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2013年10月27日(日)

第3回大阪マラソン

5時15分に起きて、雑煮とバナナを喰ってからいざ、大阪城公園へと向かう。
大混雑の中、7時過ぎに現場に到着。
着替えだ荷物預けだ移動だトイレだとしていると時間の余裕がほとんどなく、慌ただしく応援担当の妻に一旦別れを告げてスタート地点へ。

出陣朝陽を浴びる大阪城

定刻の9時、号砲がどうやら鳴ったようだ。
Eブロックからのスタートで、ロスは後で見るとどうやら7分3秒だった模様。
3万人規模のレースにしてはマシだ。
走り出してみると、話には聞いていたがとにかく沿道の応援が物凄い。
コースが大都市の市街地ということもあるのだろうが、まったく応援の人々の列は途絶えることなく、声援を送り続けてくれる。
まるで自分がエリートランナーになって国際大会を走っているかのような錯覚を感じるほど。
今、この場を走ることができている幸せと、私個人にではなく分け隔てなくランナーを精一杯励ましてくれる応援に、早くも涙が出てしまいそうだ。
東京マラソンや大阪マラソンを走った経験がある人に聞くと皆口を揃えて、「素晴らしかった。ぜひまた出たい」と言うが、その本当の意味がやっと分かった。
また、私は今まで例えばコースが単調な河川敷であっても退屈な周回コースであっても苦にならず、どこを走っても同じ、と思っていたのだが、それはただ単に周りを見ずに前だけ向いて走っていただけなのかもしれない。
今日、馴染みの深い大阪市内の幹線道路、それも普段は車で走るばかりの道を、人、人、人で埋め尽くして走っていく様に、微かな感動を覚えた。
以前住んでいた森ノ宮から玉造筋を下って千日前通を右折、そして御堂筋の真ん中を走る...。
これは実に素晴らしい経験だった。

6分/kmを切らない程度の抑えたペースで前半は消化していったが、それでも35kmの壁どころか28kmあたりで早くもペースが落ち始めた。
脚部は比較的大丈夫なんだが、足の裏、それからくるぶし近くの腓骨筋腱あたりがやっぱり痛み始めた。
足部の弱さはどうしようもないな。
ただ、ここでも助けてくれたのは沿道の応援。
花園~岸里~玉出区間で、西成のおっちゃん、おばちゃん、そしてちびっこ達にどれだけパワーをもらったか。
足が痛くて歩いてしまおうかと誘惑に駆られても、彼らと笑顔でハイタッチを交わしていると、その間は痛みが吹き飛んでしまう。
ヴォランティアの人たちも全体的にとてもハイレヴェルなサポートをしてくれる。
大阪マラソンは第1回から運営に対する評価は高いけれど、それもよく分かる。
34km付近の給食ポイントでは、それまでの給食所にもあったバナナやソイジョイの他、ミニトマト、きゅうりの漬物、どら焼き、おにぎり、きゅうり巻き、いなり、パイナップルなどが豊富に並んでいて、喰い過ぎてお腹いっぱい、ドリンクも飲み過ぎて腹タプタプや。

南港エリアに入る頃にはさすがに応援もなくなるだろうな、と思っていたが、予想を裏切って南港大橋の向こうまでずっと沿道には励ましてくれる人たちがいて、最後の活力を頂いた気分。
その手前、平林辺りでは沿道に立つ会社の先輩達を偶然発見して、パンとジュースを差し入れてもらったり。
ただ、それでも徐々に痛みを増す足部はどうしようもなく、もうペースは7分/kmを切ることができない。
40km地点で5時間のペースセッターに追いつかれ、若干焦る。
必死で喰らいついてついていき、何とか5時間は切ってフィニッシュ。
ランナーズ・アイによると、グロスで4時間58分57秒、ネットで4時間51分54秒だった。
本当にギリギリだ。
記録更新はならなかったが、今の私の力だろう。
景色を眺め、沿道の人たちと触れ合い、給水や給食も頂き、イヴェントを楽しむという、ファンランの目的は充分に果たすことができた。

無事元気に完走

フィニッシャータオルやメダルなどを受け取ってから妻とも無事に合流を果たす。
聞くと、スタート直後の森ノ宮交差点や、ゴール手前の南港エリアでも応援してくれていたらしい。
後者ポイントでは確かに、微かに私を呼ぶ妻の声らしきものを耳にして、少しキョロキョロと探したんだが、見つけられず。

一時は台風接近も危ぶまれていたが、今日は気温もちょうどよく(速い人にとっては暑かっただろう)、太陽もそれほど顔を出さなかったので、私のようなレヴェルのランナーには非常にいい気候条件だった。
大阪マラソン、素晴らしい大会だ。
ただ、またフルマラソンを走りたいかどうか問われると微妙...。


♪ The Streets - R. Kelly & Jay-Z


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