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2005年10月18日(火)

アラン・ヒューストン引退、新ドレス・コード

ニックスのアラン・ヒューストンがついに引退か。
晩年こそケガなんかもあって、その高給ゆえにいわゆる給料泥棒的プレイヤーの代名詞みたいに言われていた時期もあったけど、振り返ってみると20点オーヴァーの安定したシーズンもあったわけで、充分にオールスターに値するいいシューターであった。

さらにNBA絡みで言うと、昨年ヴィンス・カーターが試合前の練習中にいつも聴いていたiPodを「ドレス・コードに違反している」という理由でリーグに取り上げられたなんて出来事もあったけれど、このたびリーグが新たなドレス・コードを設定した、というニュースを目にした。
いわく、選手たちはチームやリーグの業務に関わっている時は(もちろん記者会見やシーズン中の移動なんかも含まれる)、“ビジネス・カジュアル”を着なさいとのこと。
このビジネス・カジュアルっつーのがイマイチよく分からないところもあるんだけど、スニーカーやTシャツ、ショーツやジャージーなんかは明確に禁止されている。
他にもケガなどのために試合には出場しないけれどベンチに入る時はチーム指定のスポーツ・コートを着ろだとか、アリーナに出入りする際はビジネス・カジュアルもしくはチーム指定のウォーム・アップ・スーツを着ろだとか、さらには室内ではサングラスをするなとか、服の上から見えるチェーンやペンダントをするななんてまるで小さい子に言い聞かせるようなアホらしい規定まで明記されているのだ。

つまり、今の若い選手たちが好んで着ているヒップホップ・ウェアは公の場では一切着るな、ということなのだろう。
もちろんNBAというリーグは様々なライセンスを様々な企業と締結しており、無論ウェアとて例外ではないから商業上の理由も少なからずは存在しているのだろうが、それにしてもちょっと行き過ぎの感は否めない。
B-Boyファッションを禁止してしまったら、NBA全チームのユニフォームを提供しているリーボックなんかも決して得はしないと思うんだけど。

ひょっとしたらこの服装規定の裏には、実は服そのものではなくてタトゥーをできるだけ子供たちの目に触れさせない、なんていう目的もあるのかもしれない(どちらにしろユニフォームになれば丸見えなんだけど)。
確かに猫も杓子もという状態の、昨今の若いプレイヤーたちの間ではびこっている数々のタトゥーはちょっとばかり目に余るかも。

まあアレン・アイヴァーソンを始め、このドレス・コードに対してやつらがどんなリアクションをするのか少し楽しみだ。
そういえばシャキール・オニールやコービ・ブライアントらが「試合中のショーツの丈が長い」なんてバカらしい理由で罰金を科されたなんてこともあったなあ。


それにしても案外こういった類の決め事や規制って、より個性を尊重する自由の国(と思われている)、アメリカの方が日本よりも厳しいところがあったりする。
MLBのニューヨーク・ヤンキースではチームの規定によって、選手はヒゲを伸ばすのは禁止、移動時や会見の時はネクタイ着用が義務付けられている。
さらには他者からの強制だけじゃなくって、実はアメリカ人は自発的にあえて皆で画一的な行動をとることによって団結の意志を固めたりすることも割りとある。
いつだったかボストン・レッドソックスがプレーオフの時に全員スキンヘッドにして闘志を鼓舞したなんて例もあった。

アメリカは元々が移民の寄り集まりの国だから、一つの共同体内に統一されたコスチュームを設定したりある程度の不自由さを強いる束縛を持たせることこそが、連帯意識を高める一番の早道だという要素もあるだろうし、また結局はなんだかんだ言ってやっぱりビッグ・ダディの論理こそがまかり通る「マッチョの国」なのかもしれない、本質的に。


♪ Southbound - The Allman Brothers Band


どうやら新しいドレス・コード、まだ正式決定というわけはないらしい。
でも選手会は受諾の方向だとか。

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