我が家にいる大型魚の食物となってどうか輪廻に組み込まれてくれたまえよ、と思うことができるが、妻は、メダカや金魚だって生きているんだから配合飼料や冷凍エビとかで大型魚が生きていけるなら餌としてあげなくてもいいじゃない、と感じている。
このように卑近なところで見てみても、僕と妻は明らかに異なる場所にラインを引いている。
過激な環境保護団体が、クジラは賢いんだから食べるな! と叫んだり、反対方向に過激な人々が、野良イヌ・野良ネコは迷惑だから駆逐せよ! なんて主張したりするのは、その極端な例である。

こうなるともうどこまで考えても、何が正解とか何が間違いととかいうことは分からない。

ただ、どんなヴェジタリアンだって必ず何らかの形で他者の生命を犠牲にしなければ生き延びることができないという現実がある以上、誰しもがどこかにそのラインを引かねばならないのだな、自らの主観によって。

もっと飛躍し極論してしまえば、ペットを家で飼うという行為自体がその生物の幸福を損なっている、という考え方もある。
どれだけお金や手間を掛けてもその生き物が野生の状態で生きている環境を完全に再現できるはずはないのだから、スケールの差こそあれすべてのペット飼育は箱庭飼育でしかない、という見方。
つまり、アマゾン川に棲んでいるナマズを日本の家庭の水槽で飼ったり、アフリカにしか棲息していないカメをわざわざ加温したケージ内で飼うのは広義の意味で虐待である、ということ。
品種改良によって純野生のものがいなくなっている、ほとんどのイヌやネコだってもちろん例外ではなく、たとえばロシア原産のシヴェリアンハスキーを高温多湿の日本で健康に飼えるはずがない、とか、温暖な地中海沿岸で生み出された小型犬たちを、ニットを着せてまで冬寒くなる日本で飼うのはバカげている、なんて意見も実際にある。

突き詰めていけば本当にきりがなくてまったく先が見えなくなるし、そうなると僕たちはペットを買うことも肉を喰うこともできなくなりそうなので、せめてその一つ一つの振る舞いや行為に心を込め、無駄な生命はできる限り奪わないように努力するとしよう。
カとかゴキブリは別ね。


♪ I Will Get By - The Grateful Dead

2006年07月01日(土)

揺れないけれど活きた心はどこにあるのか?

 『雨ニモマケズ』

 雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ
 欲ハナク
 決シテ瞋ラズ
 イツモシズカニワラッテヰル
 一日ニ玄米四合ト
 味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ
 アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジョウニ入レズニ
 ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ
 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
 東ニ病気ノコドモアレバ
 行ッテ看病シテヤリ
 西ニツカレタ母アレバ
 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
 南ニ死ニサウナ人アレバ
 行ッテコワガラナクテモイイトイヒ
 北ニケンクヮヤソショウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ
 ヒデリノトキハナミダヲナガシ
 サムサノナツハオロオロアルキ
 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 サウイフモノニ
 ワタシハ
 ナリタイ

  宮沢賢治


拙ごときが思いつき考えるようなことはたいてい偉大な先人の誰かがすでに著して世に送り出しているわけで、こんな気分の金曜から土曜日。
主に負の感情を背負うフィールドにおいては極めて鈍感かつ無神経な反応を自らに求めながら、正方向に働く感性はヴィヴィッドなままでありたい、と欲することは果てしなく矛盾するものであり、成就不可能な雲上の目標であるからこそ、我々は現世を溺れながらも泳ぎ続ける意味がある。


うちの玄関には今までずっと姿見というものがなかったんだが、先日一念発起して特注していた総鏡張り仕様の玄関クローゼット扉が今夜届けられ、設置された!

