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2006年11月22日(水)

「ディパーテッド」試写会など

昨晩は予定されていた打ち合わせが1本飛んでポカリと時間が空いたので、これ幸いと映画「ディパーテッド」の試写会に行ってきた。
マーティン・スコセッシ監督、出演はジャック・ニコルソン、レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、アレック・ボールドウィン、マーティン・シーンなど。

これだけの面々が持てる力を出し切れば駄作になどなるはずはないだろう、と思われるが、果たしてその通り、2時間32分の上映時間がまったく長く感じられない作品だった。
実際、ちょっとストーリーをはしょり気味な箇所がいくつかあって、もう少し時間を使ってディテールを描いてほしかったな、と思う。

ジャック・ニコルソン扮する犯罪組織のボスに育てられ、そしてその組織のために働くべくエリート警察官にまでなった男をマット・デイモンが、一方、優秀な成績で警察学校を卒業、しかし犯罪者一族に生まれたその境遇を見込まれて囮捜査官として件の犯罪組織に潜り込まされた男をレオナルド・ディカプリオが演じる、いわば一風変わったダブル・アンダーカヴァーもの。
「ユージュアル・サスペクツ」(1995/アメリカ)のようなミステリーではない“身分偽り系”としてはブラッド・ピット(彼はこの「ディパーテッド」にプロデューサーとして名を連ねていた)とハリソン・フォードの「デビル」(1997/アメリカ)なんかが僕には印象に残っているんだが、それよりも遥かに尖った、観客にまで生命の危機を感じさせ緊張を強いるかのような映画だった。
ある程度まで繰り返されると本来の意味はすでに失われて、「もうどうでもいいんじゃないのか?」という気がしつつ、そして自らのアイデンティティはほとんど消失しかけていてもどうにも止まらない復讐の無間地獄。
まるでその不毛な連鎖こそがこの世に起こる戦争と呼べるすべてのものの根元である、と言わんばかりの映画。

希望の欠片もわずかな可能性も打ち消した、救いようのまったくない映画だったが、シリアスなエンターテインメントとしては充分に楽しめた。
何よりもやはり、監督、出演者を始めとした、プロフェッショナルとしての仕事に負うところが大きいだろう。
ニコルソンは老いてなお、決してバスケットボールをコートサイドで観てはしゃいでいるだけのジジイに非ず、ということを改めて示したし、ディカプリオは一級品の俳優であるということをついに証明した。

繰り返すが、ディテールにはやや不満あり。

一旦会社に戻って少し仕事を片付け、誰もいなかったので1人で近所の「すし政」に座って寿司をたらふく喰ってきた。
ここのネタはいい。

そして今、我が家の120cm水槽に住まうコブラスネークヘッドという魚が死にそうなんだ…。
今年の4月に購入、当時約16cmだった魚体も30cmオーヴァーに育ち、まだまだ元気に生きてもらいたかったのだが…。


♪ 白いハマナス - The Boom


と書いている間に、コブラは死んでしまった。
R.I.P.

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