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2011年10月13日(木)

迷った

晩、ランニング。
今日は西宮浜から南芦屋浜に渡り、戻ってくる時にいつも使う浜風大橋じゃなくてあゆみ橋を使ってみたんだが...、芦屋浜でまさかの方向ロスト!
細い住宅街をウネウネと走っているうちに、「ん、ここはどこだ?」と軽いホラー小説状態に陥った。
初めて足を踏み入れる夜の埋め立て地は要注意だ、という教訓を改めて学ぶ。
そんなこともあり、予定より長めの9.95km。
体のコンディションがよく、この1カ月のトレーニングの中では最速となる、1km6分切ってのペース走となった。
ただ、道に迷ってあたふたし始めた6km地点あたりから右のふくらはぎが少し固まりかけ、攣りかけた。
明らかに電解質不足の様相。
無補給で行ったが、今の私の力では、この距離とペースがいっぱいいっぱいのようだ。
しかし良い練習ができた。

厚生年金の支給開始年齢を68~70歳に引き上げることを検討、というニュースにはたまげた。
今回の考察は、自身や家族の近未来にも大きく関わってくるトピックだけに、客観に徹するものにはならないだろうが、お戯れは止めてください、というのが第一印象だ。
そもそもが、旧社会保険庁が継続的に為してきた杜撰極まりない管理こそが問題の根源であることは周知、自明。
積立金の不正流用、記録データの紛失等を始めとした、およそ税金で飯を喰っているとは信じ難い公務員集団により行われてきた、いわば国家権力による詐欺的行為が表立って糾弾されなくなって久しい。
そこにきてこのニュース、もはやこれは折に触れ摘発されている悪徳商法、違法マルチ等と何ら変わりない。
ただそれを行っている主体がお上だから捕縛されない、それだけに過ぎない。
特に我々のようにサラリーマンとして行動選択の余地すらない者にとっては、憤懣の持って行き場がまるでない。
定年は60歳です、支給は68歳とか70歳からです、保険料は給料から天引きします、では、所詮持てる者と持たざる者の関係は、封建時代の領主と小作農民のそれと比べて何も変わっていない、と言えはしまいか。
もし既報の通り支給年齢引き上げの議論が進み、それが実現するというならば、せめて保険料を納めるか否かの選択権は国民一人一人に帰すべきではないか。
もちろんそんなことをして納付者の割合が減ってしまえば、設計している保険制度そのものが崩壊してしまう、というツッコミは想像できるが、暴論は百も承知の上で、そんなことは知ったことじゃない。
年金制度そのものを初めに瓦解させたのは、その制度を司どる主体者なのだから。
毎月決まった給金は保障され、お縄を頂戴する心配のない詐欺集団に、戻ってこないであろう上納金を自動的に支払い続けるよりも、タンス預金でも何でもして自分の責任で老後に備えて蓄えた方が絶対的にマシだよ、と判断するサラリーマンは、決して少なくないだろうと思う。
須らく理性的に全体を俯瞰した物言いではない、ということは充分に分かっているが、これが本音だ。

今こそ日本人は怒るタイミングではないのか、とまたも思うわけだが、特にこれといって生活面で致命的な危機を感じることはなかったこれまでの長いパックス・ジャパーナの名残で、決して私たちは本気で怒りはしないであろう、ということもまた予感されるのだ...。


♪ Will The Sun Rise? - Dokken


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