玄関のクローゼットに取り付けられた鏡張り仕様の扉

僕はともかく、妻などにとってはこれはだいぶ重宝するだろう。


♪ New World Man - Rush

2006年06月29日(木)

宗教と科学の両立に関するちょっとした疑問

数日前に映画を観に行った「ダ・ヴィンチ・コード」、その時にも書いたように映画は若干説明不足のために楽しみきれなかったところはあるけれど、原作の小説は巧妙に読者の興味を一歩先一歩先へと導く良質のエンターテインメントになっていて、充分に満足した。
その「ダ・ヴィンチ・コード」を読んでいた時にも改めて感じたし、まあ以前からもたびたび思っていたことではあるんだけど、西欧その他のキリスト教文化圏の人たちって、よく「信仰心」と「現代科学社会に生きること」を器用に両立させているなあ、と感心してしまう。

かつてガリレオ・ガリレイやコペルニクスといった過去の人物が天が動いているとか地球は丸いとか言って教会に迫害を受けたなんて話は子供の頃に学校の授業でも習うが、いくら敬虔なカトリックの信徒でもそのような前提的摂理を疑う人は21世紀の今は皆無。
それと同様に、一番好きな本は聖書ですなんて信者でも、「人間は神が創りたもうた」と心の底から信じている人はまあいることはいるらしいが、それでも割合的にはごく少数、一応ほとんどのキリスト教信徒たちは、なんらかの進化過程を踏んで人間は別の生物から派生して生まれてきた、という現代の保守本流を占める科学的仮説は支持しているみたい。
新約聖書に書かれてあるイエスの行った奇蹟にしても同様で、描写されている通りの出来事が実際にそのまま起こったと考えている人はマイノリティ、多くの人たちは、書かれている奇蹟はイエス・キリストの神性を抽象的に表現したものである、なんてスタンスをとっているらしく、そもそも聖書学という学問は旧約・新約聖書に著されている「科学の常識とマッチしない数々の出来事」をいかに矛盾や破綻なきように現代の価値観と重ね合わせるか、ということに腐心するものだろう。

実はここらへんが根っからの無神論者、無宗教バンザイの僕としては昔から若干引っ掛かっているところ。
普段から日曜には教会に通って祈りを捧げ、イースターやクリスマスには神に感謝し、打席に入る時やPKを蹴る際には胸の前で十字を切るような生活を送りながら、聖書に出てくる秘蹟や奇蹟を「何かの喩えだ」と割り切ってしまっているところが。

ちょっと大仰な言い方になってしまうけれども、神への帰依とか信仰心ってそういう類のものなのかな?
無条件に神の存在を信じ、ことあるごとにその神に祈り、自分の属する宗派が定める戒律には従うけれど、人間は進化によって誕生したし、杖をかざしたら海が2つに割れたは信じないし、処女のまま女性が受胎するなんてありえないし、人が死んだ後に神として復活するなんてナンセンス、と思うことは自己の内で矛盾はしないのか?
暴論してしまえば、聖書の中に書かれてあることは本当のこともあればウソも混じってますよ、っていうことになるんじゃ?
そういった明確な一線を引いてしまうことができるんだろうか、信仰心の中に。
そうだとしたら、カタコンベの時代じゃあるまいし、そもそも現代の彼らの持つ信仰心を支えているもの、礎となっている源泉は一体何なのだ?
そもそもの信仰の始まりに別に確固たる理由はいらないのか?

僕には生涯理解も感得もできない感覚なんだろう。


♪ Only The Good Die Young - Katmandu

2006年06月23日(金)

おそらくあんまり書かない方がいいだろうことを書いてみた

高校卒業までの18年間を過ごした名古屋から関西に出てきて15年目ぐらいになる。
そんな時分になってようやく分かりかけてきたのが、この地方にはいかに同和、いわゆる部落が様々な形態で様々な問題に影を落としているか、ということ。

かなり大きく捉えてしまえば、ここ数年声高に語られることが多くなった大阪市の財政にまつわる不正や汚職の多くに関わりを持っている。
例の飛鳥会にしたって、それに代表される土地活用を巡る不可思議な状態にしたって、交通局や給食センター職員などの度を超えた厚遇にしたって、食肉業界が絡んだ不透明な金の流れにしたって、広域暴力団の発生源にしたって、そう。
京都や奈良だってもちろん例外じゃない。

