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2020年4月16日(木)

提案

SNSを開けば他者への批判、愚痴、不確かな情報の拡散...そんなものを目にする機会が増えている。
ストレスが蓄積して社会全体に攻撃的な不満分子が漂っている...そんな気配も感じられる。

一つ提案なのだが、"頑張る"とか"耐え忍ぶ"とか"我慢する"といった発想をこの際捨ててしまってはどうだろう?
識者や専門家と言われる人たちが既に公に述べているし、世の中のほとんどの人も気付いてしまっているように、数か月やそこらの単位期間を凌いだところで、私たちの生活がすっかり元通りに戻ることはまず考えられない。
息を止めたまま全力疾走する100mダッシュではないので、頑張る、という一念だけで通しおおせる日々ではないと思っている。
ギュウギュウ詰めの満員電車では必死で踏ん張るよりも人の流れに身を委ねてしまった方が楽だし、泳いでいて溺れかけた時も体の力を抜いてリラックスすれば自然と浮いてくる。
行動変容を強いられた生活を送っていても、それは頑張ったり耐え忍んだり我慢しているのではなく、自分が動ける範囲で楽しみを見つけながら日々生きているだけ。
そんな風に肩肘を張ることなく、"今"を積み重ねていってはどうだろう。

関連してもう一つ、その境地に至るためには、"過去をなかったものにする"、という転換も有効かもしれない。
誤解を生みそうな表現だがどういうことかというと、"大人数が集まるイヴェントや宴会というものがなく、海を越えて異国に渡ることもあり得ず、列に並ぶ時には人に触れないぐらいの距離を保つのがデフォルトの世界に私たちは生まれたのだ"と信じ込む。
現状、今この瞬間の世界の在り方こそが本来のもので、元々こうだったのだ、と記憶の中の歴史を上書きする。
以前はあれができていたのに...と振り返って嘆き、落ち込み、憤るのはとても非生産的で無益なこと。
私たちの生活に掛けられた制限がこの先、今よりも格段に厳しくなることはおそらくないとすると、あとは将来、1つ2つとできることが増えていく一方なわけである。
今が"不自由の底"だと思えば、ちょっとは楽しめそうな気がしないだろうか。

すべては心と体を蝕まれることなく健康を保ったまま、持続可能な生活を機嫌良く送っていくために。


♪ Feelin' Blue - Earth Wind & Fire


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