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2012年6月 1日(金)

テレビは死んじゃいない

転居後、初めて近所をホタル捜索に歩いてみたが、見つからなかった。
時期がちょっと早いのか、そもそも場所がずれていたのか。

テレビ離れの時代と言われる。
事実、たとえば私が子供だった30年前と比べると、テレビ視聴以外の娯楽や、情報を獲得するメディアの選択肢が今では多数に及んでいる、という影響もあって、テレビを観ている延べ人数やそれに依存する人の数なんかが大きく減っていることは間違いない。
だからといって、「テレビを観ている若者などもういない」とか「テレビは世の中に必要ない」などといった誤った認識を公に示す行為はあまりにも浅薄である。
その個人にとって、テレビが無価値である、視聴する必要がない、と言ったり思ったり書いたりするのは勝手だ。
一個の独立した人格が感じることなのだから。
だが、その偏向した感性を世間一般に拡大適用することは明確な状況誤認であり、すなわち、あたかも大衆を代表しているかのようなつもりでそれを著すことは、愚挙だ。
政治家の何人かが馬鹿だからといって、すべての政治家は馬鹿であると断じたり(まあほとんどは馬鹿なのだろうが)、幾人かの警察官が不祥事を働いたからといって、すべての警察官は腐敗していると見做すことが間違いであるように、テレビの低俗な一面を取り上げて、テレビ全体が不要な存在であるなどと公言することが正しいはずがない。

バラエティー番組や情報番組、報道番組が今よりも高品質だった時代に比すると勢いは衰えているとはいえ、2012年現在においても、テレビは最も大きな影響力を世の中に対して及ぼしうるメディアであることは否定しようがない。
先述した行動パターンの多様化や、録画機器の発達等によって、HUT(総世帯視聴率)は落ちているが、換言すれば、録画をした上でタイムシフト再生して観ている人や、あるいは何らかのツールを使ってPC上で観ている人が増えている、ということでもある。
去年、大阪市内の高校に行って講義をする機会があったが、その時にコミュニケーションを取った結果も、「思ったより今の若い子たちもテレビを観ているな。少なくとも働いている私たちなどよりはよっぽど長い時間、多いプログラムを観ている」と確認することができ、若干安堵したものだ。
今においても、学校で友達と共有する話題の中で、テレビに関連したトピックスは大きなウェイトを占めているんだ、と実感した。
またその実感は、コミュニティーが高校生集団ではなく、たとえば主婦や大学生やサラリーマン(さすがにちょっと割合は下がるだろうが)になったとしても、大きく誤るものではないと思う。

そして言うまでもなく、こうした再認識をした結果、だからテレビはまだまだ大丈夫なのだ、などと胡坐をかいてしまうことはそれこそ大いなる過ちで、ただちに致死的というほどでなくとも間違いなく衰退の方向に傾いていっていることは明白なのだから、その現状は正確に把握した上で、サヴァイヴの道を模索せねばならない。

コンテンツの質は低下している。
媒体としての価値も落ちている。
構造的な歪みが随所に顔を出してきている。
正視に堪えない下衆な手法を使って放送されている番組や、ペテンに近いプロセスを経て作られている番組も数多く存在している。
何より私自身が、テレビを観る機会が減っている。
それらを存分に踏まえて、テレビで生きている私たちは、内省と努力を続けていかなければならない。
テレビのすべてをオプティミスティックに肯定することは決してしないが、飯を喰うためにやっている仕事に誇りは持っている。


♪ Delirious - Hanoi Rocks


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