そもそもが関西地方の小学校では「同和教育」なる授業が普通にある、ということを学生時代に初めて聞き知って驚き、そして関西で育った友人には僕がそれを知らないことに驚かれた記憶がある。
東海地方では少なくとも僕が小学生だった時代にはそのような教育はなされていなかった。
また、同じく大学生の頃に、当時住んでいた京都市内のとある地区を通りがかったらそこら中ビッシリと路上駐車の列、列、列、にも関わらずその一角には普段決して警邏の警察官が立ち入らないため絶対に駐車違反の切符は切られないのだ、という事実を知った時も同様に驚いた。

長きに渡って彼らに色々な手枷足枷をはめてその生活を封じてきた“平民”たちが今まさに手痛いしっぺ返しを喰らっている、という表現が適切なのかどうか分からないが、とにかく“臭いものには蓋”的な発想で以ってこうした経緯にまったく触れずしてただ一方的に地方自治体の歪みだ何だを舌鋒鋭く批判している様には何となく違和感を覚えるのだ。
今そこに確実にある、横たわっていることが誰の目にも明らかな関係事実を無視しタブー視することは、何も溶解には導くことはないような気がした。

何の問題提起もできないし、ましてや解決策を示すことができるわけなんかないけれど。

話は少し変わるけど、「油かす」という食材が被差別部落社会発信の食べ物であるということを最近知った。
油かすラーメンは美味いよなあ。


♪ Slip Of The Tongue - Whitesnake

2006年06月22日(木)

FIFA ワールドカップの最中にNBAは幕を下ろした

今しがたNBA ファイナル第6戦のヴィデオを観終わった。

試合終盤、ダーク・ノヴィツキーに対して吹かれた、ドウェイン・ウェイドへのファウルがすべてだったような気がする。
あの時間帯、あの点差で、そしてダラスのホームであのコールはちょっと厳しかったなあ…。
自画自賛ながらシーズン前に予想していたファイナルの組み合わせがピタリ的中、さらにはヒートが優勝するとまで当てていたにもかかわらず、なぜかマーヴェリックスが不利になるにつれ無意識の内にマヴスを応援していた。
不思議なもので。

それにしてもアロンゾ・モーニングの鬼神の働きぶりはすごかった!
まさしく全盛期を髣髴とさせる信じられないブロックの連発。
実は彼に関しては僕はどちらかというとネガティヴな印象を持っているんだけど、あれだけ切望していたチャンピオンリングを獲得できてよかったね。
リング獲得といえば一昨シーズン、なりふり構わずレイカーズに移籍してまで手に入れようとしていたゲイリー・ペイトンもついに悲願を叶えた。
本当にうれしそうだった。
ルーキー時代から好きなジェイソン・ウィリアムズが獲れたことも個人的に喜ばしい。

3年目でファイナルMVP。
すでにリーグトップクラスの実力と神性をその身につけていたD.ウェイドだけど、これで明確に目に見える形で同期のレブロン・ジェイムズを引き離したように思われる。
と言ってもウェイドにあってレブロンに欠けているものは決してスキルではなくてただ一つ、リングだけであることは確かなので、必ず来季以降、レブロンも巻き返してくるはず。
今後10年間のNBAはこの2人がリードしていくことになるのかもしれない。
カーメロ・アンソニー、頑張らないと埋もれちゃうよ…。


♪ All Tomorrow's Parties - The Velvet Underground

2006年06月17日(土)

適切なスケールで捉え有機的に結びつける理解力がようやく少しずつ

今日の「世界ふしぎ発見!」はオーストラリアのタスマニア。
アフリカのマダガスカルや南シナのボルネオのように、元来の環境が多く残っている比較的大きな島というのは、非常に独特な生態系が出来上がっていたり、ダイナミックな固有原生種が多数棲息していたりして個人的に素晴らしく興味をそそられるものだが、このタスマニアもその例に倣ってとても面白かった。
あれだけたくさんの有袋類が棲んでいるとは知らなかったし、アマゾンのネグロ川のようにタンニンが溶け込んで赤い海があるなんてことも初めて知った。
欲を言うならば絶滅してしまったタスマニアンタイガーの説明もちゃんと見てみたかった。
いやー、行きたい。
余談ながらミステリーハンターの宮地眞理子さんという人も絶妙にマッチしておりとても観やすい。

