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2013年11月 7日(木)

使い分けの始まり

昨晩は久々に英会話の個人セッション。
まだまだ喋りたいことが言葉となって口から出てこないので、ウ~となる。
脳内翻訳はアカンと分かっていても、それを止めることが難しい。

そして今晩は、比較的家の近くにある別の英会話教室に、体験レッスンを受けに行ってみた。
20分ほどの短い時間だったが、連想ゲームのような遊び感覚を取り入れたりしたやりとりは楽しく、あっという間。
そして小さいながらも教室だから、ティーチングのノウハウも色々ありそうだ。

日常会話の即戦力となる語彙や言い回しは後者で、社会の動きなどを反映したちょっと難しめのフリートークは前者で、という上手い使い分けができればいい。

昨日、ついに意図的な偽装であると初めて認めた近鉄旅館システムズ社長の記者会見は確かに見苦しく滑稽で、腹立たしくもあるが、ある程度正直に心情を吐露してしまったと思われる口ぶりには、ある意味納得した。
景品表示法違反、場合によっては詐欺罪にすら問われかねない危険性はもちろん充分感知していたはずだが、にも拘わらず偽装であったと明言した姿勢には、よく言った、と感服しかけてしまったぐらいだ。
翻ってどうだ、今が好機とばかりにどさくさ紛れに、うちもでした、とこそこそ発表しながら、あくまで誤表示です、と嘘を言い張る数々のサーヴィス企業群は。
一連のこの動きの口火を切った阪急阪神ホテルズや、偽装を白状した近鉄旅館システムズなんかよりも、そういった企業の方が悪質性は格段に高い。
しかし哀しいかな、こうまで数が増えてくると、今さら、うちもでした、と発表する会見を行っても、メディアでの扱いは相対的に小さくなっていってしまう。
彼らの方がより糾弾されるべきなのに、心証として目立つのは嚆矢であり、完落ちした者である。
さらに言うなれば、もっと以前、既に今年6月に同種の問題が明らかになっているオリエンタルランドやプリンスホテルに関してはほぼ無視されてしまっているような有り様だ。
非力な個の心の裡にある"公正な報道"というものを実現することは、実に難しい。


♪ Unfit In Love - 平井堅


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