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2005年10月16日(日)

「吉原御免状」観劇

今日は芝居「吉原御免状」を観に梅田芸術劇場へ行ってきた。
原作は隆慶一郎、演出いのうえひでのり、そして出演は堤真一、松雪泰子、京野ことみ、藤村俊二、古田新太、梶原善他。

梅田芸術劇場正面前

総体的に言って、とても素晴らしい演劇イヴェントであった。

やっぱり予算的にもとても大きな芝居だから、まず舞台装置がとてもよい。
大仕掛けはもちろん、細かいところにもよく気を配られ手を入れられていたし、またその転換も妥協なし、隙もなく行われていた。
セット転換の無粋な行為の現場を決して観客の目に触れさせぬよう、細心の注意と創意工夫をもってプランニングされていた。

そして音響効果、SEもとてもよく考えられ、凝っていた。
こちらもどちらかというと小技が巧く効いていて、たとえば何でもない会話のシーンとかでも、ともすれば聞き逃してしまいそうな、それでいてあって然るべしというヴォリュームとトーンでほんのりと鳥の声や雑踏のざわめき、風の音などが流されていたり。

ストーリーも、ちょっと観る前に何となく想像していたよりは軽佻浮薄とも言えるノリもあった前半、そしてそれとは対照的な、時に切ないほど凄惨な描写をも盛り込んでスピーディに展開してゆく、一気に涙を誘う悲愴な後半、ある意味かなりの力技とも言えるその剛毅な物語と演出力と演技力に、芯から感動した。
感服、面白かった。
ヒステリックなフェミニストたちはこの演目を観てもその物語に心を動かす代わりに嫌悪感を覚えるのだろうか。
ふとそんなことを知りたいと思った。

役者に関しては、堤真一は思ったよりスタイルが良くて舞台映えしていたし、以前から綺麗だなあと思っていた松雪泰子はやっぱり生で観ても綺麗だったし、舞台役者としての経験と実力は折り紙つきの古田新太と梶原善は期待通り、主役を凌駕する才能と技量を存分に見せてくれた。
特に梶原善は、あのキャラクターと体躯ではちょっと演じるのは難しいんじゃないかな、と僕には思われた、迫力と膂力と胆力を必要とするような役柄も、体格のハンディを補って余りある卓越した演技力で見事にこなしていたように感じた。
甘く見過ぎ。
ただ老優藤村俊二は、いい味を出してはいるのだが随所でちょっと台詞が飛び過ぎだった。
完全に失念、という事態まではなかったが、言い直したり妙な間を空けてしまったりといった場面がいくつかあり、そこがやや残念。

終演後には佐賀県出身、松雪泰子の一人ライヴで「佐賀県の歌 松雪泰子ヴァージョン」まで聴けるというゴージャスなおまけ(と言うにはあまりに豪華な)つき。

そしてなぜか開演前のBGMはIron Maiden、第1幕と2幕の間の休憩中はEric Claptonの、どちらもライヴ盤がかかっていた。


主役の堤真一演じる松永誠一郎がクライマックスで、「俺は今まで人を斬ることは仕方がないことだと思っていた。それが剣士として生きていくことなんだと。だけど俺は今、心の底から貴様を叩き斬ってやりたい!!」と激すシーンがあるのだが、その瞬間が「北斗の拳」第22巻でケンシロウが「オレは今日まできさまらは降りかかる火の粉だと思って払ってきた だが……これからはちがう カイオウに与する者はこのオレ自ら戦いほうむってやる!!」と言い放つシーンと見事に重なったのであった。
修羅。


♪ 刀と鞘 - 人間椅子


コメント

ミクシィの足跡からきました。
吉原御免状おもしろそうですね。堤さんがかなりかっこいいんだよ。と東京で見た人から噂を聞いて「ふ~ん。」と思っていたのですが、古田新太さんの舞台も見た事ないので観てみたいです。
大阪はいいですね~。色々来て。次は「天宝十二年のシェイクスピア」じゃないですか?天保も古田さんとか 京野さんとかでるんじゃなかったかな?色々な事を書いていておもしろいですね。また覗かせていただきます

ご訪問&コメントありがとうございます。
ホントに面白かったです。
元々僕は原作の隆慶一郎の小説も好きなんですが、それをコンパクトにまとめながらも(と言っても3時間以上はありますが)エッセンスは十二分に。
実は舞台演劇というものはそれほど観たことがなく、というのもどうも学生時代の演劇部のノリとか某野田氏の芝居などの醸し出す空気感があまり得意ではないようで。
でも蜷川演出作品とか、浅利さんを始め四季の作品なんかは好きだったり。
また来てくださいね。

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