乖離、乖離。


♪ Smoke Screen - Michael Monroe

2006年06月16日(金)

文庫版礼賛

ご周知のように文芸本には単行本と文庫本という2つの主とした形態がある。
僕は以前は「気に入った作家や作品ならやっぱり単行本でしょ」という固定観念で以って、せっせと重くて固くて高価なハードカヴァーを買い揃えていたものだが、最近になってその感覚がちょっと変貌してきた。
価格やサイズや重量などの要素を除外した上で、「文庫本って結構いい、いや、文庫本の方がかえっていいんじゃない?」という気持ちが強くなってきたのだ。

書き下ろしにしろ連載ものにしろ、まとまった形で書籍として初めて世に出る単行本の場合、当たり前のことだけど制作者側が抱く種々の気合が随所に込められることが多くなり、すなわちそれは凝った段組みであったり美麗な表紙画であったり創造的な装丁であったりといった様式に現われる事例が少なくないように思われる。
それはそれでもちろん好ましくないことでもなんでもないし、そういった工夫も含めてその文芸作品の一部たりうる場合もあり、読者である僕も手間隙掛けた装丁やハッと目を惹く扉画に触れると「おお~」と口を開けて感嘆したりもしばしばする。
だけどそういった“中身”以外の諸々の要素は、時として純粋な鑑賞やイメージングを助ける代わりに邪魔をしてしまうことがあるということも、残念ながら皆無ではないと思う。

本にとって最も重要なものは言うまでもなく、本文。
作家によって紡がれた文章群こそが心臓であり、脳であり、目であり耳であり口であり手足である。
装丁や扉画や挿絵や文の組み方は服であり靴でしかありえない。
それらは確かに見た目上、その本に“個性”を与えるかもしれないが、ただひたすらその本の中身が持つ世界に浸りたい時、あるいはその“個性”が邪魔に感じられることも、なくはない。

その点文庫本は、そういった中身以外の装飾が単行本に比べると相対的に少ない。
もちろん各社各書表紙には凝っているだろうし、フォントや段組みなどで少しでも小説の持つ世界観を表現しようとしているのかもしれないが、単行本よりは圧倒的にその余地は狭い。
ものすごく極端で乱暴な言い方をしてしまえば、文庫本は皆同じ顔を持った画一的な書籍スタイル。
だからこそ、その作品を味わう時により純粋な感性で文章群の海を泳ぐことができるような気が僕はする。
パッと見の印象というものは、意外にいろんなところに影響を及ぼす。

そしてさらに大きな特典として、文庫版には巻末に解説が載っているということも挙げておかなければいけない。
外見上の装飾に惑わされることなくその中身を存分に味わいきった後に、その小説の書き手ではない客観的な視点を持った日本語のプロが書く解説を読むことができるなんてなんて幸せな!
皆川博子が書く恩田陸の作品の解説や、山口雅也が書く京極夏彦の作品の解説や、宮部みゆきが書く高野秀行の作品の解説を読むことができるなんて!
単行本が文庫化されるまでの数年は確かに考えようによっては長いが、値段が数分の1に落ちた上にこんな豪華なおまけがついているのだから相殺か。

でもやっぱり「どうしても単行本が欲しい!」という本はハードカヴァーを買うんだけどね…。


♪ Spirit - R. Kelly

2006年06月11日(日)

ケニアで、そして神戸で

昨日、担当している生番組の放送を終え諸々の業務を終えた後の夕刻、急いで向かった先は神戸にある「ユニセフ兵庫支部」。
3年半前にケニアに新婚旅行に行った際、現地でお世話になったナチュラリストの加藤直邦さんがアフリカの自然と動物に関する講演会を行うという情報を数日前にキャッチしたので、これはぜひとも駆けつけなければと思い至った次第。

加藤直邦さん講演会場入り口

残念ながら講演本編には間に合うことができなかったが、終えた後の加藤さんを捕まえてしばしお話をすることができた。

現在34歳の加藤さんはケニア、マサイマラのロッジでナチュラリストとして1999年~2004年まで働き、その後中南米を約1年かけて回られ、今は日本に戻ってきてしばし腰を落ち着けておられるそう。
余談ながら今年3月に放送されたテレビ東京「TVチャンピオン」の“野生動物発見王”で、見事優勝されてもいる。

2003年に遠く離れたアフリカの大地の一点でお会いしてお世話になった人に、今日本の神戸に在る古い建物の小さな会議室で再び見えているという奇跡的な状況に一人高揚した。

自然や動物などといった、自分の好きなことばかりにまつわる仕事をして、一見自由気ままに一度きりの人生を謳歌しているように我々一般社会人には感じられる加藤さんのような人は、しばしば「羨ましい」と他人から思われがちだし、また実際にその言葉を掛けられることもあろうが、本当は彼のような人たちに対して「羨ましい」という言葉を用いることはひょっとしたらおこがましいことなのではないだろうか、と僕は少なからず思う。

「羨ましい」という言葉は“恵まれている”人を表現する時に本来使われるべき。
しかし加藤さんの場合、もしかしたら運に恵まれていたような部分も少しはあったのかもしれないが、本質的に今の彼が生きる環境を作り出したのは、彼の努力であり決断であり行動であったことは間違いない。
僕たちのような歯車的サラリーマン人種はたとえば加藤さんのような類の生き方を選択している人を目の当たりにすると、「いいなあ、自由で」とか「好きなことやって生きていけるなんて羨ましい」とかついついこぼしがちだけど、それは実は“やりたいことをできるのにしない、する勇気がない”小市民の愚痴にしか過ぎない。

誰だって“好きなことをやって生きていく”人生を選択するとこはできる。
だけど“できる”と“する”の間には、大きくて深いクレヴァスが横たわっているだけで。

経済的な不安、家族のこと、異なる環境に飛び込む勇気、オンリーワンの道を歩む行動力。

いろいろな要素が手枷足枷となって“好きなことをやって生きていく世界”に一生を賭けて踏み込むことができないだけに過ぎない。
だからそうしたとても深く、そしてとても高い数々の障壁をクリアして自分の本当に好きな道を歩いている加藤さんのような人は決して「羨ましい」のではなく、「すごい」っていうことなんじゃないだろうか、一言で言うと。
誰もが論理的には“できる”んだけど、実際にはほとんどの人が“できない”ことをするすごさ。

とにかく昨日再び加藤直邦さんに会うことができて僕にとってはとてもよかった。

夜、「イングランドvsパラグアイ」の後半をそっちのけで、宮沢和史の新バンド、Ganga Zumbaの初ワンマンライヴをNHK BS2で放送していたので一心不乱に視聴した。
まったくカテゴリーは異なるが、宮沢和史もまた加藤さんと同様に、自分の好きなことを追求する人生を地に足つけて歩んでいる“すごい”人間である、なんて無理矢理つなげてみる。

宮沢の他に、女性ヴォーカル、ギターの高野寛、ベース、ドラム、パーカッション×2、トランペット、キーボード、ヴァイオリンの10人で編成されるこの新ユニット、さすがに宮沢和史が呼び集めた面子だけあって皆いろいろな面においてとてもレヴェルが高いが、あえて技術的なところだけでいうと宮沢さんの歌唱だけが少し遅れをとっているのは確かかも…!
もちろん彼のアーティストとしての全人格はそれを補って余りあるものなので、形として結実しているものは最高に素晴らしいんだけど。

宮沢和史さんは間違いなく僕がこの世で最も好きなミュージシャンです、念のため。

世界的に見ればFIFA ワールドカップはもうグラグラと煮えて沸き立っているわけだが、NBAではひっそりと(?)ファイナルも始まっている。
まずはジェイソン・テリー